無名選手の育成法から衝撃の“カップ粉砕”事件まで…風間八宏氏が明かす94サンフレッチェの真実
それで、マンUには当時の主力メンバー相手にも勝ったんだけど、その後に行ったスウェーデンのハルムスタッズというチームには全然歯が立たなかった。すごく良いチームだったんです。その試合を見た今西さんが、当時ハルムスタッズの監督をやっていたバクスターを連れてきたんですよ。みんな、「ああ、あの時の監督だ」って(笑)。
バクスター監督とはよく話したんだけど、彼は最初、やるべきことをきっちり決めようとしていましたね。ただ、私は「それって選手が判断することにならないんじゃない?」と言っていたんだけど、今このチームと若手たちに必要なものはこれで、やり続けることが重要なんだと言って、そこは「何も言わずにやらせてやってくれ」と言っていました。彼の頭の中には描いているものがあって、そこはすごくしっかりしていましたね。それに彼は表現が本当に上手くて、選手を自分の話に集中させるのも上手だった。だから、選手たちも迷うことがなかったですよね。
94年のシーズンについて言うと、プレシーズンの時からすごく手応えはあったんです。ブラジルの名門グレミオに1-0で勝って、当時オランダですごく強かったフェイエノールトにも1-2で負けはしたんですが、しっかりボールを持ててゲームも支配できていた。監督や今西さんとも、「これはどこが来ても大丈夫ですね」と話していました。2年目は自分たちでゲームコントロールもできるようになっていて、最初のシーズンとは全然違うチームになっていたので、「必ず優勝を狙える」と言っていましたね。
開幕6連勝したあとに、ヴェルディに0-5と負けはしたんですが、あの試合もこっちが攻めるなかで失点を重ねた試合で、押されっぱなしで負けたわけではなかった。広島のチャンスも多かったし、ちょっとしたミスでやられてしまったんです。ヴェルディはそういうところが上手かった。だから、あの時は1ステージで同じチームと2回当たるんだけど、ヴェルディとエスパの時だけは、相手に合わせたやり方で戦いましたね。
それでほとんど勝ったことがなかったヴェルディに今度はアウェーで4-1で勝って、それまで勝ったことがなかったエスパにも2-1で勝った。その2チームに関しては、完全に相手への対処から始めたやり方で準備をしていました。
そんな中で迎えたジュビロ戦でしたけど、あの頃はほとんど連戦でずっと移動ばかりだったから、身体が軽い試合なんてほぼなかった。それに加えて暑さもあって、そのうえこれに勝てば優勝というのが見えているから、硬くなっている選手も多かったですね。そこは覚悟して試合に入っていましたよ。
そういう状況だから、あの試合の内容は全然良くなかった。でも、試合をやりながら、延長までいったとしても勝つなとは思っていました。負けたヴェルディ戦がそうだったけど、試合って上手くいってても何かソワソワする時があるし、逆にこのジュビロ戦のようにやりながら落ち着いていってうまくいくこともある。あの時のメンバーもみんなそう感じていたみたいですね。
もちろん、いつも通り自分たちを表現できれば良かったけど、やっぱりミスして先制されましたしね。同点に追いついたのも、練習通りのセットプレーだったから(※39分に高木琢也がヘディングシュートを決める)、本当に苦しい時にイメージした通りのプレーが出たなという感じでした。内容だけを言ったら最悪の試合でしたけど、勝つことだけを考えて集中できていた試合。良い流れで勝利を掴んで(※90分にパベル・チェルニーが逆転ゴールを決める)、優勝に漕ぎつけることができたと思います。