サッカー日本代表・心を揺さぶられたベストゲーム
第2回
1997年9月7日 ワールドカップ・アジア最終予選
日本 6−3 ウズベキスタン

 見る者の想いを背負い、世界トップクラスを目指して走りつづけてきたサッカー日本代表。その長い戦いのなかで、歴史を大きく動かした名勝負がある。このシリーズでは、各筆者がそれぞれの時代のベストゲームを紹介していく。

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絶対エースとして君臨していた当時30歳の三浦知良

 あとに訪れる”歓喜”を思えば、この試合の勝利に小さくない意味を見出せる。

 もっとも、その付加価値をもってしても、数々のドラマを生んだ日本代表の歴史において、印象度はさほど高いゲームではなかっただろう。

 ところが、あとに振り返れば、この試合にはひとつの重要な事実が浮かび上がる。日本のエースとして君臨してきた三浦知良が、最後に輝きを放った試合として--。

 1997年9月7日、日本代表は満員の国立競技場にウズベキスタン代表を迎えた。悲願のワールドカップ出場を目指したアジア最終予選の第1戦。背番号11の大エースは、当然のようにスタメンに名を連ねていた。


 キックオフ直前には、城彰二とともにボールに手を置き、祈りを込めるような仕草を見せた。そのエモーショナルな姿に、ワールドカップ出場にかける熱い想いが投影された。

 4年前、ドーハの悲劇を味わったカズにとって、並々ならぬ想いで迎えた一戦だろう。もっともその時のカズは、すでに衰えを指摘されていた。

 当時30歳。老け込むにはまだ早かったが、Jリーグでもパフォーマンスが上がらず、ゴールもなかなか奪えないでいた。動きにキレを失いつつあったのは、たしかだった。

 それでも日本代表では、3月から始まったアジア1次予選でゴールを量産。マカオ相手に6ゴールを奪うなど出場5試合で10得点。カズの代わりが務まる者はほかにおらず、最終予選でも日本の運命を左右する存在であることに変わりなかった。

 一方で最終予選に向けて、日本に不安がなかったわけではない。それはレギュレーションが急遽、ホーム&アウェー方式に変わったことだ。


「急遽決まったので、どうなるのかなという難しさがあった。未知なる戦いへの不安もありましたね」

 当時のチームで主軸を担っていた山口素弘は、のちにそう振り返っている。

 2002年のワールドカップが自国で開催されることも重圧となっていた。ワールドカップ未出場国がホスト国になるケースは過去になく、その悪しき前例を生み出したくなかったからだ。

 しかし、その不安をエースがあっさりと打ち払う。

 開始4分、井原正巳がエリア内で倒されてPKを獲得すると、当然とばかりにボールを持ってPKスポットに向かう。これを確実に決めて、先制ゴールを奪った。

 さらに23分にも、相馬直樹の左からの折り返しを合わせて追加点を奪取。4−1で迎えた64分には、高い位置でのボール奪取からそのまま持ち込み、3点目をマーク。2点差に詰め寄られた80分には、勝利を決定づける4点目を叩き込んだ。

 ワールドカップ出場をかけた重要な初陣で、圧巻の4ゴール。あらためてカズこそが日本のエースであることを証明する試合となったのだ。


 最終スコアは6−3。

 ド派手な打ち合いを制し、幸先の良いスタートを切ったことで、ワールドカップへの機運は一気に高まったかに見えた。だが、当の選手たちには違和感があったという。

「ポジティブな要素はあったけど、3失点を喫したのが気になった。試合中も井原(正巳)さんとかと、失点するたびに話をしていた。しっくりしない部分も当然あって、勝ったのは当然よかったけど、次に向けて手放しで喜べる試合ではなかった」

 山口のその言葉は的中した。以降、日本は勝利から遠ざかることになるのだ。

 続くUAE戦はドローに終わり、韓国との決戦では山口のスーパーループで先制しながら、逆転負け。そしてアウェーのカザフスタン戦で引き分けに終わり、加茂周監督が更迭される。

 しかし、岡田武史監督に代わっても事態は好転せず。ウズベキスタン、UAEにも引き分けて、ワールドカップ出場は大きく遠ざかった。

 その一連の戦いにおいて、カズはスタメン出場を続けたが、ゴールは奪えなかった。チームの戦い方に問題があったのはもちろん、エースの不振もまた、苦戦の大きな原因だった。


 その後、日本は韓国、カザフスタンを連破し、ジョホールバルでイランを下して、悲願のワールドカップ出場を果たした。

 しかし、その立役者となったのは、中田英寿であり、城であり、岡野雅行といった次世代の選手たち。大事な試合で結果を出し続けてきた絶対エースは、この予選で存在感を放てなかった。日本の歴史を変えたこのアジア最終予選は、世代交代を象徴する戦いでもあったのだ。

 そして翌年、岡田監督からご存知のとおりの通達を受け、カズはワールドカップの舞台に立つことはできなかった。

 その後、トルシエ体制となった2000年に代表復帰を果たし、アジアカップ予選のブルネイ戦、ハッサン2世国王杯のジャマイカ戦でゴールも決めている。しかし、そのジャマイカ戦を最後に、日本代表での勇姿は見られていない。

 結果的に、あのウズベキスタン戦が、カズが日本代表で最後に輝きを放った試合となったのだ。衰えを指摘されながらも4得点を奪えたのは、あるいは夢の舞台に立ちたいという執念が身体を突き動かしたのかもしれない。


 あれから、20年以上の月日が流れた。もちろん、とうにピークは過ぎている。もう、あの輝きは取り戻せないだろう。しかし、今なおピッチに立ち続けるこのレジェンドは、これからも新しい夢を見させてくれるのではないか。