日本企業では「なぜその仕事をするのか」を問うよりも、「その仕事をどうやるか」というハウツーが重視されがちだ。企業コンサルタントの柴田昌治氏は「予定調和の価値観は高度経済成長期の日本を支えてきた。しかし、こうした文化が残る企業はこれからの時代に生き残れない」と指摘する――。

※本稿は、柴田昌治『なぜ、それでも会社は変われないのか 危機を突破する最強の「経営チーム」』(日本経済新聞出版)の一部を再編集したものです。

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■本質を考えられない日本人独特の思考

第二次世界大戦での敗戦後、一度はドン底にまで落ち込んだ日本です。しかし、世界も驚くほどのスピードで復興を遂げ、短期間でめざましい経済成長を遂げました。

そんな日本の高度経済成長を支えたものとして、一つ、見逃してはならない事実があります。

今まであまり取り上げられることはなかったのですが、日本人の思考パターンには、よくよく考えてみれば誰にでも覚えのある大きな特性があるのです。

それは、つねに「どうやるか」に思考が向きやすい、という特徴です。

日本のビジネス雑誌なども、よく見てみると本質を探るというよりは「どうやるか」に絞ったテーマが目につきます。書店にハウツー本が並ぶのも日本に特徴的な傾向です。そういう意味では、日本には他国に類を見ない「ハウツー」の豊かな文化がある。ハウツーの引き出しが豊富なのは、まさに日本文化の際立った特性なのです。

このことは何を意味しているのかというと、何かに取り組もうという時、その目的や意味を考えることなしに(なんとはなしにまさに空気のように)、手っ取り早く手段を手に入れて使いこなし、加工して行動するという応用の器用さと処理能力に並外れていたということです。

こうした思考の特性は、日本人の多くが当たり前のこととして共有し身につけている、という点が注目すべきところです。ドン底からの復興というわかりやすい目標のもとでは、四の五の考えず、がむしゃらに頑張りさえすれば結果がついてきたのです。困窮の状況から立ち上がっていく経済の成長局面では、この処理能力の高さが大きな役割を果たした、ということです。

■目の前の結果を見る環境が「予定調和」を生んだ

戦後の経済成長期は、人口の急速な増大を背景に需要が供給をはるかに上回る、つくれば売れた時代です。努力をすれば、それがそのまま結果に跳ね返るという市場環境も時代に勢いを与えました。他方では、民主主義という新しい考えが持ち込まれ、労働争議などによる混乱など、乗り越えねばならない壁もたくさんありました。しかし、すぐには解決しない面倒な問題に向き合うことに時間を割くよりは、組織人としてまっしぐらに目の前を見て、つくる、売る努力をすることが結果につながっていく時代だったのです。

ふり返ってみれば、物事の本質に向き合うというよりは、すでにある知識やスキルを応用して「どうやるか」を考えることにかけては非常に優れた能力を発揮してきたのが日本人だったということです。

国を挙げてみんなが復興という一つの目標に専心し、集中する。そのために必要とされたのは、働く人が何も考えず「働きバチ」のように目の前のことに集中できる安定した社会環境と、規律的な生産の体制です。

こうした時代の要請に見事にフィットしたのが、組織の安定を確実なものにする「予定調和の価値観」です。会社に忠誠を誓い、序列に従って各人が与えられた持ち場で役割を全うするという立場を守り、決められた結果に向かうレールの上をひた走る、という環境設計の中で日本人の勤勉な資質は存分に発揮されたからです。

■政党から組合、宗教団体にまで深く根を張っている

予定調和というのは、個々の自由裁量やわき見、道草を認めない「閉じた組織」の価値観です。企業組織でいうなら、事実・実態を大切にして問題を掘り下げていくことは避けて、とりあえず表向きの体裁を整えることを優先する価値観です。何か起こるたびに立ち止まり、事実・実態から問題をつかんで究明するという仕事の仕方は時間がかかりすぎます。そんなことにいちいち手間を取られるくらいなら、とりあえずその場を収めて先に進むことを優先するわけです。

そうした価値基準を徹底し、予定どおりに組織だって動くために必要な規律を守って安定を乱さないように自己規制を促すものが、調整文化が発する空気だったのです。

私が「調整文化」と言っているのは、こうした戦後日本の急速な発展を下支えしてきた社会感覚、個人よりも国や組織の秩序を優先する強固な予定調和の文化のことです。

忘れてはならないのは、こうした考え方や価値観は、そもそも日本の風土的な思考・姿勢に則っていたため、極めて自然な形で私たちの会社生活を含めた社会生活全般に溶け込んでいるということです。

日本におけるさまざまな社会団体、業界組織や中央省庁、政党(保守、革新を問いません)、さらには労働組合や宗教団体までも含めて、極めて幅広い組織に深く浸透しているのです。伝統的か先進的かにかかわらず、日本の会社には上から下まで、今なお深く根を張っています。

■統一されているように見えて、思考停止している

調整文化の組織では、社員は指示どおりに動くことが当たり前です。逆に、指示されない限り勝手に動いてはなりません。個々が自分勝手に動かないことによって、全体としては意味のない動き、ムダな動きが減り、組織としての整合性、統一性がとりやすくなるからです。

しかし、よく考えてみれば「指示されないと動かない」というのは、その限りでは「思考停止の状態」です。

もちろん、指示がないと動かないとはいっても、現実には、直接の指示なしに動かざるをえないことはたくさんあります。そういう場合はどうなるかというと、「立場に沿って動く」という組織人としての心得が指示と同じような役割を果たします。各人が組織の中で与えられたそれぞれの立場を守って動いていれば、同じように組織としての整合性、統一性はとれるのです。

上の指示に従い、立場なりの役割を果たすことが第一義だとすると、そこで社員に求められる判断というのはごく限定的なものです。目的を考えたりするための視野の広さや全体観は必要ありません。

■「それ意味ありますか?」と聞く人間は面倒な存在

このような立場意識がつねに判断基準になっていると、社員は次第に「立場」という視座からしか物事を見なくなります。業務上でも立場として発想し、伝達するというやりとりになると、組織の中を流れるのは事実情報よりもタテマエの情報が多くなってきます。組織主体ですべての物事が動く中では、個人の思いや志などを表に出しにくくなるのは当然です。そもそも個人の思いや志など求められていないからです。

組織のメンバーが折にふれ、お互いの心の内を知り合うことがなくなってしまうと、人と人との信頼関係は成り立たなくなります。それは組織本来の機能としては致命的な問題なのですが、調整文化の中では、そうしたよけいな思考が入り込まない安定状態に人々の行動が収まっていることが組織にとっては都合のいい調和状態なのです。

したがって組織人に求められるのも、そういう制約条件の範囲内で動くための作法を身につけることです。作法といっても、“空気を読んで動く”ことなども含めた暗黙のルールであり、必ずしも統一的な基準や手順として明示されているわけではありません。だからこそ、周りの空気を察知して「どうやるか」を考え、うまく立ち回る能力を持つ人間が組織人として優秀であると評価されることになります。

そういうわきまえた人間が大半を占める組織の中では、現状に疑問を持ったり「それをやることにどういう意味があるのか」などと考えたりする人間は、空気の読めない面倒な存在なのです。

■意味を考えないまま、手段が目的化している

調整文化の組織では、それぞれが「自分の持ち場で適切に業務執行する責任を持つのが仕事」という認識に立脚しています。この場合、目の前にある「やるべきこと」が仕事ですから、わざわざその仕事の意味や目的を考えたり、全体と自分のやっている仕事との関連性を見たりする必要性はありません。もともと傾向として、「どうやるか」という思考が強い人間が多数を占める日本の組織では、こうした思考姿勢によって、本来は手段であるはずのものがいつの間にか目的化してしまう、という本末転倒な状況が日常的に見られるのです。

たとえば、伝統的な日本企業における人事や総務の役割は、組織の安定を守ることです。

この場合、組織に安定をもたらすことは、本来、組織がその目的を達成するための手段であるはずです。安定自体が目的ではありません。つまり、組織がその目的である○○を達成するためには、組織の安定が必要ではあるけれど、本来の目的である○○を達成するためには、時には手段である安定には目をつぶり、少々の混乱をもたらすようなことがあってもおかしくはないはずです。

■企業改革も「延命治療」にすぎない

しかし、多くの場合、安定自体がいつの間にか目的になり、さらにはそこに価値を置くことにもなっていく。特に平成の時代以降は、そんな安定の品質過剰が起こっているケースが目立ちます。

本社スタッフの行なう「調整」も同じです。事実・実態に即し、問題解決に向かうために調整をするのではなく、目の前にある安定のため、予定調和的に収めることを最優先するために調整している。しかし、その意味はまるで自覚されていません。だから、一時しのぎでしかなくても、とりあえず問題を抑え込んで「なかったことにする」という問題を生む調整を続けている。「目的は何か」などとは考えず、調整自体を目的にしているのが調整文化なのです。

調整文化の中で行なわれる改革の代名詞は「延命治療」です。目先の混乱を避けるために安定を優先する考え方が調整文化ですから、何がなんでも延命治療に全力を尽くすのは当然の帰結といえます。

かつてのように景気が循環し、経済の低迷が続いたのちに神風が吹いては業績が回復していた時代ならば、よけいなことをしないで守りの経営に徹し、景気の浮揚を待つことも得策でした。あるいは、縮小均衡的な合理化によって身を削ることで、なんとか目先の危機的状況を切り抜けることもできました。

■「延命か挑戦か」を選択する時期にきている

しかし、平成の時代に入ると、地殻変動にも等しい経済や産業の構造変化が起こり、想定外の外部環境の変化に対して調整文化の組織が不適合を起こし始めました。もう今までのような延命治療が効かなくなったのです。そうなると、たとえば自社が長年やってきた事業であっても、すでに世の中がそれを必要としなくなってきているとしたら、早急に見切りをつけて新たな事業分野に踏み出さなくてはなりません。つまり、新陳代謝が不可欠なのです。

柴田昌治『なぜ、それでも会社は変われないのか 危機を突破する最強の「経営チーム」』(日本経済新聞出版)

しかし、わずかな例外を除いた多くの日本企業が、平成の時代を通じてズルズルと延命治療を続けた結果、市場からも将来価値に疑問符をつけられ、大きく企業価値と社会的地位を失墜しています。

新陳代謝が不可欠であるにもかかわらず、調整文化の代名詞である延命治療を続けてきた結果、生じている時代との不適合。今の企業の業績不振と経済の深刻な事態は、日本企業が抱える調整文化がもたらしている最大の弊害です。

変動、不確実、複雑、曖昧という4つの要素が絡み合った「VUCA」の時代に入ってもなお、これまでのような安定重視の現状維持路線を守り続けるのか、それとも時代に合わない文化から脱皮して、事実・実態重視の価値観を持つ挑戦の文化を獲得するのか。日本企業はこの選択を避けて通れないステージに立っているのです。

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柴田 昌治(しばた・まさはる)
スコラ・コンサルト プロセスデザイナー代表
1986年、日本企業の風土・体質改革を支援するスコラ・コンサルトを設立。これまでに延べ800社以上を支援し、文化や風土といった人のありようの面から企業変革に取り組む「プロセスデザイン」という手法を結実させた。著者に『なぜ会社は変われないのか』『なぜ社員はやる気をなくしているのか』『成果を出す会社はどう考え動くのか』『日本起業の組織風土改革』など多数。近著に『「できる人」が会社を滅ぼす』がある。
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(スコラ・コンサルト プロセスデザイナー代表 柴田 昌治)