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突然の停滞

昨シーズンの好調と新たな方向性、才能豊かな若手ドライバー、そして2021年シーズンからの新たなパワーユニット(PU)供給契約がもたらす余勢を駆って、マクラーレンは2020年のF1シーズン開幕を迎えるはずだった。

彼らはトップチームへの復帰を果たす途上にあったのだ。

昨シーズンついにマクラーレンが表彰台へと戻って来るととともに、コンストラクターズ4位でフィニッシュしている。

2021年シーズンからのさらなる飛躍に向け、今年は最後のピースを見つけ出すシーズンになる予定だった。

だが、新型コロナウイルス感染拡大を受け、世界中の多くのひとびとと同じく、彼らの計画は停滞を余儀なくされている。

新型コロナウイルス感染が世界に広がり始めた今年3月中旬頃、シーズン開幕戦となるオーストラリアGPの開催に向けた努力が進むなか、英国サリー州ウォーキングに拠点を置くマクラーレンF1チームは、自らがこのモータースポーツにおけるウイルス感染拡大の中心であるという事実を突き付けられていた。

アルバート・パーク・サーキットのパドックで作業にあたる予定だったチームスタッフがウイルス検査で陽性となったことで、チームはレースからの撤退を表明したが、結果的に練習走行開始の数時間前という突然のタイミングでレースそのものがキャンセルされている。

英国へと帰国したマクラーレンF1チームだが、以来ほとんどの作業が停滞したままだ。

重要なのは危機を乗り越えること

それでも、チームスタッフ全員が無事メルボルンから帰国するとともに、健康であるというのはマクラーレンにとって良いニュースと言えるだろう。

一方、昨シーズンからの良い流れが断ち切られ、復活に向けた計画が進められないというのは悪いニュースに違いないが、それでもチーム代表のアンドレアス・ザイドルは希望を失っていない。

今年5月でザイデルがマクラーレンに加入してちょうど1年になる。

「いまもっとも重要なのはこの危機を乗り越え、チームとして、そしてF1として生き残ることです」と、彼は言う。

「そうすれば、今後数カ月から数年にかけて、トップチームに返り咲くための具体的な計画に着手することが出来るようになります。いまは皆が停滞を余儀なくされているのであり、この危機を克服できれば、直ぐに前進する勢いを取り戻すことが出来ると信じています」

世界耐久選手権に参戦するポルシェ・チームで監督を務めていた44歳のドイツ人は、昨年5月にマクラーレン入りして以来、この名門チームの復活に向け重要な役割を果たしてきたのであり、マクラーレン・レーシングCEO、ザク・ブラウンのもとでサーキット内外のすべてを管理している。

栄光の館 かつてない事態

いまザイデルが執務している壮大なマクラーレン・テクニカル・センターには、12度のドライバーズタイトルに8回のコンストラクターズチャンピオンシップ、さらには486回の表彰台と182勝というチームの栄光を示す数々の品物が飾られている。

こうした栄光を物語るマシンやトロフィーが、ジェームス・ハントやアラン・プロスト、アイルトン・セナ、さらにはルイス・ハミルトンといったドライバーの名とともに至る所に置かれているのだ。

マクラーレンとメルセデスのコンビは、3度のドライバーズタイトルを獲得しているが、さらに多くのチャンスもあった。

だが、2012年以来マクラーレンは勝利に見放されており、140レース、8年間も勝てなかったことは、その54年の歴史のなかでかつてないことだった。

こうした苦境にあって、長くチームを率いて来たロン・デニスはマクラーレンを追われ、多くの期待とともに2015年からふたたびタッグを組んだホンダとは、わずか3シーズンを共にしただけで袂を分かっている。

つまり、栄光に彩られているとは言え、実際にザイデルが舵取りを任されたのは、ルノーからパワーユニットを受ける中位グループのチームだったということだが、それでも彼が昨年チームに加わる前から、浮上の兆しは見え始めていた。

「わたしの加入前にザクやチームが下した素晴らしい決断の恩恵を受けています」と、ザイデルは話している。

「シーズンオフの間にマシンを開発する方向性が固まっていたお陰で、すぐにジェームス(・キー、テクニカル・チーフ)や他のリーダーと、チームの弱点分析を始めることが出来たのです」

多くの弱点 組織を改革

驚くほど率直にザイデルは近年マクラーレンが犯してきた失敗を認めている。

「多くの弱点がありました」と、彼は言う。

組織と効率性を改善する必要があるとザイデルは話す。

「過去数年のパフォーマンス不足には理由があります。組織と設備の双方に問題がありました。それでも、時間を掛けて未来に向けた明確なプランを検討しており、こうして考え出された計画には満足しています」

ザイデルが最初に取り組まなければならなかったことのひとつが、マクラーレンの組織をシンプルにするというものだった。

ロン・デニスと前チーム代表、マーティン・ウィットマーシュが創り出した、責任を数多くのスタッフや部門で共有する「マトリックス」システムを彼は廃止している。

よりシンプルな組織形態とするべく、テクニカル・チーフのキーとレーシング・ディレクターのアンドレア・ステラ、そしてプロダクション・ディレクターのピアーズ・シンの3人が、すべてをザイデルに報告するようにしたのだ。

ザイデルはブラウンとの関係も良好だと言う。

「パフォーマンス向上に向けたアプローチの方法については多くを共有しています。ザクは組織全体の強化を図るとともに、わたしに自由を与え仕事をやりやすいようにしてくれています。素晴らしいのは彼が生粋のレーサーだということです」

番外編1:苦難のスタート

マクラーレンとメルセデスのコンビといえば、ミカ・ハッキネンとルイス・ハミルトンのタイトル獲得がすぐに思い浮かぶが、そのスタートは決して順調ではなかった。

1995年シーズンに向け、マクラーレンでは独創的なマシン、MP4/10のステアリングを任せるべく1992年のチャンピオン、ナイジェル・マンセルを招聘している。

1995年シーズン、2台のMP4/10は合計33回スタートラインに立っているが、完走出来たのはわずか18回だけだった。

だが、スレンダーなMP4/10のコクピットにフィットしないことを理由にマンセルは開幕からの2戦を欠場し、その間にマシンの調整作業が行われることとなった。

その後、第3戦と第4戦には出場したものの、マシンのパフォーマンス不足を理由にマンセルは事実上の引退を決意している。

この奇妙なスタイリングのマシンには速さだけでなく、エンジンの信頼性も不足していたのだ。

それでも、シーズン途中に行われた数々の改良が功を奏し、最終戦のひとつ前となる日本GPではハッキネンが見事2位の座を獲得している。