今季から京都でプレーする中川。これまでのキャリアを振り返ってくれた。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)

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 埼玉県で生まれ育ち、地元の名門である武南ジュニアユース、武南高とキャリアを歩んできた京都の中川風希。高校2年次にはインターハイで全国準優勝を経験した。そして一昨季は琉球でJ3優勝、昨季は横浜でJ1優勝。一見、順風満帆のサッカー人生に見えるが――。 

 ここでは小学校時代から中学、高校、さらにはスペインでプレーしていた時について語ってもらった。中川のキャリアを振り返っていこう。

――◆――◆――

――サッカーを始めたきっかけは?
「親父が野球をやっていたので、(僕にも)野球をやらせたかったらしいです。ただ、幼稚園にはサッカークラブしかなくて、とりあえずスポーツをする意味でサッカーを始めました」

――小さい頃から攻撃的なポジション?
「バラバラです。小学生まではアタッカーで、中学から高1まではCBを中心にSBもやっていました。僕は絶対にディフェンスの選手じゃないと思っていたんですけど、当時のコーチに言われて……。そのあと高2でトップ下、高3でFWとしてプレーするようになりましたね」
 
――攻撃的な印象が強いので、CBでのイメージが沸かないですね。
「なぜCBだったのか自分でも分からない(笑)。ただ、ずっと試合には出させてもらっていました」

――高校は埼玉の強豪の武南高に進学しましたね。
「武南に進学しても試合に絡めないと思って、正直行きたくなかった。でも武南のジュニアユースでずっと主力で出させてもらっていたので、周囲から『高校も武南に行かなきゃやばい』と圧を受けていたような気がしました(笑)」

――実際に入学してみてどうでした?
「部員が1学年で80人くらいいて、3学年トータルでは200人を超えていました。『すげーところに来ちゃったな』と。試合に出始めたのは高3です」

――高2までは試合に絡めなかった?
「高2の時にチームがインターハイで全国準優勝したんですけど、当時、同級生が5人くらいスタメンで出ていて、ベンチでは2年生が僕だけでした。すごくもどかしくて、悔しかったですね。何もできていないと思いながらの準優勝でした」
 
――高3次の選手権では埼玉県大会の準決勝で敗れました。夢だった選手権へは出場できず、切り替えに苦労したのでは?
「選手権出場が夢だったので、その後のことは何も考えられなかったです……」

――ただ、大学でもサッカーを続けましたよね。
「なんとか練習参加を経て関東学院大に入れたんですけど、入学してすぐ前十字靭帯を切ってしまって。大学は1年の途中で辞めちゃいました」

――その後、スペインでプレーした経緯を教えてください。
「小さい頃から海外でプレーしてみたいと思っていて。大学を辞めた時、怪我でサッカーのモチベーションは下がっていたんですけど、ちょうど高校の後輩がスペインに行くと言っていているのを聞いて、再びやる気が出ましたね。すぐに留学をサポートしてくれる会社に行きました」

――親の反応は?
「母親には自由にしなさいと言われたんですけど、父親には反対されました。ただ、何度も話し合いをして最終的に僕の意思が固かったので、認めてくれました」
 
――実際にスペインでプレーした感想は?
「最初、練習に参加した時は『想像していたスペインのレベルじゃない』と思いました。もちろんみんなが働きながらサッカーをしていた6部のチームだったということもありますが、技術は僕のほうが高かったです。ただ、いざ試合になると何もできない。身体がでかくてリーチもある。そこで『海外ってこういうことか』と少し楽しくなってきて、いろんな試行錯誤を重ねました」

――具体的には?
「とにかく数字にこだわる。得点を取らないと認められないというか、パスが来ない。だからリターンも来ないんです。そこで個人で打開する力が身に付いたと思います」