デジタル人民元に対する「アメリカのドル覇権への挑戦」という見方は、どこまで妥当なのでしょうか?(写真:jessie/PIXTA)

コロナ禍の裏で、中央銀行が発行するデジタル通貨CBDC(Central Bank Digital Currency)の開発競争が激しくなっています。

すでにいくつかの中央銀行が、本格導入を視野に入れたテスト運用(パイロットテスト)の段階にまでこぎつけており、中銀デジタル通貨の実現は、もはや「時間の問題」となっているものと言えるでしょう。パイロットテストを実施しているCBDCとしては、中国の「デジタル人民元」、カンボジアの「バコン」、スウェーデンの「eクローナ」、バハマの「サンド・ダラー」、東カリブの「デジタル東カリブドル」などがあります。

この中でも、とりわけ注目を集めているのは、中国による「デジタル人民元」でしょう。近年の米中対立を背景として、「フェイスブックの仮想通貨リブラに対抗するため」「アメリカのドル覇権への挑戦」という文脈で語られがちですが、はたしてその見方はどこまで妥当なのでしょうか。筆者の新刊『アフター・ビットコイン2:仮想通貨vs.中央銀行「デジタル通貨」の次なる覇者』から、ポイントをご紹介したいと思います。

「発行秒読み」に入ったデジタル人民元

主要国の中で、CBDCの発行に向けて先頭を切っているとみられているのが中国です。中国人民銀行の高官から、昨年8月には「デジタル通貨の発行は近い」、9月には「デジタル通貨の発行準備はほぼ完了している」といった強気の発言が聞かれるようになり、中国による世界初のデジタル通貨の発行が迫っているとの観測から世界は騒然となりました。

そして、10月には「暗号法」が制定されました。これも、デジタル通貨の発行に備えた法律的な対応であるものとみられています。この間、中国人民銀行では、デジタル通貨の発行に関して、国内で80件以上もの特許を申請していることが明らかになっています。申請内容には、デジタル通貨のウォレット(電子財布)の仕組み、中銀によるデジタル通貨の発行・供給方法、デジタル通貨を使った銀行間の決済システムなど、広範な内容が含まれています。

2020年に入ってからは、蘇州(江蘇省)、深圳(広東省)、成都(四川省)、雄安新区(河北省)の4つの「重要実験都市」で、テスト運用が始まりました。このテストには3つの主体が参加しています。

1つ目は中国人民銀行や各地方政府などの公的部門、2つ目は四大商業銀行やアントフィナンシャル、テンセントなどの金融サービス事業者です。そして、実際にデジタル人民元を使う店舗としては、スターバックス、マクドナルド、サブウェイ、無人スーパー、地下鉄、書店など幅広い先が含まれています。蘇州では地方政府職員に対する交通費の支給としてデジタル人民元を発行する実験も行われています。

全国展開の時期としては、2021年中が有力視されていますが、遅くとも2022年2月の北京冬季オリンピックまでには使えるようにするとの中銀幹部の見通しが伝えられています。このように中国は、CBDCの発行に向けて世界の中銀を一歩リードしており、本格導入に向けて着々と準備を進めています。

「リブラに対抗しようとしている」は間違い?

さて、デジタル人民元について、報道では「中国は、フェイスブックのリブラに対抗しようとしているのだ」といった論調が目立ちました。これは、リブラ構想が2019年6月に発表され、その直後の8月頃から中国人民銀行の高官による「発行は近い」といった発言が聞かれるようになったためで、確かにその部分だけを取り出してみると、あたかも中国がリブラに対抗しているように見えます。

しかし、その見方は事実とは異なるのではないかと筆者は考えています。中国人民銀行では、すでに2014年夏には、CBDCの研究チームを立ち上げ、中銀デジタル通貨の研究に着手しています。2017年には「デジタル通貨研究所」(数字貨幣研究所)が設立され、研究体制がさらに拡充されました。リブラ構想が出てきたからといって、慌てて開発に着手したわけではなく、数年をかけてじっくりと準備を進めてきたのです。

一方、フェイスブックによるリブラへの取り組みが始まったのは、2017〜2018年ごろとされています(参考:『フェイスブック「リブラ」が犯した致命的なミス』)。つまり、デジタル通貨開発への着手は、中国人民銀行のほうがずっと早いのです。リブラ構想が発表されたのを聞いて、それに対抗するために大急ぎで開発を進めているというわけではありません。この点は、誤解のないようにしておく必要があるでしょう。

もう1つの気になるメディアの論調が、デジタル人民元について、「アメリカのドル覇権に対する挑戦であり、人民元の国際化を目指したものだ」とする見方です。これもまた、メディアが好みそうな見解ですが、やはり筋違いな見方と言えるでしょう。

そもそもデジタル人民元は、「現金の代替」として、国内での個人や企業の取引(小口決済)に使うことを目的としています。一方で「通貨の国際化」を論じる場合には、貿易取引や外為取引などの国際的な決済(大口決済)に幅広く使われるかどうかが基準になりますが、そもそもデジタル人民元は、そうした国際的な取引での利用を目指したものではないのです。

国内のリテール決済に使おうとしているデジタル人民元は、「人民元の国際化」という文脈とは基本的には関係がありません。中国の人々が、国内で紙の銀行券で支払いを行おうと、デジタル人民元で決済を行おうと、人民元の国際的な地位には何ら変わりがないことは明らかでしょう。

一方、デジタル人民元が、一帯一路に関わる地域を中心に海外にも拡がっていくことを予想する向きもありますが、もしそれが実現したとしても、それはスマホを使った決済として、中国人の海外での買い物など小口決済の世界の話になるでしょう。

先に述べた通り「通貨の国際化」を果たすためには貿易の決済や外為取引など大口決済の分野で幅広く使われるようになる必要があります。すなわち、人民元がデジタル化することは、少なくとも現時点においては人民元の国際化とは関係はなく、ましてや基軸通貨としてのドルの位置づけとは、まったく無関係であると考えるべきでしょう。

人民元の国際化のための「秘密兵器」

もっとも、だからと言って、中国がアメリカのドル覇権に対して挑戦する意図を持っていないと言うつもりはありません。現在、ドルを主体とする国際決済に用いられている国際的なネットワークがSWIFTです。アメリカでは、最近、このSWIFTを他国に対して経済制裁を行う際のツールとしてしばしば利用するようになっており、中国にとっては望ましいシステムではないのは確かでしょう。

拙著『アフター・ビットコイン2』で指摘したのは、人民元の国際化という点では、むしろ2015年に稼働を開始した「人民元クロスボーダー決済システム」(CIPS)という人民元決済のシステムに注目すべきだという点です。


CIPSは、「Cross-Border Interbank Payment System」の略であり、中国が貿易取引や外為取引などのための人民元決済を目的として構築した決済システムです。90カ国以上から900行以上が参加している世界的ネットワークで、日本からも三菱UFJ銀行、みずほ銀行などが参加しています。

このようにCIPSは、世界中に人民元決済のためのネットワークを張り巡らせており、24時間いつでも人民元建ての決済を行うことが可能となっています。アメリカがSWIFTを経済制裁のツールとして利用する傾向が強まる中で、CIPSは、SWIFTの代替的なネットワークとして、ドルへの依存を低下させることを目指しているものとみられています。

つまり、CIPSは「人民元の国際化のための秘密兵器」なのであり、国際基軸通貨をめぐる米ドルとの覇権争いという視点からすれば、デジタル人民元などより、むしろCIPSの方に注意を払っていくべきでしょう。