02年シーズンは16得点の中山。得点王こそ高原(26ゴール)に譲ったが、要所でチームを救う貴重なゴールを決め、“完全優勝”に大きく貢献した。(C)J.LEAGUE PHOTOS

写真拡大 (全4枚)

 史上初となる両ステージ制覇の“完全優勝”を成し遂げた02年のジュビロ磐田。サッカーダイジェスト本誌6月11/25日合併号(5月28日発売)では、「Jリーグ歴代最強チームはどれだ!?」と題し、現役選手や元日本代表など総勢50名にアンケートを実施。断トツの得票数で堂々の1位に輝いたのが、この「02年の磐田」だ。

 飽くなきゴールへの渇望と闘争心溢れるプレーでチームを力強く牽引した中山雅史が、当時の比類なき強さと偉業達成の舞台裏について振り返る。

――◆――◆――
 それぞれの時代でチャンピオンになったチームがあるなかで、自分が戦っていたチームが1位に選ばれたのは非常に嬉しいですね。

 02年のチームは、01年のチームが熟成されたところもあると思います。この2シーズンはどちらも年間でわずか3敗。でも、01年は最後にチャンピオンシップで負けて優勝できなかった。その悔しい経験が自分たちをより一層、引き締めてくれた。

 02年は、勝っていても常に油断はしない、自分たちの戦いを貫く、勝利や勝負にこだわる――そういった部分を、メンバーみんなが持っていたはずです。みんながいろんなことに気づいて、細部にこだわって、問題点を改善しようとする。甘さを排除して、ここが足りない、このままではいけないという危機感や向上心を持って、チームは戦い続けていました。

 高原(直泰)との2トップは、お互いがお互いのポジションや動きを見ながらプレーできていました。どっちが先に動くかで、自分の動きやポジションを決める感じですね。高原は当時、かなりスーパープレーヤーになってきていて、僕の動きに合わせてくれるし、単独でもゴリゴリと行ける。頼りになりました。

 言葉を交わさずとも、連動できる。試合前やハーフタイムに少し話したり、アイコンタクトでタイミングを図ることはありましたけど、ほとんど声を掛け合っていなかったですね。

 コミュニケーションという意味では、中盤との関係性が大事でした。どこまでプレスをかけるのか、どこまで下がればいいのかとかを、後ろの選手がはっきり伝えてくれる。僕らはそれに従ってディフェンスするし、攻撃になれば、いち早く動き出す。攻守にわたって、2トップが最初に動いて、方向付けをしなければいけませんでしたから。
 
 年長者の立場として意識していたのは、気が緩まないようにすることや、チーム全体で質を高め合うことです。試合後のオフ明け一発目のトレーニング前、グラウンドに出てきたみんなを集めて、ほんの5分ぐらいですけど、少し話しをしたり。

 思うところがあるなら言い合おうとか、そういう声掛けはしていましたね。現状に満足しないように、妥協もしないで、もう一度、気合いを入れて戦っていくためにも、必要だと思って。

 もっとも、一人ひとりが成長していたし、それぞれがリーダーだという自覚もありました。だからみんな頼もしかったですよ。02年のジュビロは、そんなチームでしたね。

中山雅史
PROFILE なかやま・まさし/67年9月23日生まれ、静岡県出身。178センチ・72キロ。所属クラブは、ヤマハ/磐田―札幌―沼津。J1通算355試合・157得点、J2通算12試合・0得点、J3通算0試合・0得点、日本代表通算53試合・21得点。今季で現役29年目を数える不屈のストライカー。52歳となった今も、ひたむきにサッカーへの情熱を燃やし続ける。

取材・構成●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)

※『サッカーダイジェスト』2020年6月11・25日合併号より転載。

【詳細情報】2020年6月11.25日合併号