阿佐田哲也(C)日刊ゲンダイ

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【阿佐田哲也 ギャンブルの哲学】#4

<1>麻雀で始まり競輪場で終わった18年の付き合い

 阿佐田哲也さんが、本名の色川武大と2つの名で、作品活動を続けたのは、よく知られている。もともと、私小説の要素の強い人で、色川作品はシリアスな作風。今でも忘れられないのは、直木賞の受賞を知らせたNHKニュースである。

「麻雀の神様として知られる阿佐田哲也さんが、色川武大名で発表した『離婚』で、直木賞に決まりました」

 何ともややこしい報道ぶり。麻雀の阿佐田哲也のイメージが浸透していたとわかる。

 私が書いておきたいのは、阿佐田哲也さんは雀豪ではなく、常勝の打ち手でもなかったということ。無論、弱かったと言うつもりはない。勝ち負けのラチ外にいて、自分の麻雀を打ち続けたと言うべきか。

 強面の勝敗にこだわる打ち手ではなく、長手数で丁寧に手役を育てる麻雀だった。

 徹夜麻雀も、よく付き合ったが、彼に大敗したという記憶はない。

 だが、何事にも例外はある。青森競輪場で特別競輪が開催された。私は5日目の準決勝に合わせて青森入りした。来賓席に顔を出すと阿佐田さんと、後に直木賞作家になる若き日の伊集院静さんがいた。2人とも早くに青森入りしたのか、疲れた表情。その夜は、ねぶた祭りの囃が聞こえる雀荘で闘牌した。

 物書き3人と、競輪新聞社の社長がメンバーだった。スタートして私は目を剥いた。

「どうしたんですか? 阿佐田さん」

 初牌から「白」をポンする。いきなり辺「七筒」をチーするから首をかしげると、これが「東」の先付け。

 見慣れた格調高い阿佐田麻雀ではなく、トップ狙いの雀荘麻雀。途中で、ハタと気が付いた。競輪で沈んで軍資金が乏しく、勝ちにこだわる麻雀を打ってるらしい。

「それならそうと、言ってくれよ」

 私は納得した気持ちになり、2回目のラスを引いたところでギブアップ、終わりにした。

「麻雀放浪記」に描かれた雀ゴロの世界は阿佐田さんの実体験で、こしらえものではなかった。バクチ麻雀だって、その気になれば打てる。

 思いもかけず、阿佐田さんの隠れた一面を見せられた気分。負けて納得した。

 そこで別掲の牌譜を見ていただきたい。双葉社「週刊大衆」が主催した「麻雀名人戦」の第2期に出場した、阿佐田さんが残した譜である。

 南2局の荘家(親)。普通なら気持ちが焦るところだが、第1打「二索」切りから、万子の一気通貫か、チャンタ三色を狙って打ち始める。

 「二筒」を、暗刻切りするロスがあったが、摸打10巡、「一萬」を引き聴牌した。黙聴でも親満貫だが、波乱が待っていた。13巡目に、中ぶくれの形になる「八萬」を引くが、これがドラ。

 小考して、「八萬」をツモ切ってリーチ! ドラの強打は、聴牌を相手に知らせる。リーチの強攻で散家(子)をオロし、連荘しようと狙った。ここらは勝負勘である。

 結果は他家の和了。阿佐田さんには、美しい牌譜が残った。よき敗者(グッドルーザー)の役回り。勝負とは、なんと人生に似ていることか。

(板坂康弘/作家)