日本人のほぼ全員を家に閉じ込めてきた緊急事態宣言が解除され、働き手の多くが職場に戻ることとなった。新型コロナは感染症であり、これまでの人類の歴史はウイルスとの闘いでもある。したがって、この感染症は第2波、第3波はあってもやがて落ち着き、人類は新たなウイルスとの共生方法を学んでいくのだろう。

 では約2か月間の蟄居を命じられていたサラリーマンたちは、宣言解除を受けてまたコロナ前と同様に毎朝毎夕満員の電車に揺られて通勤するのか。世の中は、もとどおりになるだけなのだろうか。

 緊急事態宣言の期間中、サラリーマンの多くは在宅勤務を強いられた。最初は経営者も社員も戸惑いをもって始めたテレワークだったが、実際におこなってみると、意外にもある程度機能することが分かってきた。


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テレワークは案外“便利で快適”だった

 社員は、通勤時間がいかに無駄なものであったかに気付かされた。会社に行かなければ嫌な上司に気を遣う必要がないし、自宅であれば多少さぼっていても注意される心配もない。自分のペースで仕事ができるのだ。快適じゃないか! また、会社に行かなくても自分は十分仕事で成果をあげられると、自身の能力を再発見する機会にもなった。

 いっぽうで経営者にも大きな発見があった。これまでは、毎朝社員が「おはようございます」といって出社してきて、デスクに座ることでなんとなく一日の仕事が始まっていた。そして、夕方「お先に失礼します」といって社員が帰っていくと、なんとなく一日の仕事が終わっていた。

 ところがテレワークという働き方は、社員一人一人に細かなタスクを指示し、それぞれが時間通りにできるかをチェックするのにはものすごく便利なツールである。会社でなんとなくボケーと座っているだけで一日をやり過ごしていた社員がいても、日々の業務の中で見過ごしがちだったのが、テレワークではその怠けぶりが一目瞭然なのだ。

日本の会社組織の「262の法則」

 どうやらテレワークは経営者にも社員にも新たな気づきを与えることになったのだ。そうした状況でポスト・コロナは始まる。

 日本の会社組織ではよく「262の法則」があると言われている。つまり全社員のうち約2割は、会社のために本当に役に立ち、リードしていくことができる優秀な人たち。また、逆に約2割はいわゆる落ちこぼれで、会社にぶら下がるだけで何の生産性もない人たち。そして残りの約6割が普通の社員。素晴らしくできるわけでもないが、全く役に立たないわけでもない社員たちだ。

“普通の社員”の実力が可視化されてしまう

 こうした前提で会社は経営され、人事制度や報酬体系もこの法則の中で、誰かより多少高かったり、低かったりという調整がなされてきた。では、ポスト・コロナ時代にも、この法則は継続できるのだろうか。

 おそらく多くの会社では、組織の形態が大きく変化することが予想される。これまでは何となく社員全員が同じオフィスというハコに収まり、もたれあって仕事をおこなってきたのが、業務のうちの多くがテレワーク化されることで、会社と社員の関係が情報通信端末で結ばれた1対1のデジタルなものに変わっていくからだ。

 こうしたデジタル組織になると、一番クローズアップされるのが、「262の法則」の中での中間体、つまり組織全体の6割を占めている“普通の社員”たちの処遇である。なぜなら、なんとなく「ふつう」と思われていた社員たちの実力が、デジタル化された組織のもとでは容易に測定できるようになってしまうからだ。

5割の社員が淘汰される時代が来る?

 これまでのアナログ組織の中では見えてこなかった中間体の社員たちの能力が露わになることで、生き残ることができる社員と、ただ会社に寄生しているだけで、実はさほど能力もない社員とが冷酷に選別されることになるだろう。

 つまり、「262の法則」は「230の法則」になるということだ。6割の普通の社員の中で、生き残るのは半分、すなわち“3割部分”だけだ。この3割を徹底的に鍛え上げて、底上げする。そして残りの3割は、もともとしかたなく養っていた2割のダメ社員もろとも退場させられるのが、これからの会社組織なのだ。もちろん、ダメ社員をはじめ、淘汰される社員たちがちんたら行っていた仕事のすべてはITやAIに代替される。

 会社は現在の5割の人員で回るはずなのだ。そうすれば日本の労働生産性は飛躍的に向上するだろう。日本の労働生産性はOECD36か国中21位。なんとアイルランドの半分だ。G7に至っては最下位だ。この労働生産性の低さを論じる際に、日本の会社に残業が多いことを問題視する向きがあるが、おそらく原因はそれだけではない。日本企業はアナログ的組織の中に多くの無駄を抱えているのだ。

 結果的に、これからのデジタル組織とはどのような形態になるのだろうか。おそらく、既存の組織から中間管理職の多くが淘汰されていくと思われる。なぜなら、1対1で社員と会社がつながれば、社員は一つの会社に従属する立場から、複数の会社と業務委託契約を締結する個人事業主的な存在に変わっていくからだ。すると、これらを取りまとめ、わかりやすく整理して会社の上層部に説明するような、調整を主な仕事とする中間管理職的な役割というのは、ごく少数でかまわないということになるのだ。

部長・課長が「用なし」に

 中間管理職がいなくなり、社員のタスクが直接会社のヘッドクォーターに送られ処理されるようになれば、組織はおのずとピラミッド型から文鎮型に変わるはずだ。部長や課長といった役職も必要なくなり、「部長のゴルフのお相手をするから出世する」などといった村の論理はいっさいまかりとおらなくなる。

 部長やってます、課長ならやれます、という社員が「用なし」となるのがポスト・コロナ時代の会社なのだ。もちろん日本の労働法は圧倒的に社員を庇護する体系にある。米国のように「はい、明日から会社に来なくてよいです」といわれてレイオフになることは現実としてはない。

 だが、用なし社員に対して、会社は今まで以上に冷酷な対応を始めるだろう。「はい、明日から会社に来なくてよいです」と思いつつも、すぐに首にできない分、パソコンだけ与えて「在宅勤務していてください」となるだろう。会社には彼、彼女のための机なんてもはやいらないからだ。パソコンだけでつながる「何の用もない社員」として位置づけられるのだ。

街をさまよう“野良リーマン”の時代へ

 さて家に一日いて、パソコンに向かっていてもほとんど仕事は来ない。来てもつまらないデータの整理的なものでほとんど時間はかからない。そんな中高年社員はどうなってしまうのだろうか。

 これこそ、“野良リーマン”の誕生である。会社という飼い主のところに出かけることは許されず、野放しになった社員たちのことだ。会社の中ならヒマであっても社内をうろうろして、ほかの社員と無駄口たたくだけのコミュニケーションはとれたのに、本当に独りぼっちだ。会社の目を盗んで、というよりも会社も自分には何の関心もないので、家を抜け出して街中をうろつく。喫茶店で時間を潰し、図書館で雑誌をめくる。

 街中にはこんな“野良リーマン”たちがたくさんうろつき始めることだろう。でも見方を変えれば、雇用が維持されている限りにおいては、意外と幸せかもしれない。なんといっても野良は、犬でも猫でも飼い犬、飼い猫と比べてはるかに自由だからだ。おまけに一応自分の飼い主であるはずの会社が、餌くらいは与えてくれるのだから。

 サラリーマンほど気楽な稼業はない。植木等がそう歌って踊ったのは遠い昔だが、ポスト・コロナは新しい“野良リーマン”の時代になるかもしれない。

(牧野 知弘)