U-19日本代表の主力のひとりと目される武田。今季、青森山田高から浦和に加入してルーキーイヤーを迎えている。写真:松尾祐希

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 1年前、影山雅永監督はポーランドの地で静かにピッチを見つめていた。

 2019年6月4日に行なわれたFIFA U-20ワールドカップのラウンドオブ16。ポーランドの南西に位置するルブリンでU-20日本代表は長年の宿敵・韓国に0−1で敗れた。前半からライバルを圧倒するも肝心のゴールを奪えず、前半を終えてスコアレス。後半開始早々にゴール前のルーズボールを郷家友太(神戸)が押し込んだが、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)によってオフサイドの判定を下されてしまう。一瞬にして歓喜の輪が解けると、以降は一進一退の攻防が続いた。そして、残り5分を切った最終盤。菅原由勢(AZ)のクリアミスからクロスを入れられると、オ・セフンにゴールを許して勝負が決した。

 届きそうで届かなかったベスト8。影山監督は試合後に悔しさを滲ませた。

「前半と後半ガラッと変わった戦いの中でも、しっかりと対応して最後の最後まで戦ってくれた選手を誇りに思っています。このチームとしては、ここで解散になってしまいますが、彼らの次のステップ、所属チーム、そしてさらなる上のカテゴリーでの活躍につなげてほしい」

 2大会連続のベスト16に終わった戦いから1年。影山監督は再び同年代のチームを率い、新たな挑戦をスタートさせている。

 今回、影山監督が預かるのは2001年生まれ以降の選手たち。目標は来年5月にインドネシアで開催されるFIFA U-20ワールドカップで、チームは2019年2月から本格的に始動した。同年秋にはAFC U-19アジア選手権予選を1位で突破。ベスト4以上に与えられるワールドカップの出場権※を懸け、今秋に行なわれる同大会へ挑む権利を得た(※U-20ワールドカップの開催国・インドネシアがベスト4以上に入った場合のみ、5位まで出場可能)。

 前回の経験もあり、指揮官は今回のチームを構築するビジョンをより明確に描いていた。影山監督は言う。

「現行の大会方式を踏まえ、U-20ワールドカップを目指すこの世代は3年計画で動いていきました。僕自身もこのカテゴリーを任されるのは2回目。前回の大会を経験してチーム作りが正しかったと感じる部分もありましたし、さらにもっと良い成績を収めて選手を活躍させる上でもっと改善できる点もいくつかありました。

 どのカテゴリーでもワールドカップの経験は彼らにとってかけがえのない経験値になります。なので、昨秋のU-17ワールドカップに出場していたメンバーをU-18代表の活動には大会を終えるまで一切呼びませんでした。その中で昨年11月にU-19アジア選手権予選を突破し、今年は選手を融合させながら競争を激化させて本大会に挑むつもりでした。チームを壊すまでは言いませんが、一旦出来上がったチームに新しいメンバーを加えて競争し、最終予選に向かっていくつもりだったんです」
 
 去年のメンバー編成を見ても、U-17とU-18のカテゴリーを明確に棲み分けていた。実際に初めて下の世代から選手を呼んだのは、各年代のワールドカップを終わったタイミングで行なわれた12月の福島合宿。そこで三つ巴の紅白戦を行なった際もコアメンバー組、U-17ワールドカップ組、それ以外の3つに分け、意図的に彼らの競争心を煽った。

 迎えた2020年。今年2月のスペイン遠征ではU-19世代に組み込む選手を発掘するべくU-18の年代で海外に足を運んだ。そして、迎えた3月。U-19アジア選手権が開催されるウズベキスタンで、本大会を睨んだシミュレーションを行なおうとしていた矢先に大きな問題が発生する。新型コロナウイルスの影響で全ての活動がストップしたのだ。

「U-19代表は昨秋のアジア選手権予選のベトナム遠征以降、一度も海外で活動できていないんです。本当は3月にウズベキスタンで本大会のシミュレーションをするつもりでした。前回のチームも同じ時期に(U-19アジア選手権が行なわれた)インドネシアで開催地の環境を知ってもらったんです。体調不良の選手が出たりもしましたが、『本番でこうなるとマズイぞ』というのを学べたので起こり得る様々な事象を事前に体験できました。でも、今回は全くできません」(影山監督)