ジム・ロジャーズ氏はこの先の世界情勢をどう見ているのか?(写真は2019年7月、東洋経済オンラインの対談企画で 撮影:佐々木 仁)

新型コロナウイルスが予測不可能な不安感を肥大化させ、全世界が混乱状態に陥っている。これまでにない大規模な不況の到来も危惧されており、経済、金融、社会、国際政治などへの影響も計り知れない。

この先の世界情勢はどうなるのか。『ジム・ロジャーズ 大予測: 激変する世界の見方』(ジム・ロジャーズ 著、花輪陽子/アレックス・南レッドヘッド 監修・翻訳、東洋経済新報社)が大胆に予測している。

この著書は世界的投資家であり、多くの予測を的中させてきたジム・ロジャーズ氏への緊急インタビューを収めたもの。1月下旬と3月中旬にシンガポールにある氏の自宅で、計10時間以上にわたって収録されたものだそうだ。

まさに、世界がコロナ禍に飲み込まれる渦中に行われたインタビューだということになる。そのせいか、ただでさえ切れ味の鋭いロジャーズ氏の言葉は、さらに研ぎ澄まされているように感じる。

今後の世界の動向、日本の限界、人生設計&投資戦略と話題は多岐にわたるが、ここでは、いま最も関心が高いであろうコロナショックに言及した第1章「コロナショックは戦後最大の危機の始まりか」に焦点を当ててみたい。

次の金融危機は「人生最大規模」に

コロナショックによって世界のマーケットが混乱している状況については、ロジャーズ氏も「世界が不況に突入することは、もはや避けられない」と断言している。

なにしろ世界中の国々が経済を停止させてしまったのだから、当然の話だ。人の往来がなくなったため、航空会社、ホテル、映画館などは破綻への秒読み段階。工場、学校、政府機関も閉鎖されているのだから、その影響の大きさは計り知れない。

しかもロジャーズ氏は、この不況が回復する前に、事態はさらに悪化するだろうと見ている。アメリカ金融大手のゴールドマン・サックスの予測によれば、2020年4〜6月期のアメリカGDP成長率の見通しはマイナス24%。もし四半期ベースでマイナス24%という数字が現実化したとしたら、過去最大のマイナス成長ということになる。

アメリカ・セントルイス地区連銀のブラード総裁は、GDPが4〜6月期にはマイナス50%、失業率は30%に達する可能性があると発言しているそうだが、ロジャーズ氏はそうした現実を目の前にして、「もう『不況になる』『ならない』のレベルではない」と話している。

ロジャーズ氏の洞察力には定評があるだけに、迷うことなく断言されると、純粋な恐怖すら感じる。

おそらく、いや確実に、次に来る金融危機は私の人生でいちばんひどいものになるだろう。

アメリカ株式市場において、過去の歴史上、これほどのペースで株が急落したことはない。1カ月で25%の下落だ。3月16日には、1日で2997ドルの下落を記録している。1929年や19世紀の金融危機でもこれほど大きな下落は見たことがない。(11ページより)

株価が乱高下するのは、マーケットの参加者が疑心暗鬼になっているからにほかならないが、おそらく株価の値下がりは今後も続くことになるとロジャーズ氏は言う。それは「50、60、70%、いや、それ以上だろう」とも。

規模が大きすぎて実感しづらいが、無視するわけにいかないのは、“実体経済の落ち込みの先にあるもの”だ。いずれは金融機関の破綻をもたらし、金融システム不安を引き起こすわけである。

いつとは断言できないが、それは必ず起こる。次の金融危機が私の人生で最も大きなものになるだろう(11〜12ページより)

株価下落はウイルスのせい?

その理由としてロジャーズ氏は、2008年以降、世界中の債務がどんどん増えていることを挙げている。2008年の危機は、中国が持っているキャッシュを使い50兆円規模の公共投資で危機を脱した。

ところが今は中国でさえ債務が増え続けており、アメリカの債務も悪化している。FRBのバランスシートはここ12年で500%も拡大しているが、そんなことは過去にはなかったという。

日本でも、日銀が大量にお金を刷り、ETF(上場投資信託)や国債を買って債務を増やしている。中央銀行は、どんな手段を用いてでも金融危機は避けたいと思っている。

しかし、中央銀行も無限に債務を増やし続けることはできない。いつの日か終わりが来る。ある日突然、相場参加者のモメントが変わるときが必ずやって来る。その局面では、もはや誰も世界経済を救うことはできない。次の危機はそうした最悪の危機になると見ている。(12ページより)

マーケットの下落のペースはロジャーズ氏にとっても予想外のものだったそうで、これほど大きく相場が下げたことは初めての経験だと話している。ただし、今回の下落の要因は「コロナウイルスだけではない」と主張してもいる。

これまでアメリカの株価はまったく下がらず、10年以上にわたり連続で上昇し続けてきたが、それもいまだかつて起きたことがない現象だ。とくに、下落直前の2〜3カ月に至っては一直線に上昇していた。つまり株は、限度を超えて高値をつけていたのである。

そのタイミングで、FRBは金利を引き下げた。また、企業債務も膨れ上がるばかりだったため、相場が下落する理由はたくさんあったということだ。

だからこそ、ロジャーズ氏は次のように指摘するのである。

メディアは必ず相場下落の理由をつくりたがる。マーケット参加者にとっても、今回のウイルスは、非常に使い勝手がいい理由となった。さらには、政治家もウイルスを言い訳にすれば、非難を逃れることができる。このような事態を引き起こしたのは、自分たちのせいではなく、ウイルスのせいだと。(13ページより)

リーマンショックとの違い

アメリカの失業保険申請数は、3月下旬には660万件にまで増加している。言うまでもなく、コロナウイルスの影響で苦境に陥った多くの企業が、数千人規模で従業員に解雇や自宅待機の指示を出していることが原因である。

もはやアメリカの失業率はリーマンショック時の10.0%(2009年10月)を大きく超えているが、ロジャーズ氏はここで、リーマンショック時と今回を比較している。

リーマンショック時は、まず金融危機が起こり、その後、金融から製造(2次産業、生産)、そしてサービス(3次産業、消費)という流れで経済が悪化した。最初に金融危機が発生したことでお金がまわらなくなり製造業が危機に陥った。生産が落ち込んだことで消費が悪化、サービス業も打撃を受けた。今回の経済危機は、それとは逆の流れで危機が広がっていくだろう。まず消費やサービスが落ち込み、企業業績が悪化、それが金融不安につながっていく。(14ページより)

ところで今回のコロナ危機はパンデミックであるだけに、中世末期の欧州で流行したペストと比較されることも少なくない。例えばカミュの『ペスト』がここにきてまた多くの人に読まれていることからも、それは推測できる。しかしロジャーズ氏は、そうした考え方に否定的だ。

今回の新型コロナにおける世界全体での死者数は、5月20日時点で約32万人。これ自体、絶対数としてとんでもなく大勢の方が亡くなっているが、ペストとは比較の対象にならない。ペストでは当時の欧州の人口の3分の1、国によっては8割以上の人が亡くなった。過敏になりすぎるのではなく、現実を踏まえたうえで冷静さを失わないことが重要であるということだ。

もちろんメディアは、ペスト再来だと、そう思ってほしいだろう。なぜならセンセーショナルに書けば新聞も売れるし、ネットのアクセス数も増えるからだ。

毎年アメリカでは4万人がインフルエンザで亡くなっている。全世界ではインフルエンザでは毎年、数万、数十万の死者が出ている。数字の上では、メディアが報道している恐怖とはほど遠いものと言える。

しかし、世界の人々は、すでに「恐怖」に支配されてしまっている。メディアやインターネットが反応しすぎているため、政治家も相応な対応をとる必要があり、積極的な措置をとらざるをえなくなっている。かつて、新聞を売るためにメディアは戦争や危機を煽ってきた。今回のコロナは現代版の「新聞を売る口実」と見ることもできる。(15ページより)

2020年の今はおそらく歴史に残る転換点となる

今回の騒動は、マーケットにとっては、人工的につくられた不必要なパニックなのだ。しかし、現実にパニックは起きているので、もうパニックや株の急落を止めることはできない。したがって、意図的につくられたか否かは別として、投資家は売り続けている、それが現実ということになる。売りを望んでいた投資家やメディアは成功したのだ。(16ページより)


かつてペストの流行は、中世を終わらせて資本主義の契機になったと言われている。もちろん比較の対象とはなりえないかもしれないが、今回の危機はなんらかの「社会革命」を引き起こすことになるのだろうか?

この問いに対してロジャーズ氏は、「社会革命とまではいかないが、数年、数十年かけて起こるべき変化を早く始める作用はあるだろう」と答えている。

例えば今回の騒動がきっかけとなって、通常なら在宅勤務しない人の在宅数が急激に増えることとなった。また、ネット通販やウーバーイーツが爆発的に勢力を拡大していることなども、変化と認識することができるだろう。

したがってロジャーズ氏は、この質問に対する答えをこう締めている。

おそらく、数年後に2020年という年を思い返すと「コロナ騒ぎがあったため、急激に変化が生じた」と言われるようになるだろう。すべての危機は新たなる変化を生む。だから日本語で「危機」という漢字が示す通り、「危機」が生じた後には「機会」が生まれる。(17ページより)

やがて訪れるその「機会」は、はたしてどのようなものになるのだろうか?