なぜ日本で「女性の社会進出」が進まないのか?(写真:Ushico/PIXTA)

日本で女性の社会進出が叫ばれる一方で、「ジェンダーギャップ指数(男女格差指数)」は153か国中121位という結果からもわかるように、理想と現実は遠くかけ離れている。長年、女性が働きづらい状況が続く理由とは? フリージャーナリスト・吉川ばんび氏による新書『年収100万円で生きるー格差都市・東京の肉声ー』より一部抜粋・再構成してお届けする。

日本で「女性の社会進出」が大きくテーマに掲げられるようになって、すでに数十年が経過している。

しかしながら、世界経済フォーラム(WEF:World Economic Forum)が発表した2019年の「ジェンダー・ギャップ指数」(グローバル・ジェンダー・ギャップ指数、世界経済フォーラムが毎年発表している、各国を対象に、政治・経済・教育・健康の4部門について分析した世界の男女格差指数のこと)において、日本は前年の110位からさらに順位が下がり、153か国中121位という悲惨な結果に終わった。

父親が絶対的な権威を持つ「家父長制」下に長らくあった日本において、仕事は男性のものであり、女性は家庭に入ることが一般的とされていた。女性への教育はさほど重要視されず、親世代からは「女はいい学校を出ると嫁の貰い手がなくなる」などと平気で教えられていたのだ。

そんな環境で、高い水準の教育や就労から遠ざけられていた女性たちは、突然、社会進出を推奨されることになった。

女性の社会進出自体は前向きで大変喜ばしいことであるし、そもそも性別のみで社会における役割を決められたり就労の機会を奪われたりすることは絶対にあってはならない。しかしながら、社会が女性に求める役割が大きく変化したことで、これまでの「家庭の人」という役割との狭間に取り残された女性たちもいるのは事実だ。

「出産後の再就職」はまだまだ難しい

実際に、日本ではまだ「女」であるだけで就労の自由を制限されることがある。

就職活動の時点で、面接官から「彼氏の有無」や「結婚する予定」、さらには「出産後に育児を手伝ってくれる親族の有無」を聞かれることがある。このとき数年以内に結婚する予定があるか、子育てに協力してくれる親族が遠方にいるといった場合はほとんどマイナスに評価されるのだ。

さらに子どもを持つ女性たちにとって、出産後の再就職や転職はさらに難易度がはね上がる。企業の人事担当に話を聞くと、みな同じように「一人の採用枠に子どもがいる女性を含む複数人が面接を受けにきた場合、申し訳ないが、どうしても他の人より不利になってしまう」と漏らす。

その女性本人がどれだけ優秀だったとしても、会社側からすれば「子どもが熱を出すたびに休むのではないか」「早い時間に帰らないといけないのではないか」という不安から、男性の選考対象者のほうが条件的に有利になると言わざるを得ない、というのだ。

女性としては大変腹立たしいことではあるが、今の日本の現状を考えるに、人事担当の言っていることがまったく間違っている、とも言い切れない。企業にはより利益を生み出すであろう人間を面接で選別し、雇用しようとする動機があるためだ。

「子育て」「家事」今も女性に押し付ける日本

女性の社会進出が掲げられていても、日本社会にはいまだに「子育ては女性のもの」「家事は女性がやるもの」といった風潮が根強く残っていて、多くの企業や人々が変わろうともせず、負の遺制に依存し、女性にその役割を押し付けているのだ。

国や政府はこうした問題には目もくれず、ろくな保障もしない。形だけ取り繕った「女性の社会進出」をうたい、そのため社会的土壌も育てず、保育所不足が深刻な状況下でも「重要なポストは任せられないけど、子どもがいる女性も当然働いてください。家事育児はもちろん女性で、男性はこれまでどおり仕事に重きを置いてね」と言わんばかりだ。

その結果がジェンダー・ギャップ指数121位であり、「保育園落ちた日本死ね!!」だったのだと思う。

政府が「女性の社会進出」や「少子化対策」をうたうのであれば「子育ては女性がメインで行うべきもの」という日本の陋習(ろうしゅう)を、ここで断ち切るべきだろう。「女性の社会進出」と「育児は女性のもの」論は、令和を迎えた今でも矛盾が解消されることなく、子どもを持つ女性たちの首を絞め続けている。

テレビや雑誌などでは「貧困」がコンテンツにされやすいが、「女性の貧困」、特に性風俗や売春で生活費を稼いでいるケースなどはウケがよく、人気がはっきりと数字に反映される。

女性の、特に性産業に従事する人の貧困ばかりを扱うメディアたちは貧困問題を報じたいのではない。彼女たちを二重、三重に性的搾取しているだけであり、肝心な「女性が陥りやすい貧困」の背景には触れようともしない。

解消されない「男女の賃金格差」

先述のどおり、日本ではまだ「女性が自由に職業選択をしながらひとりで生きていく」環境が整っているとは言えない。もちろん自分の思うようなキャリアを実現している女性も存在するが、そうはできない女性もまだまだ多い。


特に「女性が家庭に入ること」が一般的だった時代に結婚・出産をした女性たちは、就業経験がないまま「女性も働くのが普通」の時代に入ってしまった。しかし、例えば50代で職歴のない女性が就労の意思を持っていても、「ひとりで生きていけるだけの収入」を得られる仕事に就くことは難しい。

就労が困難な状況は夫婦共働きならまだしも、シングルマザーであればなおさら地獄だ。「労働政策研究・研修機構」が2018年に調査したデータによると、最低限度の生活も維持できないと考えられる統計上の境界線「貧困線」を下回っている世帯の割合は、母子世帯の貧困率は51.4%で、過半数を超えていた。父子世帯の22.9%、ふたり親世帯の5.9%と比べても、母子世帯の貧困率が圧倒的に高いことがわかる。


賃金差もいまだ大きい(画像:『年収100万円で生きる(扶桑社)』より)

さらに、可処分所得が貧困線の50%を満たない「ディープ・プア」世帯の割合は、母子世帯が13.3%、父子世帯が8.6%、ふたり親世帯が0.5%だ。

困窮して追い詰められた女性の中には、昼の仕事とは別に売春や風俗の仕事を掛け持ちすることでなんとか食い繋ぐ人たちもいる。彼女たちの仕事は楽に稼げるものではないし、極めて高いリスクを伴う。それでも、生活を支えるためにはこうした働き方を選ばざるを得なかったのだ。

家父長制における「女は家庭に入るもの」といった考えは、女性によって培われたものではない。にもかかわらず、時代の変化の狭間に取り残された女性たちは「働く気があれば仕事は何でもある」「専業主婦で楽をしてきたのだから仕事に就けなくても自業自得」などと、安易に切り捨てられたりする。

「今の日本に男女格差はない」は、本当だろうか。