あのブラジル人Jリーガーはいま
第3回ドゥンガ(後編)>>前編を読む

 アメリカW杯を境に、ブラジルでは時代を「ドゥンガ前期」と「ドゥンガ後期」のふたつに分ける。それほどこのふたつの時代は違っていた。FIFAが選んだ94年大会のベストイレブンの中にはブラジルの選手が4人入っている。トップのロマーリオ以外は全員が守備陣から選ばれた。センターバックのマルシオ・サントス、サイドバックのジョルジーニョ、そしてディフェンシブハーフのドゥンガだ。


1995年から98年までジュビロ磐田でプレーしたドゥンガ photo by YamazoeToshio

 クラブチームでもドゥンガは足跡を残した。特にイタリアでは多くの選手の手本となるような活躍を見せた。ピサではサポーターから「歴代最高の選手」に選ばれ、フィオレンティーナではホール・オブ・フェイム入りを果たし、ペスカーラでは歴代トップ3に入る外国人選手となった。そしてその後、ドイツのシュツットガルトを経て、ジュビロ磐田へ移籍する。

「日本行きを決断した理由は、ごく単純だった」

 ドゥンガはそう説明する。

「ジュビロは、日本のチャンピオンを目指していた。磐田は小さな町だったが、サッカーにとっては重要な町だった。いい選手もそろっていたし、これは私のサッカー人生のなかでも特別な挑戦だと思った。私はブラジルでも、イタリアでも、ドイツでも優勝を果たし、世界チャンピオンにもなった。あの時の私には新たな挑戦が必要だった。そんな時、ジュビロがこのプロジェクトを持ちかけてくれたのだ」

 ドゥンガの日本での最高の1年は、疑いようもなく1997年にジュビロが優勝を果たした時だろう。

「私は同時にJリーグの最優秀選手にも選ばれた。私の傍らには家族もいて喜んでくれ、私の人生のなかでも、本当にすばらしい瞬間のひとつとなった。ジュビロのサポーターは、エンドレスで私の名前を叫び続け、拍手を送ってくれた。あの光景は一生忘れることはない」

 ドゥンガは今でもジュビロ時代のことをよく思い出すという。

「あの時の喜びと、難しかったミッションのことは忘れない。昼夜関係なく、私はジュビロに魂を捧げていた。ベストを尽くしたと自信を持って言える。なぜなら、チームもサポーターも私に全幅の信頼を寄せてくれたからだ」

 そして日本サッカーにもエールを送る。

「日本が世界のトップ15に入ったとしても私は全然驚かない。日本のサッカー選手は頭がよく、とても秩序だっている。監督は優秀で、仕事に対してとことん真面目だ。日本サッカーはもっともっと上にいくことができると私は思う」

 プロとして歩み出したインテルナシオナルで、ドゥンガは現役を引退した。その後は監督としてサッカーに関わっていく。

 2006年、ドゥンガはどこのクラブチームの監督も経験することなく、突然ブラジル代表の監督に抜擢される。批判は多かったが、彼は自分の信じるやり方、自分の知っているやり方で邁進する。そして2007年にはコパ・アメリカでチームを優勝に導き、2009年にはコンフェデレーションズカップで優勝し、2008年には北京オリンピックで銅メダルを勝ち取った。

 IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)は2007年に、ドゥンガをその年の最優秀代表監督に選出した。1年前まで監督をしていなかった者がこの賞を勝ち取るのは、前代未聞の出来事だった。

 2010年の南アフリカW杯の南米予選では、セレソンを9勝2敗7引き分けでトップ通過させた。ただし、W杯本番では準々決勝でオランダと当たり、先制したものの1−2と覆され、敗退してしまった。

 この時のブラジル代表には多くの非難が浴びせられた。なぜなら、ネイマールを代表に招集しなかったからだ。

 しかし、選ばない理由がドゥンガにはあった。この時のネイマールはまだ18歳。ドゥンガは若く耐性のないネイマールを批判にさらし、その将来を潰したくなかったのだ。それはかつて自らが非難を受けた経験があったからこその決断だった。ネイマールを評価しなかったのでなく、それだけネイマールを大事に思っていたのだ。

 もっとも、ドゥンガのそんな考えは理解されなかった。W杯のあと、ブラジルサッカー協会とドゥンガは代表監督を辞任することで同意した。

 2014年のブラジルW杯直後、ドゥンガは再びセレソンの監督となる。任されたチームはとても強かったが、自国開催のW杯でドイツに1−7で敗れた大きなトラウマを抱えていた。結果を出すことはできず、2016年、ドゥンガはチームを後にした。偉大なリーダーである彼は言い訳をしない。黙って次の監督に席を譲り、自分のビジネスと家族のもとに戻っていった。

 ドゥンガには「怒れる男」のイメージがあるが、私が知る限り、非常に優しい人物だ。洗練され、聡明で、ポルトガル語のほかに英語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語を操る。ワインを愛し、中でもチリ産のカベルネ・ソーヴィニョンがお気に入りだ。つまみはカマンベール。そして何よりも好きなのは日本食だ。

 彼が「ヴァンダ」と呼ぶエヴァニール夫人との間に、3人の子供がいる。スタイリストをする33歳のガブリエッラ、グレミオのU−20のフィジカルトレーナーである31歳のブルーノ、そしてもうすぐで13歳になるマテウスだ。

 代表監督を辞したあとは、大切な家族のそばにいて、スタイリストの娘とともにファッション関係のビジネスに携わり、ショップを運営している。慈善活動にも熱心に取り組んでいる。そのひとつが、前回述べた45トンの食糧の寄付だ。これはドゥンガだからこそできることである。

 もちろん、日々サッカーを研究することも欠かさない。戦術、テクニック、トレーニング……。いつどこのチームから声がかかっても対応できるように準備している。やはりサッカーは切っても切れない彼の身体の一部なのである。