「エール」はきょう26日(2020年6月)の放送でいったん休止する。新型コロナウイルス感染申しのため、4月から収録が止まっていたためで、早々再開は8月後半の見通しである。

第14週以降はどんな展開になるのか。古山裕一(窪田正孝)は、突然訪ねてきた田ノ上五郎を弟子と認め、さらに古山音(二階堂ふみ)の妹・梅(森七菜)も豊橋からやってきて、裕一・音の家は急ににぎやかになった。文芸誌の新人賞を取った梅は、東京のこの家に居候して執筆活動をするつもりなのだ。

五郎と梅はひかれ合うようになり、豊橋の音や梅の実家に向かう。五郎は梅と結婚することを目標に、馬具職人の修行に励むことになる。

裕一はいつまでたっても流行歌になじむことができず、コロンブスレコードでは相変わらず「低めに安定」というポジションだった。しかし、戦争が事態を一変させる。

「勝って来るぞと 勇ましく」が大ヒット

1937(昭和12)年に中国で盧溝橋事件が発生すると、日本では戦時歌謡が目立つようになっていた。音と行った満州旅行からの帰り、裕一はコロンブスから「露営の歌」の作曲を依頼される。レコードは戦地から火が付いて大ヒットし、出征兵士を送り出す時の代表歌になった。「勝って来るぞと 勇ましく」というあの歌である。

その後も、作曲・裕一、作詞・村野鉄男(中村蒼)、歌手・佐藤久志(山崎育三郎)という「福島三羽カラス」が手掛けた「暁に祈る」、裕一の作曲「若鷲の歌」が大ヒットし、戦時歌謡での地位は確固たるものになった。しかし、裕一は若者が自分の歌を聞きながら戦場で死んでいくことに心を痛めていた。

戦後は「長崎の鐘」や「オリンピックマーチ」

戦後、裕一は一転して、平和への祈りを込め「長崎の鐘」の作曲をした。それは、戦時歌謡を作ったことで戦争に加担してしまったことへの贖罪でもあった。そして1964(昭和39)年、裕一が55歳の時、東京オリンピックの入場曲「オリンピックマーチ」を作曲する。「日本を元気づけるような曲を書きたい」と考え続けていた裕一の集大成であった。

(NHK総合あさ8時)