「AIでオフィスのエネルギー消費を「半分」にする:研究者の野心的な目標は実現するか」の写真・リンク付きの記事はこちら

近代シンガポールの“建国の父”として知られるリー・クアンユーは、かつて自国の驚異的な経済成長はふたつの要因のおかげであると語った。それは多民族に対する寛容さと、エアコンである。

リーは2009年のインタヴューで次のように話している。「エアコンは、わたしたちにとって最も重要な発明でした。熱帯地域での発展が可能になり、文明の性質が変わったのです」

AIによるオフィスの省エネ化

世界人口の約半分が、2050年までに熱帯地域に居住するようになると予測されている。そして、熱帯地域で急成長する都市が手本にしているのがシンガポールだ。

しかし、シンガポールの一部のリーダーたちは、こうした赤道直下での建築ブームにある種の危険が伴うことに気づいている。空調システムが一日中稼働し、半分しか使われていない部屋まで冷やしていると、気候災害を招いてしまうからだ。

そこでシンガポールは、カリフォルニア大学バークレー校の教授で電気工学とコンピューター科学を研究するコスタス・スパノスに協力を依頼した。スパノスは人工知能(AI)の助けを借りることで、オフィスのエネルギー使用量を半分にできると考えているのだ。

シンガポール政府はスパノスに、あるオフィスビルのワンフロアを改修してもらった。20年1月に改修が完了したその新しいオフィスの内装は、控えめでありながらいい感じの格安航空会社を思わせるものだった。

オフィスのあらゆるところに超小型センサーが設置され、温度や湿度、光量、二酸化炭素濃度を計測している。スパノスはまた、Wi-Fiを使って人の位置を三角測量で測る手法も考案した。オフィス内を移動する携帯電話を検出して匿名データを利用することで、人の動きやスケジュール、好みを学習し、それに合うように各個人の環境を微調整するといった具合だ。

オフィスが暑すぎる、あるいは寒すぎると感じた人は、アプリを使ってそれを伝える。そうすれば、AIがフィードバックを反映して気温を微調整してくれる。だがそのうち、人がこうしたフィードバックすらしなくて済むようになるだろうと、スパノスは期待している。目標は、システムの存在が忘れ去られることだ。

オフィスに人が来ると照明が点灯し、デスクの前に座るとパソコンの画面がスリープから解除される。その後システムはさらなる省エネを実践する。人に気付かれないような自然なかたちで、照明を少し暗くし、部屋の温度を少し上げるのだ。

寒がりにも暑がりにも快適な空間を

著名なAIの研究者たちで構成されたあるグループが19年、破壊的な気候変動をAIを使って防ぐ仕組みを記した報告書を発表した。提案された内容は極めて大規模だったが、ほとんどは理論的なものだ。報告書内では、高度なアルゴリズムが次世代バッテリーの材料を正確に特定したり、人工の雲が日光を反射する仕組みをモデル化したりする様子が説明されていた。

これに比べると、深層学習を利用して照明や空調を自動化するという提案は、かなり小規模に思える。だが、照明を消すのが人でなくなれば、空間の使い方は大いに効率化されるだろう。

「人に行動を変えさせる方法もありますが、効果があるとは思えません。必要なのは、周りのモノを自動化することです」とスパノスは言う。

確かに、わたしたちはすでにセンサーの恩恵を受けている。職場の照明は人感センサーで点灯するし、クルマで帰宅する間にスマートサーモスタットの「Nest」は家を冷やしておいてくれる。

ただし、スパノスのモデルが尽力しているのは、「使用エネルギー全体を減らす」ことと、「人によって大きく異なる体内のサーモスタットに対応すること」という、相反するふたつを両立させることだ。

コロラド州立大学の社会学者ジェニ・クロスは、人は自分の好みを断固として守ろうとするものだと指摘する。「いつだって、満足できずにシステムをいじってしまう人がいるものです」。彼女は過去に、個人スペースで使われていた暖房器具のせいでサーモスタットが混乱し、冬にエアコンがフル稼働していた話を聞いたことがあるという。

スパノスは自身の研究で、オフィスにいる人々のあらゆる動きと好みがどのように影響し合うかを調べるシミュレーションを実施した。例えば、ある人にとって最適な送風設定が周りの人たちには寒すぎる場合は、AIが妥協点を提示しようとする。

「全員を満足させることは不可能です」と、スパノスは認める。だが、十分な時間とデータがあれば、それに近づくことはできるだろう(シンガポールでの取り組みの最初の結果は、20年末までに出るだろうとスパノスは考えている)。

気候変動対策で、個人の好みを諦める時代に?

スパノスの試みが成功したとして、わたしたちはWi-Fiに追跡されるパノプティコンのような職場で働きたいと思うだろうか。

「現段階ではまだ、どこまで実現できるのか学習しているところです」と、シンガポール国家環境庁の委員長を務めるリー・チュアンセンは言う。データ保護は不可欠だが、こうした実験も不可欠であり、ゆくゆくこれは熱帯地域全体に輸出される商業技術に使われるようになると彼は言う。

リーは立ち上がってエアコンを調節しに行ったあと、物議をかもすかもしれない考えを披露した。気候変動に直面しているいま、個人はコントロールの一部をあきらめざるをえなくなるかもしれないというのだ。