35歳の若さでV川崎を率いた松木監督。当時は試合中の厳しい表情が印象的だった。写真:Jリーグフォト

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 5月28日発売号のサッカーダイジェストで「Jリーグ歴代最強チームはどこだ!?」という特集を組んだ。現役選手や元日本代表など総勢50名に「歴代最強チームのトップ3」をアンケートし、その回答を集計したところ、2位にランクインしたのが1993年のヴェルディ川崎だった(ちなみに、1位は2002年のジュビロ磐田)。

 ヴェルディ推しの回答を見ると、「キラキラした感じで見ていた」(大谷秀和)、「ラモス瑠偉さんを中心に華やかなチーム」(羽生直剛)、「当時のヴェルディのような華やかなチームは後にも先にもない」(福田正博)、「見ていてワクワクした」(坪井慶介)、「真のスター軍団」(加地亮)というように“華のあるチーム”という理由が目立った。

 当時のヴェルディには三浦知良(以下カズ)、ラモス瑠偉、北澤豪、武田修宏、柱谷哲二、都並敏史と日本代表メンバーがズラリと顔を揃え、名実ともにスター軍団だった。Jリーグ元年の1993年、日本に空前のサッカーブームが巻き起こるなか、その主役が当時のヴェルディと言っても過言ではなかった。サッカー少年たちの憧れの的と言い換えてもいいだろう。

 ただ、華やかな部分に目を奪われがちだが、シーズンを通しての戦いぶりは、山あり、谷ありだった。最終的に年間王者に輝く彼らの奮闘がどういうものだったのか。93年のリーグ開幕直前に監督となった松木安太郎に話を訊いてみた。
 
 前身の読売クラブ時代から勝つことが義務付けられた常勝軍団。そんなチームを率いるのは「凄いプレッシャーだった」という。

「監督として経験を積んだうえで、あの仕事をやれと言われても無理だろうね。むしろ、やりたくない仕事のひとつでしょ(笑)」

 監督経験がないまま松木は35歳という異例の若さで常勝軍団の指揮官になった。

「常勝軍団であると同時に人気チームでもあった。相当注目度が高かったから、僕自身だけではなくチーム全体としてプレッシャーを感じていたよね」

 練習場にはメディアの人間、サッカーファンが殺到。当時は「非公開」という概念もJリーグにはほとんどなかったので、情報は筒抜けだった。そのうえ、人気チームにありがちな“ヴェルディ潰し”にも遭った。

「まあ、いろいろと叩かれたよね。あること、ないこと。“ヴェルディ叩き”は新聞も含めてそれこそたくさんあったよ。(練習場で)すべての手の打ちを明かしているなか、そうした報道のプレッシャーとも戦わないといけない。メディアをコントロールすべき広報も今ほど優秀ではないから。もちろん当時のクラブ広報も頑張っていた。ただ、Jリーグ元年でしょ、過去の経験だけでは到底追いつかない部分があった。マスコミ対策に力を割けるかといえば難しいところもあった。そういう状況だったからね、一番難しい仕事を引き受けちゃったなと。タフじゃないと、あのチームの監督は務まらない。ベテランの監督さんだったら優勝できてなかったんじゃないかな? 僕みたいに、若くて、無謀で、突っ走るタイプのほうが良かったのかもしれない」

 松木の無謀で、突っ走るスタンスをよく表わしたのが当時のチーム作り。コーチにオランダ人のバルコムを指名した松木は、このクラブ伝統の“ブラジル流のサッカー”に欧州的エッセンスを加えようとしたのだ。実際、2ステージ制の第1ステージとなるサントリーシリーズには新たに助っ人としてオランダ人のマイヤーとハンセンが登録されていた。
 
 しかし、アメリカ・ワールドカップのアジア1次予選を戦っていた代表メンバーの合流も遅れ、チーム作りは思うように進まなかった。

「代表チームに7、8人取られていて、自分が監督に就任したのも結構ギリギリだったからね。いろんな意味で、準備という部分では物足りないところがあった」