新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真(国立感染症研究所HPより)

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 この警告が生かされていたなら……。そんな溜息が聞こえてきそうである。実は、今から16年前、米情報機関が「2020年に感染症の世界的大流行が起こる」と予測していたというのだ。当時、報告書をまとめた人物に、ジャーナリストの徳本栄一郎氏が取材した。

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 新型コロナウイルスは今や、人類にとって第2次大戦以来、最大の危機となった。

 昨年末に中国湖北省の武漢で発生した原因不明の肺炎は、わずか数カ月で世界に広がり、感染者は765万人以上、死者も42万人を超えた。(6月13日時点)各国は相次いでロックダウン(都市封鎖)に追い込まれ、1930年代の大恐慌の再来も囁かれる。日本でも今後、企業の倒産や大量失業、自殺者の急増すら予想され、まさに歴史を変えたウイルスとして語り継がれるのは間違いない。

新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真(国立感染症研究所HPより)

 この現実を前にして最近よく、「想定外」という言葉を耳にする。まさか、こんな事態が襲うとは政治家や官僚、実業家、誰も予見できなかった。ウイルスが消えるのを祈って待つしかないというのだが、本当にそうだろうか。

 古代ローマの政治家で哲学者でもあったキケロは、「やがて起きる出来事は事前に影を落としている」との言葉を遺した。突然降りかかったかに見える災禍も、じつはそこへ至る導火線が存在する。そして、ごく一部の人間はそれに気づき、繰り返し警告を発してきた。

 今から16年前の2004年暮れ、ワシントンのホワイトハウスに提出された報告書も、そうした一つだったと言える。

 作成したのは米情報機関コミュニティの中のNIC(国家情報会議)で、分厚い文書の表紙に「世界の未来図を描く」とある。西暦2020年の国際情勢を予測したもので、そこに「パンデミック」、感染症の世界的大流行という記述があった。

「大規模な世界的紛争を除いては、グローバル化を止めてしまう大きな出来事にパンデミックが考えられる」

「かつて1918年から19年に世界中で2千万の死者を出したとされるインフルエンザ(筆者注・スペイン風邪)同様、一部の専門家は、新たな大流行が起きるのは時間の問題としている」

「主要国で数百万の死者が発生し、感染拡大で世界中の貿易や人の移動が止まれば、グローバル化は危機に瀕する。各国の政府も医療分野に莫大な資金投入を迫られるだろう」

 まさに今年に入って猛威を振るう新型コロナウイルスの蔓延、16年も前から、その到来を繰り返し警告してきたのがNICのグローバル・トレンド報告だった。

 米国の大統領は通常、毎日、CIA(中央情報局)による国際情勢のブリーフィング文書を受け取る。そこには各地の工作員から送られた安全保障に関わるインテリジェンス、その分析が網羅されるが、それとは別に4年毎、大統領選挙に合わせて中・長期の予測レポートが作られる。

 そして2004年12月、再選を果たしたジョージ・W・ブッシュと政権幹部に届けられたのが「グローバル・トレンド2020」で、それを読むと、彼らがどんな未来図を描いていたかよく分かる。

 当時は東西冷戦の終結から10年余り、米国型資本主義が我が世の春を謳歌していた。今後も国境を越えた人やモノ、資金の移動、グローバル化が加速して世界は一体化、国家の支配を離れた巨大企業も誕生する。また新興国、特に中国が目覚ましい存在感を持ち、「数世紀に亘る衰退を経て、その地位を復活させ」、いずれ世界第2位の経済大国に躍り出るという。

 だが同時に挙げたのは、きっかけがあれば、こうした流れは一気に止まり、逆転してしまうというシナリオだった。

「19世紀後半や20世紀初めのグローバル化が戦争や大恐慌で挫折したのと同じように、今回も失速、場合によって停止してしまう可能性もある」

背景にSARS

 そのきっかけが未知のウイルスによるパンデミックだったのだが、まさに想定した2020年にそれが的中した。一体、彼らはどうやって、どんな根拠で予測を的中させたのか。報告をまとめたのは、当時のNIC議長でプリンストン大学教授のロバート・ハッチングスだが、国際電話とメールで本人に訊いてみた。

「元々、グローバル・トレンド報告は軍事計画者向けに、今後15年から20年に米国が直面するであろう課題を扱っていたんです。私が議長に就いたのは2003年初めですが、このプロジェクトに世界中からさまざまな専門家を参加させました。毎回、会議に20名から40名はいたでしょうか。また単に情勢を分析するのではなく、将来考えられる事態のシナリオを示したんです。あの頃はグローバル化が流行して、それは有益で永遠に続くものとされました。それに対して私たちは、その正と負の両面を取り上げようとした。また当時は米国の一極支配とされてましたが、それが他国の隆盛で取って代わられうることも示しました」

 こうしてNICはハッチングスの下、2003年から翌年にかけ米国内や海外で会合を重ねたのだが、面白いのは、それがちょうど日本の小泉政権の時期と重なっている点だ。

 あの頃、わが国では「市場原理」、「官から民へ」といった掛け声が溢れ、米国帰りの学者や経営者がグローバル化の宣教師のようにふるまっていた。彼らをアドバイザーに重用した政権は、郵政民営化や規制緩和など「聖域なき構造改革」を推し進める。それに疑問を呈し、反旗を掲げた者は「抵抗勢力」のレッテルを貼られ、世間の猛烈なバッシングに晒された。

 皮肉にもまさに同時期、米情報機関コミュニティは、グローバル化にも負の面があり、いつ流れが止まるかもしれない、そのきっかけはパンデミックと分析したのだった。ただ目先の流行に乗っかる者と、地平線の向こうを見つめる者の違いとでも言おうか。ハッチングスの言葉を続ける。

「あの分析は各地で開いた専門家会合の中で出たはずです。背景にあったのは間違いなく、その前に中国で発生したSARSでしょう。あの時、すでに医療や科学の専門家は(未知の感染症の)危険をよく承知してましたから」

 SARS(重症急性呼吸器症候群)はコロナウイルスが引き起こす呼吸器疾患で、2002年11月、中国南部の広東省から「原因不明の急性肺炎」として発生した。その後、香港などから旅行者を通じて各国に広がり、翌年にはWHO(世界保健機関)が中国への渡航延期を勧告する事態になった。

 この間、WHOの調査団が北京市内の病院を訪ねたが、感染者30人以上が救急車に乗せられ、調査が終わるまで市内を走り回ったとの告発が米国の週刊誌に寄せられる。中国政府は意図的に感染者を少なく発表し、隠蔽しているとの批判が起きる一幕もあった。

ブラック・スワンのリストに

 今度の新型コロナウイルスでも、中国が正確な情報を開示せず、感染を加速させたとの指摘があるが、それは別に今に始まった話でもないのだ。

 結局、有効な治療法が見つからないまま流行は下火になり、2003年7月にWHOは終息宣言を出すのだが、NICがワシントンで「グローバル・トレンド2020」の発足会議を開いたのは、そのわずか4カ月後だ。ハッチングスは、SARSと新型コロナウイルスが中国の強みと弱みの両方を曝け出したと言う。

「一般的に、中央集権の国家というのは急速な経済成長を遂げるのには向いてるんです。あのスターリンが指導者だった頃、ソ連は西側を上回る飛躍的な成長を遂げたでしょう。だが、いざ何かの危機が起きると、自由に情報が伝わらず柔軟な対応が取れない。そして、それが事態を悪化させてしまう。(1986年の)チェルノブイリの原発事故など、その典型でしょう。今回のコロナウイルスでも全く同じことが言えますよ」

 こうして報告書はブッシュ政権に渡され、その後、ハッチングスもNIC議長のポストを去った。だが、彼の後任は感染症を重大な脅威と見たらしく、ホワイトハウスに繰り返し警告が発せられていった。

 例えばバラク・オバマが大統領選に勝利した2008年11月、NICは、2025年の世界を予測する報告を作成した。そこでは丸々1ページが感染症に割かれ、それも中国を発生地とする、新型のコロナウイルスのインフルエンザを警告したのだ。

「パンデミックは、現在の病原体の遺伝子が突然変異、再集合したり、人間へ感染する新たな病原体が発生したりするかにかかっている。専門家は、H5N1型の鳥インフルエンザが変化しうるとするが、SARSコロナウイルス(中略)も可能性がある」

「そうしたパンデミックが起きるとすれば、発生地は、おそらく中国や東南アジアなど人口密度が高く、家畜と人間の生活圏が近い地域であろう。野放しの畜産はH5N1型など人獣共通の感染症を広げ、それが突然変異して大流行するかもしれない」

「発生国で国民の健康状態を適切にモニターしなければ、早期の病気識別は困難である。公衆衛生の対応が遅いと、感染性の高い病原体の認識も遅れる。信頼できる検査結果が出るまで数週間が経ってしまい、その間、東南アジアの市町村にクラスター(感染者集団)が現れる。海外渡航が制限されても、症状の軽い、または無症状の旅行者が他の大陸に感染させていくだろう」

 ここまで読んで、思わず背筋が寒くなったという人もいるかもしれない。中国で発生した謎のウイルス、それを無症状の感染者がクラスターとなって世界中へ広げる……まさしく、今、目の前で起きている現実そのものではないか。

 そしてオバマ大統領の再選後、2012年12月にも2030年の予測が作られ、ここで感染症の世界的大流行は「ブラック・スワン」のリストに入れられた。黒鳥を指すブラック・スワンとは予測が非常に困難だが、実際に起きた時の影響が甚大な出来事を意味し、パンデミックは核戦争や急激な気候変動より上位に置かれている。むろん、後任のトランプ政権にも同様の報告が届き、そこでも感染症ははっきりと警告された。

気をつけろ、ついに来た

 元NIC議長としてハッチングスは、今般の新型コロナウイルスをどう思うだろう。

「パンデミックは事前に予測されるべきだったし、現に予測されていました。今回の流行自体は無理としても、昨年12月から今年1月、中国で感染が始まった時点で、それがもたらす結果を察知できた。気をつけろ、ついに来たとね。ウイルスの正体は謎だが、それがどうやって感染するかは分かってたんだから。すぐに政府高官によるタスクフォースを置き、必要な準備を始めるべきでした。検査キットや人工呼吸器が足りているのかの確認もね」

 では、今回の大流行を防げなかったのは情報機関の失態ではない、と。

「断じて違う! わが国のインテリジェンス・コミュニティは少なくとも15年間、それも繰り返し、新たなパンデミックを警告してきた。それは称賛されこそすれ、批判される謂れはない。非難されるべきは、それを政策に生かそうとしなかった米国政府でしょう」

 そのトランプ大統領は、武漢のウイルス研究所が発生源として中国批判を強めている。そして中国では外務省報道官がツイッターで、ウイルスは米軍が持ち込んだのかもと書き込み、もはや泥仕合となっている。今秋の米大統領選挙や中国共産党の権威維持の思惑があるだろうが、現時点で真偽は分からない。ただ一つ、はっきり言えるのは、今まで中国は新型ウイルスの発生地だったし、今後もそうであろうという現実だ。一例を挙げる。

 2005年の春、中国青海省の青海湖で数千羽の渡り鳥が死ぬ出来事があった。ここは東南アジアやシベリアに向かう渡り鳥の繁殖地で、その死骸から鳥インフルエンザのH5N1型が検出されたと知った専門家たちに戦慄が走った。

 鳥インフルエンザは突然変異して人間に感染するウイルスになりうるし、そうなれば世界的な大流行につながる。直ちに家畜の移動制限が取られたが、夏から秋にかけロシアやモンゴル、欧州でも感染した鳥が見つかる。ただ厄介なのは、アジアでは庭先で鶏を飼うような零細農家が多く、収入減を恐れて病気を報告しない例もあることだった。

 そして、この時も中国政府は、また彼ららしい反応を見せた。青海湖の鳥を調査した香港の研究者の論文を誇張と非難し、死骸のサンプルを国家機密扱いした。その上、ウイルスは海外から渡り鳥と共にやって来たと主張する始末で、これではパンデミックの阻止どころか治療薬の開発もできない。

 このように、いつ中国から感染症が広がってもおかしくない状態が、過去十数年続いていた。それを警告したのがNICのグローバル・トレンド報告で、現在はウェブサイト上でも閲覧できる。

 100年前のスペイン風邪がそうだったように、新型コロナウイルスもいずれ、それもあっけなく姿を消すはずだ。だが、今後も中国を発生地とする感染症は現れる。それに備えて米国や日本など各国は、情報公開を強く迫り続けるべきだろう。ウイルスにとっては人種や国籍も、資本主義者も共産主義者も関係ないのだ。

 そしてCIAなど情報機関は今後、中国の野生動物の市場や、養鶏、養豚農家への監視を強めるだろう。現地の衛生状態は適切かどうか、不審な動物の死骸は見つかってないか、新たなウイルス発生を政府は隠していないか、これらは全て安全保障に直結する。別に軍艦やミサイルだけが脅威ではない。

 この意味で、ポストコロナの時代は、インテリジェンスの世界を一変させる可能性も秘めている。

徳本栄一郎(とくもとえいいちろう)
ジャーナリスト。英国ロイター通信特派員を経て、ジャーナリストとして活躍。国際政治・経済を主なテーマに取材活動を続けている。ノンフィクションの著書に『角栄失脚 歪められた真実』(光文社)、『1945 日本占領』(新潮社)、小説に『臨界』(新潮社)等がある。

「週刊新潮」2020年6月25日号 掲載