94年サントリーシリーズを制して、クリスタル製のチェアマン杯を掲げる現役当時の風間氏。その後、カップは跡形もなく粉々に…。写真:サッカーダイジェスト

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 新型コロナウイルスの影響で2月下旬に中断したJリーグは、緊急事態宣言の解除とともにようやく再開への道筋が見え始めてきたものの、依然として中断が続いている。試合観戦ができない日々を過ごすファンのために、「DAZN」では「Re-Live」と称して過去の名勝負を放送中だ。今回は、現在配信中のサンフレッチェ広島が初のステージ優勝を果たした1994年Jリーグ第1ステージ21節・ジュビロ磐田vsサンフレッチェ広島で解説を務めた風間八宏氏に、当時の特徴的なチーム作りや優勝時のエピソードなどについて振り返ってもらった。

 94年のJリーグ第1ステージ(サントリーシリーズ)は、スチュワート・バクスター監督が3年目を迎えた広島が開幕6連勝と波に乗る。しかし、7節でヴェルディ川崎に0-5と大敗し、優勝争いのライバルとなった清水エスパルスに首位の座を譲ると、9節にはその清水に敗戦。中盤戦は我慢の時期を強いられた。

 しかし、その後の清水の失速とともに再び首位に立った広島は、ホームで敗れていたV川崎や清水を破り、首位固めに成功。そして21節の磐田戦で2-1の逆転勝利を収めた広島は、ついに念願の優勝カップを手にすることになるのだが・・・。

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 94年のサントリーシリーズを制覇したサンフレッチェ広島というチームは、いろんな意味でストーリーがあるチームでした。バクスター監督が指揮を執る前から、やはり今西さん(※今西和男氏/現吉備国際大教授)がすごく高校生の選手を獲ってくるのが上手くて、彼らをまたしっかり教育していたんです。

 森保(一/日本代表監督)や森山(佳郎/U-17日本代表監督)、前川(和也/バイエルン・ツネイシ監督)、柳本(啓成/元日本代表)、それから笛(真人/現指導者)や島(卓視/現指導者)、久保タツ(竜彦/元日本代表)もそうだし、みんながまだ知らない選手を獲ってきて、文章を書くことやグループでの活動なんかを積極的にやらせたり、あとで聞いた話では英語の勉強もさせていたみたいで。本当に英語ができるようになったかは知りませんけどね(笑)。

 文章を書くっていうのはサッカーノート。もう私がマツダに移籍して来る前から、ミーティングの時には、みんながノートをとっていて、書く習慣はついていましたね。オリエンテーリングも頻繁にやっていて、海や山奥へ行って、自分たちで釣りなどをして食材を獲って来て、食事を作ったりね。そのなかで、何かテーマを決めてグループ活動をやって順番を争ったり、最後にグループごとに発表したりするんですけど、ベテランではなくて、若い人たちに発表させるんです。今や監督、コーチとなっているひとたちが、若いころからそういう経験を積んでいたわけです。そのことがそのまま指導者につながるというわけではないですけど、やっぱり今西さんは喋るということをすごく重視したから、みんなも話すということに関しては上手くなった。何か自分に意見があった時にちゃんと伝えることができていたのは、そういう面が大きかったと思います。

 ただ、面倒くさかったですよ、オリエンテーリングとか(笑)。私は「こんなことするより、練習がしたい」って何回も言っていましたから。だけど、今西さんから付き合ってくれと言われるから、「わかりました」って(笑)。
 
 バクスター監督が就任するまでの間にもストーリーがあって、彼が来る前のヘッドコーチはマンチェスター・ユナイテッドの元有名選手だったビル・フォルケス(※マンチェスター・Uで歴代4位となる公式戦通算668試合に出場。2013年没)という人で、マツダ時代には彼の古巣のマンUと試合をすることもあったんです。