「〇〇美術館展」にたいした作品が来ないワケとは? 「美術展」のウラオモテを元企画者の立場からお話しします(写真:baona/iStock)

新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言で、美術館や博物館が全国的に休館した。美術展に足を運びたい、再開館したらどの展示を見ようかと心待ちにしている人も多かっただろう。完全予約制や入場制限などの感染症対策を取りつつ徐々に再開館しているが、企画展などの再開は当面先といった対応を取っているところも多い。

拙著『美術展の不都合な真実』でも詳しく解説しているが、この機に「美術展」のウラオモテを、元企画者の立場からお話ししてみたい。まずは美術展における主な2タイプ、個展と「〇〇美術館展」の違いからだ。

個展とは、ある画家による作品群をそろえて見せるもの。この個展と正反対となる作りの展覧会が「〇〇美術館展」だ。ルーヴル美術館展、プラド美術館展、コートールド美術館展など、言ってみればこれらは海外の大美術館のコレクションが「引っ越し」してきたようなもので、これを「〇〇美術館展」や所蔵作品展と私は言っている。

「〇〇美術館展」が増えている理由

この方式は平成になって、テレビ局が展覧会に参入するようになってからますます増えた。日本にいながらにしてルーヴルなどの所蔵作品をまとめて見られるのは素晴らしいことだが、なぜこんなに多いのだろうか。

これは簡単に言うと、企画するのが容易だから。まず新聞社やテレビ局の事業部員が世界各国の大美術館に通い、とくに大規模修理の時期をつかむ。館内の大改装のためコレクションが「お蔵入り」になったり、閉館になったりする時期に合わせて、そこから50〜80点を借りるのだ。

このタイミングはその美術館の目玉と言われる作品が出品されるチャンスでもある。そして新聞社やテレビ局はだいたい1本の展覧会につき1億円から3億円くらいまでの借用料を払う。受け取った海外の美術館はそのお金を大規模修理の費用に充てるわけだ。

作品借用料という名目ではなく、「メセナ(企業によるアートの支援事業)」の形を取る場合も多い。

例えば、パリのポンピドゥー国立芸術文化センターの手前にある「ブランクーシ・アトリエ」は、1997年に東京都現代美術館で開催された「ポンピドー・コレクション展」の開催のために朝日新聞社が約3億円を寄付したお金で修復された。その入り口には、「朝日新聞の支援によって修復されました」という銘板がある。


「ブランクーシ・アトリエは朝日新聞の支援によって修復されました」と刻印されている(写真:『美術展の不都合な真実』より)

パリのギメ東洋美術館には経団連の寄付を書いた銘板があり、ルーヴル美術館には《モナ・リザ》の展示室など数カ所に日本テレビの寄付が書かれている。

いずれにしても新聞社やテレビ局は億単位の大金を払い、「〇〇美術館展」を日本で開催する権利を得る。もちろん「ルーヴル美術館展」や「大英博物館展」は日本で何度も開催されているので、そのたびごとにテーマを選ぶ。

例えば「肖像画」「風景画」「子供」「ヌード」などのテーマを毎回ひねり出しては、展示する。それでも1カ所に大金を払えば、そこの美術館からの作品だけでできるので、企画の手間としては楽ではある。海外の美術館と日本のマスコミが大きなテーマを話して合意に達すれば、その館は具体的に貸し出す作品を選ぶ学芸員を指名する。

「個展」はこれほど難しい

対して「個展」では作品をどう集めるか。例えばセザンヌ展を開催するとしよう。正直に言って、日本でこれを一からやるのはかなり難しい。日本で所蔵されているセザンヌの数は少なく、海外の何十カ所の美術館との交渉が必要だが、日本にはそれをできる学芸員もマスコミの事業部員もまずいないからだ。

これがパリのオルセー美術館が「セザンヌ展」をやるとなったら、話が違ってくる。19世紀の印象派の画家の作品を所蔵するこの美術館には、多くのセザンヌ作品があり、世界各地の有名美術館とのつながりも強い。たちまち各館から作品が集まって開催となるはずだ。

だから日本でのセザンヌ展は、このオルセー美術館の企画を早めに知ってそのまま日本への巡回をしてもらうか、あるいは外国人の著名な監修者にお金を払って作品を集めてもらうかだろう。どちらにしてもお金で解決するしかない。

そして実際に開催となっても大変だ。各地の美術館からの出品は作品輸送費も嵩むし、貸し出す美術館ごとに作品輸送に同行する担当者「クーリエ」のビジネスクラスでの招待が必要になる。ロシアや中南米ではよくあることだが、美術館によっては1点につきかなり高い借用料を取るところもある。

かつて同僚が「ケルト美術展」を東京都美術館で企画したことがあった。チェコ人の著名なケルト美術専門家を立てて、20近くの美術館から作品を借りる手間はとんでもなく大きかった。

開催1年半前には、その専門家と欧州各地の美術館を回って交渉をしていた。それから各美術館の要望を聞きながら運送会社や保険会社を手配する。開催直前のクーリエの航空券の手配だけでも大変だし、作品と同時に彼らが到着するとその対応に追われていたことを思い出す。

平成になって、民放テレビ局が美術展の主催に入ることが増えたことは先に述べた。一番活発に動いているのは、ルーヴル美術館から3、4年に一度作品を借りて「ルーヴル展」を企画している日本テレビだろう。

フジテレビは「ニューヨーク近代美術館展」を定期的に開催しているし、TBSテレビはウィーン美術史美術館と2022年まで10年間のパートナー契約を結んでおり、2019年秋には国立西洋美術館で「ハプスブルク展」が開催されている。

テレビ局は時間のかかる出品交渉を嫌う傾向にある。新聞社は体質的に日本の学芸員とじっくり話し合って多くの内外の美術館から作品を借りる手間をいとわない。新聞社の事業部には大学で美術史を勉強した者も多く、なかには元美術館学芸員もいるからだ。

だが、テレビ局はそのような学術的な準備は苦手で、内容はすべて学芸員に任せる傾向にある。そこで「手っ取り早い」方法が、海外の有名美術館に億単位のお金を渡して「〇〇美術館展」を開くことなのだ。テレビ局は目玉となる作品が中に含まれるかだけを気にすればいい。

新聞社とテレビ局が組むと…

テレビ広告の長期的な減少に悩む民放は、「放送外収入」として通販や映画製作、イベント、配信など、テレビ番組のスポンサー収入以外の収益を求め始めた。展覧会はあくまでその「イベント」の一部なので、一応は展覧会の社会的・文化的意義を考える新聞社と違って、テレビ局はすべての展覧会で収益を得ることが基本にある。

その点でも有名美術館展は手間もかからないうえに、まず美術館の名前が有名だから当たる可能性が高い。そのうえ、特別番組を作れば宣伝になるうえ、番組スポンサーも得やすい。

新聞社とテレビ局が組むと双方にメリットがある。従来型のインテリ・中高年中心の新聞の読者層に比べて、テレビはもっと若く大衆的な層に訴えかけることができるからこの二者が組めば客層を相互補完できる。

民放テレビ局が展覧会の企画をしていなかったときは、新聞社はまずNHKと組むことを狙った。人気番組「日曜美術館」などでの紹介の可能性が増えるし、事業部員のまじめさも体質的にも近かったからだ。

ところがNHKは2001年以降、番組改変問題などで受信料不払い運動が起こったのをきっかけに「事業局」を廃止して、「視聴者総局」の下の「事業センター」にして、それまでの金儲け的な要素の強かった展覧会路線を縮小した。

その分、新聞社は民放局と組み始めたが、通常は系列局と組むのが常識だ。つまり朝日新聞社はテレビ朝日、読売新聞社は日本テレビ、毎日新聞社はTBSテレビ、日本経済新聞社はテレビ東京、産経新聞社はフジテレビだが、最近はこれ以外の組み合わせも増えた。

2019年春に国立新美術館で開催の「トルコ文化年2019 トルコ至宝展 チューリップの宮殿 トプカプの美」は日本経済新聞社とTBSテレビが主催であり、2019年秋の「ハプスブルク展」はTBSテレビと朝日新聞社が主催である。

同じ「主催」でも、先に会社名を書いてある方が主導権を握っている。だから「ハプスブルク展」はTBSテレビが中心である。読売新聞社は系列の日本テレビとよく組むが、同じような「〇〇美術館展」でも内容に工夫がある展覧会は読売新聞社、日本テレビの順に並んでいることがわかる。

たいした作品は来ない

海外の有名美術館の「引っ越し」のような「〇〇美術館展」。頼みもしないのに資金のあるマスコミが借りてきてくれるから、観客はわざわざ海外に行くこともなく、わずか1700円で世界の名品を見ることができる。税金が使われているわけでもないし、いいじゃないかと思われるかもしれない。だが実はそこには、いくつかの問題がある。


ルーブル美術館のモナ・リザの部屋は観光客でごった返している(筆者撮影)

まず第一に、たいした作品は来ない。レベルの高い作品は2、3点のみの場合が多い。海外の有名美術館には、例えばルーヴルの《モナ・リザ》のようにそれを目当てに多くの観光客が押し寄せる。だから本当の目玉作品は動かすわけにはいかない

名の知れた画家のあまり有名でない作品を遮二無二目玉にし、テーマを設定してそれ以外のよく知られていない同時期や同テーマの画家や彫刻家の作品を50点から80点ほど集めて「展覧会」にしているというわけだ。


大英博物館で言うと800万点が所蔵されており、大半は展示されずに倉庫にある。だから100点に満たない作品は何百回でも貸し出せる。

マスコミ、とくにテレビは収益を上げるために特別番組を組み、テレビスポットを打つ。一緒に組んだ新聞社でも一頁特集を数回組む。それらを見ていると、どうしても行きたい気分になってくる。ところが行ってみると長蛇の列。

だいたい1日に3000人入ると大きめの美術館でも「混んでいる」感じがするのだが、当たる展覧会の最終日近くの土日は1万人を押し込む。そうなると入場するのに1、2時間かかることはザラ。

先述したように、これでは人の頭を見に行くようなもので、とても落ち着いて作品を見ることはできない。新聞社は「文化催事」というが、およそ非文化的な光景がそこにはある。