名古屋を強豪に押し上げたヴェンゲル監督はアーセナルへ引き抜かれ、惜しまれつつ日本を去った。(C) Getty Images

写真拡大 (全3枚)

 Jリーグが中断中のなか、「DAZN」では「Re-Live」と称して過去の名勝負を放送中だ。現在配信中の1995年のJ1セカンドステージ第1節、名古屋グランパス対ジュビロ磐田で解説を務めた中西哲生氏に、この試合、そしてアーセン・ヴェンゲル監督に率いられた当時の名古屋のエピソードを伺った。フランス合宿を経て、生まれ変わったチームは、ドラガン・ストイコビッチを中心に「記憶に残るサッカー」でクラブ初タイトルへと突き進んで行った。

―――◆――◆―――
 
――中断明けから怒涛の巻き返しを見せ、第1ステージは4位でした。迎えた第2ステージの開幕戦で当たった磐田には、第1ステージで2−6の完敗を喫しています。

「ヴェンゲルにめちゃくちゃ怒られたので、大敗したのはよく覚えています。ただ、この頃にはもうチームの状態が良くて、自信も生まれていたし、やるべきことをみんなだんだん理解できていたので、もうサッカーが楽しくて仕方がない、という感じでした。そういう意味で、この試合に臨むに当たっても、自分たちの良さを出すんだという事にフォーカスできていたと思います。

 もともとヴェンゲルは、開幕戦とか決勝戦みたいな大事なゲームの時は、比較的指示がシンプルで、あまり細かいことを言わないんですよ。我々のプレーをちゃんと見せよう、みたいな感じで。第1ステージの終盤はずっと勝っていたので、やるべきことは分かっていたし、迷いもなくシンプルな気持ちでこのゲームに入れたと思います」

――結果は4−0の完勝。ストイコビッチ選手が全ゴールに絡みました。

「覚えています。この頃のストイコビッチは、誰も止められなかった。彼自身の身体がキレていたというのもありますけど、周りがようやく彼に貢献できるようになってきた。要するにアイツの前に選択肢が増えれば増えるほど、活きるわけですよ。アイツの周りを追い越していけば、自分がボールを受けられなくても、ストイコビッチにとっては選択肢がひとつ増えて、相手にとっては対応しづらい状況になるわけじゃないですか。そこがすごく良くなった。どこに出そうかなみたいな感じで、楽しそうにプレーしていましたね」
 
――優勝候補にも挙げられていた磐田に圧勝でした。

「やはり6月のヴェルサイユ合宿が大きかったですね。戦術的な部分で理解が進んだのもありますが、シンプルにたくさん走ったので。ヴェンゲルを先頭にヴェルサイユ宮殿の周りをひたすら走るんですよ。だいたい45分ぐらいだったかな。道がわからないから、行きは付いて行くだけなんですけど、帰りはホテルを目指せばいいので、みんな少しでも速く走ろうとヴェンゲルを追い抜いて行くんです。めちゃくちゃ速かったのが、(フランク・)デュリックス、あと岡山(哲也)ですね。

 ヴェンゲルから、夏になって走っても遅い、体力をつける前に身体がへばってしまう。6月にしっかり走らなきゃダメだという事は言われてたので、みんなが必要性を感じてどんどんスピードを上げるんです。だから、走らされてるという感覚はなかったですね。実際、この磐田戦もめちゃくちゃ暑かったんですけど、みんな走れてましたからね。ピクシー(ストイコビッチ)も」

――就任1年目ですが、ヴェンゲル監督は日本の夏を乗り越える準備をしていたんですね。

「名古屋は蒸し暑いんですが、夏場になっても“追い越す”ランニング量が減らなかったので、調子を落とさなかった。フランスで『追い越すサッカーをするぞ』と走り込んだおかげです。そう考えると、やはりヴェンゲルが凄い監督だなと」
 
――その後も好調を維持して優勝争いを演じました。

「セカンドステージは優勝できるかもしれない、そんな雰囲気はありました。実際、第2節にも勝って、クラブ史上初めて首位に立ちました。まだ2試合ですけど、その後もガンバと鹿島に勝って4連勝しましたし、Jリーグが始まって以来、グランパスが首位になった事はなかったので、かなり盛り上がっていたと思います」