外出自粛期間が続く中、会社でもリモート勤務やオンライン会議が増えています。

直接的に顔を合わせなくなると、「部下とどう接すればいいか」「組織をどう管理すべきか」と悩む人も多いのではないでしょうか。

NETFLIXの共同創業者であるマーク・ランドルフさんは「社員を子供扱いすれば、会社は社員に嫌われる」と語っています。

今回は、『不可能を可能にせよ! NETFLIX成功の流儀』(サンマーク出版)より、NETFLIX流の部下との接し方についてお届けします。


NETFLIXの企業文化

私がもっともよく受ける質問のひとつはNETFLIXの企業文化についてだ。

どうやって確立したのか。

実は、NETFLIXの企業文化は会議を重ねたり、入念に計画を立てたり、討論したりしてできたものではない。

スタートアップから大企業まで各自さまざまな職場を経験した人々が集まって価値観を共有し、自然にできあがっていった。

私たち皆にとって、NETFLIXは本当に自分たちらしいやり方を実現するチャンスだったのだ。

文化とは口で言うものではない。行動である。

頭脳明晰で創意豊かな10人の精鋭を選び、取り組みがいのある問題を与え、解決のための裁量を与える。

NETFLIXの文化はまさにこれに尽きる。

やがてこれを「自由と責任の文化」として体系化する。

当時はたんにそれが私たちのやり方だった。

決まった就業時間はなく、好きな時間に出社し、好きな時間に退社した。社員は仕事の成果で評価された。

問題を解決し、仕事を果たしていれば、社員がどこにいるか、どれだけがんばっているか、どれだけ残業しているかなど私は気にしなかった。


各自にゆだねた責任

今のはすべて本当のことだ。

だがチームが大きくなったらどうなるか。

会社が小さいうちは、信頼と効率性は両立する。

チームメンバーが逸材ぞろいなら、仕事のやり方を一から十まで教える必要はない--それどころか何をしてほしいかすら言う必要はないものだ。

達成目標となぜそれが大事かだけ明確にすればよい。

頭が切れ、有能で、信頼できる逸材を採用していれば、何をすべきか自分で判断して仕事にかかり、やってしまう。

あなたが問題の存在すら知らないうちに自力で問題を解決してくれる。

採用したのが逸材ではなかったら? すぐにわかる。

NETFLIX初期の企業文化は完全にリードと私の互いに対する姿勢から生まれた。

私たちは、相手にやってほしいタスクのリストを渡してできたかどうか確かめるための「チェック」を頻繁に入れるようなことはしなかった。

それぞれが会社の目的を理解しているか、どこに責任を持つかだけを確認した。

目的を達成するために何をすべきかを考えるのは各自にまかされた。

互いに正直であること--徹底的に正直であることも各自にゆだねられていた。


成文化されない原則

徹底的な正直さ。自由と責任。

とてつもない理想だが、最初の2年間は成文化もされていなかった。

臨機応変に対応していたのだ。

例を挙げよう。

1999年のいつだったか、エンジニアリング部門のマネージャーのひとりが異例の頼みごとをしに私のところに来た。

恋人がサンディエゴに引っ越したが、彼女との交際を安定的に継続させたいという。

「サンディエゴに行くために毎週金曜日に早退してもかまわないでしょうか?」

そして月曜は現地で仕事をし、夜飛行機で戻ってきて火曜の朝に出社する、と彼は説明した。

私の答えはきっと彼を驚かせただろう。

「君がどこで働こうと、どんな時間帯で働こうと、私は関知しない。火星で働いたっていいよ。働く時間と場所の相談だったら、答えは簡単だ。私はまったくかまわない」

「ただし」、と私は続けた。

「もし相談の真意が、彼女と一緒に過ごすために君と君のグループの仕事に対する期待値を下げてもらえるか、だったら? これも答えは簡単。ノーだ」

彼は自信なげに私を見た。サンディエゴで週末を過ごす夢がしぼんでいるのがわかった。

「いいかい、いつどこで働くかは完全に君次第だ。週3日半の出社でグループの運営がきちんとできるなら、まかせる。やりなさい。うらやましいよ。私もそれができるだけの頭があればよかった。ただ、覚えておいてほしい。君はマネージャーだ。チームに達成してほしいことと、なぜそれが重要かを周知徹底するのが職務の一部だ。現場にいなくてもそれができると思う?」

言うまでもなく、彼の恋人はその後まもなくフリーになった。

私は彼に選択の自由を与えたが、チームに対する責任についても釘を刺した。

私は彼に徹底的に正直だった--もし彼が毎週早退してサンディエゴに飛んでいたとしたら、自分の責任を果たせるか私は危ぶんでいた。

それでも最終的な判断は彼に預けた。

このマネージャーは権限を与えられたと感じ、自分の生き方の選択をする自由を得た。

そして彼が仕事に集中する気持ちを取り戻したから、結果的に会社にもよかった。皆が得をしたのだ。

いや、皆とはいえないか。サンディエゴの彼女は私とは見解を異にしただろう。


社員を大人として扱わない組織では何が起きるか

私は当初から、NETFLIXで働く全員を大人として扱おうと決めていた。

以前、逆の考え方をする会社がどうなるかを見ていたからだ。

私がボーランド(アメリカのソフトウェア会社)にいた80年代、同社は退廃のきわみにあった。

美しく整備された広大な会社のキャンパスは、鯉の泳ぐ池を配したロビー、セコイアの森、遊歩道、劇場、本格的なレストラン、ラケットボールのコートやウェイトトレーニング用の部屋やフィットネススタジオやオリンピックサイズのプールがあるヘルスクラブを誇っていた。

そしてもちろん、社員に最高の待遇をする会社にふさわしく、ホットタブ(数人で入れる大きな浴槽)があった。

ところが、全員を満足させるにはジャグジーでさえ不十分だった。

新しいキャンパスに移転してまもなく、当時ボーランドの人事マネージャーのひとりだったパティ・マッコードと一緒にランチから戻る途中、エンジニアのグループが会社のホットタブに浸かっているのに気づいた。

挨拶しようと立ち止まったとき、彼らが会社への不満を口にしているのが聞こえてしまった。

そう。会社のホットタブに浸かりながら待遇に文句を言っていたのだ。

これはいったいどういうわけだろう?

滑稽な光景ではあったが、パティと私は職場に戻りながら考えずにはいられなかった。

社員に高級料理、フィットネスセンター、オリンピックサイズのプールを提供してもまだ文句を言われるのだとしたら、従業員満足度を本当に押し上げる要素とは何だろう。

もっと言えば、自分の夢の実現を助けるために他人に入社してもらう、しかも喜んでそうしてもらうには、何が必要なのだろう。

そして気づいたのは意外なことだった。しかも意外なほど単純な。

人は大人として扱われたいのだ。

自分が信じるミッション、解決すべき問題、それを解決するための裁量を求めているのだ。

尊敬できる能力を持った他の大人の中に身を置きたいのだ。

社員が求めているのはホットタブではない。無料の軽食でもピンポン台でも昆布茶が出てくる蛇口でもない。

社員が本当に求めているのは自由と責任だ。

高度に連携したゆるやかな結びつきを求めているのだ。

自由と責任はマネージャーにだけ与えられたものではない。

たとえばうちの受付係。彼がこの仕事に就いたときは、7ページにわたる職務規定などなかった。

かわりに彼の仕事内容は「会社の顔として最高の対応をする」、このたった一文だ。

持ち場にいる時間帯も完全に彼にまかせたし、離席したり病欠したり休みを取る必要があったりするとき、どうカバーするかも本人に考えさせた。

そんな「自由」と「責任」の文化が徹底的な「正直さ」と結びつくと、魔法のような効力を発揮した。

責任のともなう意思決定をする判断力がある人は、意思決定の自由を喜ぶ。

社員は信頼されることを喜んだ。

だがあたりまえではないだろうか。会社にいるのが優れた判断力のない人ばかりだったら、逸脱しないようにありとあらゆるガードレールを設けなければならない。

オフィス用品にいくらまでなら使ってよいか、休暇は何日まで取ってよいか、始業と終業の時刻はいつか、何から何まで決めてあげなければならない。

ほとんどの会社はやがて、自分で判断できない人々から自社を守るためのシステムを構築する。

それがやがて、自分で判断できる人々に不満を抱かせる。

ビーンバッグチェアをいくら備えようと、ビアパーティーをいくら開催しようと無駄だ。

社員を子供扱いすれば、会社は社員に嫌われるのだ。

部下を信じて、裁量を与える

いま多くの組織で悩みの種となっている、管理と評価。

この問題の根本は、「信頼していない」「責任を与えていない」ことから生じているのかもしれません。

「人は、解決すべき問題を解決するための“裁量”を求めている」

リモートワークでお互いが直接見えないからこそ、責任と裁量を与えることを意識してみてはいかがでしょうか。