2002年日韓共催W杯。埼玉スタジアムで行われた準決勝、ブラジル対トルコ戦の開始時間は20時30分だった。試合は延長PK戦にはならず、幸いにも90分で決着。22時30分には終了していた。
 
 観衆の大半は試合後、電車で東京方面を目指し、徒歩で30分近くかかる最寄り駅=浦和美園駅に向かった。しかし、山手線内の駅に到着した時刻は、早い人でも深夜12時。山手線から先、小田急や京王井の頭、東急東横線といった、私鉄の終電には多くの人が間に合わなかった。山手線の終電にさえ間に合わず、路頭に迷った観戦者も少なくなかったという。その中には当然のことながら外国人も含まれていた。試合が延長戦に突入していたら、もっと大変なことになっていたと思われる。
 
 みっともない話だ。来年に順延されることになっている東京五輪では、首都圏の鉄道は、午前2時ぐらいまで運行する予定なのだそうだ。18年前に比べれば100歩前進と言えるが、日本として観光をアピールしたいのなら、新幹線もそれぐらいの時間まで動かすべきではないか。一般のファンで、五輪観戦だけのためにその国を訪れる人は多くない。五輪観戦+アルファ。スポーツツーリズムを地で行く人たちで占められることになる。

 一昨年のロシアW杯は、筆者が過去に訪れたW杯の中で最も交通の便に優れていた大会だった。試合後、現地に泊まらず、首都モスクワまで戻ることができる。

 観戦チケットを持っているファンは、長距離列車も近郊電車も列車はすべて無料。予約を入れ忘れても、乗せてくれる臨機応変さも見逃せないポイントだった。1人残らず乗車させる。この姿勢がなにより素晴らしかった。

 サンクト・ペテルブルグとモスクワを結ぶ新幹線は24時間営業だった。

 1人残らず。最後の1人まで積み忘れることなく。98年フランスW杯でも、この精神が貫かれていた。日本戦が行われたツールーズ、ナント、リヨンの現場に駆けつけた日本人は、試合後、パリに戻る人がほとんどだった。だが、その数は毎試合、数万人いた。偽チケット騒動の被害に遭った人も、現地のパブリックビューイングで観戦したため、日本人で溢れかえっていた。ホントにTGV(フランス式新幹線)に、日本人全員を乗せることができるのか。心配症の筆者は、駅員さんに何度も確認を取った。

 返ってくる言葉は「大丈夫だ」。疑心暗鬼に駆られたものだが、本当に大丈夫だった。TGVの列車は、まさに次から次へとやってきた。日本では考えられない神対応だった。それだけに4年後の埼玉スタジアムが情けなく感じられた。「大丈夫だ」と言い切る人がいないところに問題があった。

 この種類の衝撃を最初に受けたのは、2度目のW杯取材になる86年メキシコ大会だった。

 この大会、一番の試合と言えば、延長PK戦に及んだ準々決勝のフランス対ブラジルだ。ジーコがPKを外し、PK戦ではプラティニ、ソクラテスが外す波乱に富んだ熱戦。これまで、W杯で観戦した何百という試合の中でもトップ5、いやトップ3、もしかしたら1番に推したくなる名勝負だが、この一戦で真っ先に思い出すのは、グアダラハラのハリスコ・スタジアムで行われたその試合の中身ではない。 筆者はその試合開始の1時間前まで、いや正確には55分前まで、メキシコシティの空港にいた。そこはフランス対ブラジルをグアダラハラに観戦に行くファンで、ごった返していた。いつになったら乗れるのか。怒りはピークに達し、半分以上、諦めの境地に入っていた。見ることができたとしても後半からか。泣きたい気持ちになっていた。だが、係員に尋ねれば「ノー・プロブレム」。大丈夫とにっこり笑うのだった。