海外サッカーと日本サッカー。何が違うのか。何十年も前から語られてきたテーマである。ピッチ上の話、プレーの話だけではない。それ以外の要素にも目は向けられた。他の競技にはなかった視点でもあったが、そのひとつに挙げられるのが応援だ。

 Jリーグがスタートする以前、1980年代まで応援はほぼ無に等しかった。

 代表戦しかり。ピッチとの距離が近い西が丘のスタンドには面白いヤジを飛ばすヤジ将軍的なおじさんが毎度、陣取っていて、笑いが巻き起こることもあったが、基本的にサッカーはじっと目を凝らすスポーツだった。脇に座る友人、知人と感想をブツブツ言い合いながら観戦するのが、慣れたファンの姿だった。

 1980年に始まったトヨタカップ=クラブ世界一決定戦のスタンドも例外ではなかった。舞台=国立競技場を盛り上げたのは、はるばる訪れた両軍サポーターで、日本人の観衆は感嘆の溜息を漏らすのが精一杯だった。これでいいのかニッポンは。そのスタンド風景を見ながら、日本の応援について自問自答したものだ。

 もちろん、それから30年数年経過した現在の姿を、その時、想像することはできなかった。

 プロ野球のスタンドは、当時からそれなりに賑やかだった。しかし甲子園の高校野球を含め、積極的に真似たくない応援スタイルであったことも確かだ。あのようにはなりたくないと思った理由は、その集団性にあった。

 日本の応援が変化するきっかけになったのは1993年のJリーグの発足だ。どのチームにも、ゴール裏席はサポーターが陣取ることになった。1993年はアメリカW杯最終予選が行われた年でもある。ドーハのスタンドには、日本から駆けつけたサポーターが毎試合、詰めかけ、熱い応援を繰り広げた。選手一人ひとりに充てたチャントと言われる応援歌も用意されていた。

 その流れで現在に至るのだが、欧州と日本を当時、それこそひっきりなしに往復していた僕は、この日本の応援のスタイルに、違和感を抱くようになった。

 Jリーグ発足にあたり、サポーターのリーダ格は応援スタイルを研究し、学習した。直接、外国に出向き学んだ人もいたという。だが、学びに行った先が同じだったのか、オリジナリティが低い。どのチームの応援もほぼ同じノリだ。応援スタイルには横並び感が漂う。

 一方、世界には様々な応援スタイルがある。各地のスタジアムに足を運べば、Jリーグに浸透しているスタイルが、王道を行くものではないことが判明した。世界のスタンダードではない独自のものへと、日本の応援スタイルは違う方向に進化してしまった印象だ。

 なにより、かつてプロ野球に抱いたものと同種の集団性を、その応援スタイルに抱いてしまうのだ。そのうえ連続的だ。途切れることがない。のべつ幕なしだ。スタンドは90分間、ずっとお祭りのようにワイワイしている。試合に熱い視線を投じている気配が薄いのだ。音量の割に威圧感に乏しい。10分もすればBGMのように聞こえてくる。選手のモチベーションを高めるのは「見られている」という意識だ。背中を後押しするのは音量より視線だ。

 J1は7月4日から、J2は今週末からリーグ戦が再開される。7月は無観客試合(=リモートマッチ)。サポーターの応援が一切ない中で行われる。

 8月以降は一定のファンを入れて試合を行うそうだが、応援行為はできないという。この騒動がいつまで続くか定かではないが、応援なしの状態は、そう簡単には終わらないと見る。来季も継続する可能性がある。

 応援の在り方について見つめ直すいい機会だと思う。 かつてのトヨタカップのスタンドに思わず親近感を抱きたくなる。クラブサッカー世界一決定戦を、第3者が静かに観戦する行為が、いまでは逆に自然な行為に思えるほどだ。どちらかのチームの1日限りのファンになり、本場からやってきたサポーターとともに応援するのも悪くない行為だが、しっかり目を凝らすことも、同じくらいの価値がある。