自意識のねじれた青少年が大人になり『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と和解できた理由 今夜金ロー放送

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 『バック・トゥ・ザ・フューチャー(以下BTTF)』は、間違いなくものすごく面白い映画である。ハラハラドキドキさせつつも、初見でも「この映画はちゃんと綺麗に楽しく終わってくれるな」という予感を持たせるストーリー、魅力的なキャラクター、かっこよさの中にユーモアも感じさせるガジェットやメカ、ウィットに富んだセリフ……。もうどこからどう見ても面白い。1985年に公開されて以来、35年の間ずっと人気があるというのもよくわかる。

だがしかし、おれはなんとなくBTTFが苦手である。嫌いというわけではない。上に書いたように、とても面白い映画だと思っている。しかしこの、スキのない面白さが曲者なのである。なんというか、BTTFは優等生っぽく見えるのだ。誰からも好かれるし、実際性格のいいクラスの人気者のような映画だと思う。親世代にも受けがいいから、お父さんやお母さんと一緒に観ても全然OK。「好きな映画は?」と聞かれた時に、BTTFと答えておけばとりあえず大丈夫……BTTFは、そんな映画だと思う。

こういう、非の打ち所のない人気者とぶつかった時、自意識を持て余している人間はヒネた態度をとりがちである。おれも実際のところ、BTTFに対してはそういう態度を取り続けていた。特に、思春期以降は大変だ。お父さんお母さんと一緒に観られるような健全な映画は、なんかダサい気がしてしまう。「やっぱり映画は爆発と破壊とエグいメカと宇宙人、それに生首とか流血がないと!!」と言いたくなり、やたらとホラー映画のTシャツ(色は黒)を着たがるような青少年だったおれには、品行方正で良心的なBTTFはどうにもヌルい優等生に見えたのである。

さらにいえば、多くの人がBTTFを面白いと言っているのもイヤだった。そういう年頃のヒネた人間は、とにかく「誰かと一緒」を嫌う。BTTFに罪はないのは知っている。誰が見ても面白い映画なんだから、誰もが面白いと言うに決まっている。しかし、おれは「好きな映画はBTTF!」という人間と一緒の存在にはなりたくない……! そういう複雑な心理が、おれをBTTFから遠ざけたのである。

実のところ、この気持ちにいまだに折り合いはついていない。ただ、この原稿を書くに当たってもう一度BTTFを観てみた時に、この映画の年代設定が気になった。BTTFの中での「現代」は1985年、そしてマーティが紛れ込んでしまう「過去」は1955年である。今現在から見れば、およそ35年前の少年が、そのさらに30年前にタイムスリップしたことになる。

ちょっと話はズレるが、日本での1980年代は色々な場所でリバイバルブームが起こった時期でもある。『ウルトラマン』などの往年の特撮作品の再評価とアーカイブの整備が行なわれ、素朴な怪獣のソフビ人形や絶版のプラモデルなどが価値を認められた。

また、北原照久らによってブリキのおもちゃなどのレトロトイがフィーチャーされ、単なる骨董ではないノスタルジーを誘う洒落たものとして扱われるようになった。1980年代は、当時から見て30年ほど前にあたる「戦後〜高度成長期」の時期を懐かしむだけの時間が、ちょうど経過した時代だったわけである。それは今、我々が1980年代を懐かしんだり新鮮に感じたりしているのと同じくらいの距離感である。

おそらく、BTTFでマーティがタイムスリップするのが1955年であるのは、それと同じ心理なのではないだろうか。アメリカ人にとっても、ベトナム戦争や公民権運動などで社会が疲弊する前の1950年代ごろは、古き良き時代だったはずだ。例えば、「自分が子供の頃に見たような能天気な宇宙活劇を作りたい」と『スター・ウォーズ』を撮ったくらい、過去を振り返ることに関しては天才的な男であるジョージ・ルーカスが、『アメリカン・グラフィティ』で題材にしていたのはアメリカ社会が不安定になる直前の1962年だった。1985年のアメリカ人のおじさんおばさんたちにしてみれば、世の中がくちゃくちゃになる前に能天気に青春を謳歌できた時代が、マーティがタイムスリップした時期だったはずである。

そう思ってこの映画を観ると、別の見え方があるようにも思う。要するにこの映画は、とびきり面白くて起伏に富んだ『三丁目の夕日』なのではないだろうか。溌剌としたマイケル・J・フォックスのキュートさに引きずられて青春映画のようにも見えるけど、根っこのところには「あの頃はよかったな……」という、案外おっさん臭い感傷が眠っているように思うのだ。

なんかピチピチした映画だと思っていたけど、この歳になっておれはようやく、BTTFに込められた感傷に気がつけたと思う。単なる優等生映画だと思っていたけど、実は案外年寄りじみた映画だったのである。この事実に気がついた時、おれはようやく、ちょっとBTTFと和解できそうな気がした。お前も完全無欠ではなかったんだな、BTTF……。

もっといえば、1985年の時点で1955年を懐かしんでいたBTTF自体が、すでに35年も前の映画である。1955〜1985年より長い時間が、BTTF公開時点から経過しているのだ。それはつまり、BTTFという映画や1985年という時代自体が、懐かしまれる対象になってしまっているということを示している。1955年のことを詳しく記憶している人なんて、もう立派な老人だ。BTTFを中心にして、ノスタルジーの入れ子構造が完成しているのだ。

そんな映画なので、今現在の若い人がBTTFを観ておっさんやおばさんと同じくらい面白がれるかどうかは正直わからない。この先BTTFは「万人が皆面白いという優等生映画」ではなく、「なんかよくわかんない、年寄り好みの昔の映画」という扱いに変わっていくのかもしれない。しかしその時こそ、自意識のねじれた青少年だったおれはBTTFと和解できる気がする。今からその時が、ちょっとだけ楽しみである。
(しげる)

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『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985 米)
6月12日(金)よる9時00分〜10時54分

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6月19日(金)よる9時00分〜10時54分

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6月26日(金)よる9時00分〜10時54分