「疫病サヴァイヴァル「Pathologic」は、“コロナ禍”のいまこそプレイすべき作品だ:ゲームレヴュー」の写真・リンク付きの記事はこちら

ロシアのゲーム開発会社Ice-Pick Lodgeが2005年にリリースした「Pathologic」(日本語未対応)は、パンデミックのさなかにプレイするゲームとしては最悪のチョイスかもしれない。だが実は、いま再プレイするなら最高のゲームでもある。

プレイヤーを待ち受けるのは、こんな設定だ。舞台はロシアらしき国の、大草原と古い川沿いに位置する小さな街。時代は1900年代初頭と思われるが、定かではない。建築やファッション、音楽はどれも、はっきりどの時代のものとは言えず、時代錯誤もありそうだ。歴史や時間を超越したところに存在する場所、という印象を受ける。

プレイヤーは、3人のキャラクターからひとりを選択してプレイする。この国の「首都」とされる場所から来た若き医師。この地の先住民族文化にルーツをもつ外科医。そして、不思議な力をもっているらしい少女だ。

それぞれ事情があってこの街にやってくるのだが、そこで思いもよらぬことが起こる。「砂の疫病」と呼ばれる致死性の疫病の発生だ。医師が地元当局にこの疫病の存在を示したことから、街は隔離のために封鎖されることになる。3人の主人公はそれぞれ、医師、アマチュア疫学者、ヒーラーとして、そこから12日間を生き抜いていかなければならない。

パンデミック下でパンデミック作品を求める理由

新型コロナウイルス感染症「COVID-19」の流行によって、世界中で多くの人が命を落としているいま、「Pathologic」は癒しや現実逃避を提供するようなゲームではない。だが、いまこの瞬間に非常に多くの人たちが経験していること、すなわち疫病が流行するまっただ中を生きるという体験を、これほど正確に表現しているゲームはほかにないかもしれない。

パニックになり、生活必需品の買いだめに走る人々。危機にどう対処するかで内紛を起こす権力者たち。その過程であらわになる既存の文化的欠陥や能力不足。どれだけ頑張っても救えない命の数が、恐ろしいほど増えていく状況。

そんななかで、あなたは自らが感染しないよう患者から距離をとって街を歩き回りながら、延々と続く面倒ごとをこなしていく。ほかの人を助け続けられるよう、生き残りながらである。

プレイヤーを待ち受けるのはパニックだ。平時でも耐え難く、プレイしたくないと言う人たちもいる作品である。

だが、世の中には映画『コンテイジョン』のような例もある。パンデミック発生の数週間後、ストリーミングサイトではこの映画を観る人が急増したのだ。

批評家のダン・オルソンはエッセイ動画のなかで、現実にパンデミックが起きているときになぜ人がこの映画に惹きつけられるのかを解説している。

「フィクションには、激しい感情や緊迫した状態を、実際にその複雑さや害に晒されずに擬似体験できる効果があります」と、彼は言う。「災害時に災害映画、特に『コンテイジョン』のような社会問題に目を向けた映画を観るのも、そうした効果を求める気もちの延長線上にあります。何か事態が起きる前に激しい感情を擬似体験するのではなく、すでに経験している事態に自分自身を晒すことで、いま抱いている感情を増幅させようとする本能なのです。これが心のダメージの防御策として機能します」

つまり、不安に対処する際のメディアの使い方には2種類あるということだ。ひとつは、不安を避けるため。そしてもうひとつは、不安に溺れるためである。

『コンテイジョン』と同様に、「Pathologic」も不安に溺れるためのゲームだ。むしろこのゲームは、『コンテイジョン』よりも緊迫感があるかもしれない。「Pathologic」のなかの危険は、すべてプレイヤーであるあなたに降りかかってくるのだ。疫病に苦しむ街を訪れる医療従事者としてプレイするということは、この感染拡大の結果があなたの腕にもかかっていることを意味する。

現実を知っているからこその感覚

「Pathologic」を再プレイしてみると、以前とは違った心境になるかもしれない。1日のはじめに知らされる死者と感染者の数は、同じような数字を毎晩ニュースで見ている身には以前より切迫して感じられる。また、抜け目のないプレイヤーがゲームを楽に攻略できるように使うトリックや戦略も、突如として少々無神経なものに思えてくる。

例えば、熟練の「Pathologic」プレイヤーなら誰でも知っていることだが、12日間の2日目には食糧の価格が2倍になる。それは疫病の噂を聞きつけた人々が、店の棚にあるものをほとんど買い占めてしまうからだ。

戦略として正しいのは、皆と同じ行動をとること、つまり初日にできるだけ多くの食料を買っておくことである。そうすれば、翌日以降に食料が法外な値段になっても、食べるものには困らない。

だが、自分が欲張ったせいでほかの人たちが食料を手に入れられなくなることを想像し始めると、この助言に従うのも後ろめたくなる。2月以降、トイレットペーパーや消毒用ウェットティッシュ、手袋などが不足していたことを考えると、なおさらだ。

現実世界と「Pathologic」の虚構世界を比較してしまうかもしれないが、このゲームは完全に現実的というわけではない。砂の疫病には神秘的な要素があるし、このゲーム世界には先住民族である「Kin」の民族信仰が織り込まれている。「Pathologic」の世界における疫病の物語は、昔ながらの神秘的な文化と、近代的なユートピアを目指す文化とが衝突する物語でもあり、そこにはシュールで魔術的な現実が繰り広げられている。

しかし、ファンタジーではない要素のディテールには、わたしたちの現実を思わせるところが多々ある。隔離についての話もあるし、いわゆるソーシャルディスタンスも登場する。研究や理論があるかと思えば、効果のない治療法や陰謀論も見極めなければならない。

とりわけ印象的なのは、このゲームが「世界の終わりに思えるが、本当の意味で世界の終わりではないと確信している感覚」や、「事態を抜けた先で何が起きるのか考えなくてはならない感覚」を掴んでいるところだ。人々が死んでいくさなかでも、権力者たちは先が見えない未来を巡って闘争を繰り広げている。

3つの視点でひとつのパンデミックを観る

「Pathologic」には、19年にリリースされた続編もある。オリジナルをアップデートしたこの「Pathologic 2」は、不安を存分にかき立てる新しく独創的な手法を採用しており、とっつきやすく、より耐えがたい作品になっている。

とはいえ、オリジナルも続編も、疫病の不安や恐怖、そして自分という存在が揺らぐ感覚をプレイヤーに感じさせようとしている点では同じだ。

両作とも登場人物たちが、なぜこんな事態になったのかを理解しようとする。その答えは登場人物によってまちまちであり、答えの質は人によって違うが、本当に大事なのは問いのほうだろう。災害は、わたしたちが何者なのか、どんな人間なのかを露わにするのだ。

「疫病は人間性を測る物差しである」と、物語の序盤に登場する神秘的な貴婦人は語る。この物差しこそ、「Pathologic」がプレイヤーに伝えたいことなのだ。

実は続編のほうはまだ未完成であり、3人のキャラクターのうちひとりしか登場していない。それゆえ、パンデミックという現実に直面するわれわれにとって説得力があるのは、オリジナル版のほうになる。

パンデミックとは、ひとりの視点からでは理解しきれない巨大な問題だ。3人のキャラクターそれぞれになりきって、この12日間を3回経験することで、奥行きが感じられ、全体像が見えてくる。リアルでは全体を評価することが不可能に思えるような出来事の姿が、よりはっきりと捉えられるようになるのだ。とはいえ、はっきりと見えてきたその姿は、悲惨なものかもしれない。

「Pathologic」は古いゲームなので、たいていのコンピューターでプレイできることも利点だ。いまのような状況下であまり勧められるゲームではないが、人はそれぞれの理由で芸術を求める。世界が悲惨な状況にあるから、それに合わせて悲惨な気分になりたい、というときもあるだろう。あるいは、安全な場所でそうした気分にどっぷり浸ることで、物事がよりはっきり見えてくることもあるのだ。

※『WIRED』によるゲームのレヴュー記事はこちら。