ドライブデート直前は紙の地図で予習!

 今では、クルマで初めていく目的地は、カーナビゲーションやスマホのナビゲーションアプリで検索し、設定しておくのが当たり前になっている。日産コネクトサービスやトヨタT-コネクトなどを利用していれば、それこそ走行中でもオペレーターに接続し、遠隔でナビゲーションの目的地設定を行ってくれる。また、ホンダの純正ナビゲーションは独自の、純正ナビゲーション装着車による実走行データをもとに精度の高いルート案内を行なうインターナビを採用。迷わず、渋滞を避け、目的地にたどり着ける、素晴らしく便利な時代だ。

 個人的にも、見知らぬ場所に出掛ける際は、迷わないようにナビゲーションに目的地を設定するのは当たり前。もはや、ナビゲーションなしではドライブが不安になるほどだ。

 ちなみに、世界初の量産車用カーナビゲーションは、1981年にホンダ・アコード/ビガーに初搭載された「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケーター」というものだったのをご存じだろうか。まだGPSによる位置情報が入手できない時代に、ホンダは自動車量産用として開発したジャイロセンサーと距離センサーによりクルマの移動する“方向”と“距離”を検出することで、道路上の自車位置を電子データとして置き換えることに成功。その自車位置データをディスプレイ画面上に重ねた地図に表示する……というシステムだった。

 以来、カーナビゲーションは日進月歩の進化を遂げてきたのだが、もちろん、1980年以前のクルマにナビゲーションがない時代は、クルマで初めて訪れる場所へのルート案内は、マップルなど、紙の地図、地図帳しかなかった。

 当時を思い出してみると(1970-80年代)、初ドライブデートのようなシチュエーションでは、まさか、初めて愛車でドライブする相手に、地図を持たせることなど野暮すぎた。道を知らないドライブ素人だと思われたくないからだ。

 そこで、ボクの場合、今でも大好きな予習に全力を傾けた(マイナンバーカードによる面倒すぎる特別給付金に関しても、入念な予習の繰り返しで開始日の午前11時45分にはサクサク手続き完了!!)。もちろん、地図を広げ、家から彼女の家まではともかく、当時よく訪れた山中湖や葉山、箱根などへのルートを地図上にマーキング。とくに交差点には神経をとがらせ、その全体ルートを詳細に紙に書き写し、コマ図のようなものを作成していたのである。出発前夜は、受験勉強のごとく、それを眺めては暗記。国道135号線○×交差点を右折、○×交差点を左折とか……。そのコマ図をシート横に隠し、彼女に分からないようにチラチラとルートを確認していたりしたのだった(汗)。

 それでも、なにしろカーナビゲーションやスマホという神器がなかったわけで、道に迷うことなど日常茶飯事。しかし、まだクルマも少なく、渋滞もほとんどなかったから、路肩にクルマを止めて、最終兵器としての地図を出し、恥を承知で確認していたりした。

 そんな珍道中も、意外な発見があった。

道に迷ったせいで大幅な予定変更や人間関係に亀裂も

 気の利く女の子は、道に迷っても平然としていて、むしろ笑顔でドンマイしてくれたのである。ある日、山中湖ドライブを楽しんだ後、夜、彼女の家に送り届ける道中、完全に道に迷ってしまった。門限はたしか午後8時で、それが10時近くなってしまったのである。でも、彼女はこう言ってくれた。「道に迷いに迷ったおかげで、いつもよりずっと長くいっしょにいられて感謝」と。

 それはある意味、カーナビゲーションのない時代の、地図に頼っても迷った、結果論としての成功例!? だが、もっと深刻な事態も数多く体験した。軽井沢から東京に帰る途中、迷いながらも高速に乗ったのはいいものの、道路標識に「名古屋方面」と(たしか)あった。それって逆方向じゃないの? と2人で焦りまくり、緊急避難帯にクルマを止め、非常電話でどうしたら東京に帰れるか、泣きついたこともある。もちろん、携帯電話などない時代である。

 あるいは、彼女が助手席のナビゲーターとして、マーキングした地図とにらめっこしているうちに、山道走行中、クルマ酔いし、ゲロられた事件や、地図を渡したのはいいものの、地図を読むのが大の苦手な女の子で、まったくルート案内にならず、かえって迷っているうちに車内で大喧嘩になったこともあった。ナビゲーションがないって、本当に罪である。

 また、今でも自身の脳裏に刻まれ続けているエピソードとして、箱根ドライブを楽しんだ帰り、御殿場ICから高速に乗ろうと、真っ暗な夜道、向こうに見える高速道路への近道だと思って走っていたら、気づけば畑の中の農道に突っ込み、片輪が脱輪するハメに。同乗していた女の子は免許など持っていないから、彼女にクルマを前から押してもらいつつ、ボクがギヤをバックに入れてガーガー車輪を空転させていたら、真っ暗な中、どこからともなく親切なおじさんが現れ、助けてくれて、クルマを道に戻すことができた。

 ただ、その話には続き、というかオチがあって、そのおじさん、偶然通りかかった近くのラブホテルの経営者で、誘導がてら、せっかくだし、なにかの縁だから泊っていけ、とか言われ、親切にしてくれたゆえ、2人ともに断り切れず(そんなつもりは毛頭なかったにもかかわらず)、予想外のラブホ初お泊りを経験したのだった……。

 最悪のケースもある。1980年代、親友の実家が猪苗代湖の近くで旅館を経営していて、夏休み、親友と彼女、ボクと彼女の4人で、それぞれそこに向かうことになった。親友は当然、道を知り尽くしている。おそらく、スイスイと明るいうちに到着。ところが、当時、方向音痴でもあった!? ボクのクルマは、猪苗代近くの高速道路を下りたまではいいのだが、そこからの、予習では補いきれない田舎道に大苦戦。

 フェアレディZの北米仕様に乗っていたのだが、あたりは暗くなり、道を聞こうとして、ほほ唯一、電気の付いていた小さなガソリンスタンドに寄ったものの、クルマが東京ナンバーで、シルバー&ブラック2トーンボディカラー、Tバールーフ、セントラル20のフルエアロ、大径タイヤ&ゴールドメッシュホイールのかなり派手な外観かつ、ボクがアロハシャツ姿だったのが災いしたのか、ガソリンスタンドから出てきた店員のおばあちゃんに、「うちは暴走族にガソリンは売らない!」とか言われ(たような記憶あり)、旅館までの道を聞くこともできずに退散。その後、真っ暗闇の中で公衆電話をやっとみつけ(繰り返しますが、携帯電話のない時代です)、旅館に電話し、道を聞いて、たどり着いたころには、彼女は沈黙の岩となり、険悪度200%の雰囲気。

 なにしろ、夕食の時間を大幅にすぎ、料理自慢の旅館なのに、夕食におにぎりと茄子の漬物しかいただけなかったからでもある。結果、ボクは道に迷う頼りない男の烙印を押され、2泊の予定が、1泊となり、帰路、そのままフラれたという苦い夏の思い出だ。もし、あの時、カーナビゲーションがあれば、その彼女とその後も付き合っていたかもしれないけれど、逆に言えば、それぐらいのトラブル!? で大いに不機嫌になり、嫌気がさされてしまう女の子と別れて良かったとも、勝手に思っている。長い人生、ドライブ中にうっかり道に迷う以上の、そう、新型コロナウイルスのような幾多の困難が、待ち受けているのだから。

 以来、初めてドライブデートをする相手との目的地は、絶対に迷わない、知り尽くした目的地を選ぶようにしてきたのも本当だ。ただし、何度もドライブデートを重ね、親密になれば、助手席ナビゲーターとして、地図とにらめっこしてもらったこともある。それはそれで、2人の共同作業。2人の距離をグっと縮めてくれる効果もあったような。それにしても、2020年、懐かしくも恥ずかしい若かりし頃の思い出として、あの子の「道に迷いに迷ったおかげで、いつもよりずっと長くいっしょにいられて感謝」という嬉し涙誘発の、愛に溢れたフレーズは、あれから数十年を経た今でも、心に刺さったままである。