アメリカ・ワールドカップ予選を突破していれば…。福田には違う人生が待っていたかもしれない。(C)サッカーダイジェスト

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 ドーハの悲劇があったから、日本のサッカー界は大きく発展できた──。そういう類の話が、福田正博は好きではない。

 1993年10月28日、カタールの首都ドーハで開催されたアメリカ・ワールドカップのアジア最終予選、勝てばその時点でアメリカ行きが決まるイラク戦で試合終了間際まで2−1とリードしていた日本が土壇場で追いつかれ、予選敗退を喫してしまったのが、ドーハの悲劇。この経験があったからこそ、次のワールドカップ予選を突破できたとの見方もあるが、福田はそれを否定する。

「アメリカ・ワールドカップに出場していたら、フランス大会はまた違うふうになっていたよ。ドーハがあったから次があるという解釈は、当事者からすると嫌。確かに、失敗から学ぶものはある。でも、極論を言えば、失敗しないほうが絶対にいい」

 そして福田はこう続けた。「ワールドカップに出ていたら、また違う人生を歩んでいた」と。

確かに、ドーハの悲劇があったから、その悔しさを糧に自身のプレーを磨き、95年シーズンに日本人初のJリーグ得点になったと、そんな捉え方もできる。しかし、福田の見解は違う。

「ドーハの悲劇、得点王はそれぞれ違う出来事。簡単に結び付けることはできない。あくまで結果論と、個人的にはそう結論づけている。もしワールドカップに出ていたら、もっと凄いことをやっていたかもしれないし、失敗はしないに限るというのが持論だ」
 
 では、福田はドーハの悲劇で何を知ったのか。

「ドーハがあったからどうのではなく、あそこでサッカーのいろんな厳しさを知ったのは事実。いろんな人たちがね。人生懸けて取り組んでいたものが根こそぎ持っていかれる感じ。これは当事者にしか分からない感覚だと思う。10数秒で天国から地獄に突き落とされるわけだから、サッカーって本当に難しい」

 ドーハの悲劇は“悲劇”であって美談では決してない。過去は美化されやすいと言うが、当事者の福田曰く「ドーハでの出来事は美化できるものではない」。
 
 それでも、ここまで読み進めて「あの悲劇があったからこそ…」と思う人もまだいるだろう。ただ、当事者にしか分からない事情というものがある。少なくとも、福田にとってドーハの悲劇はデリケートな出来事だ。

「現役の時は話したくなかった。話せるようになったのは現役を退いてから。それでも、話さなくていいなら、しゃべりたくない話ではあるよ。俺には(ワールドカップ最終予選で)何もできなかったという自覚がある。でも、できなかったことを話して正当化してしまう感じになってしまう時もある。正直、上手く伝えられるか不安はあるよ。話しながらも自分のいいように解釈している部分はあるし、この話はとにかくデリケート。(サッカーは)個人ではなくチームスポーツだからね。誰かを批判するつもりはないし、だからといって自分が何もできなかったと言葉に出して肯定するのも嫌な感じがする。語るうえで、難しさは感じてしまう」
 
 当事者にしか見えない真実。アメリカ・ワールドカップ予選でイラクと引き分けて以来、その試合の映像を福田は自ら観ることはない。

取材・文●白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)

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