究極の選択になるが、夏と冬どちらが好きかと言われれば夏になる。単純に寒いのが嫌いなだけだが、突き抜けた寒さとなると話は変わってくる。非日常的な寒さを味わう気分は悪くない。

 ウィンタースポーツの取材現場は、そうした意味で特別な場所だ。より寒いのは、インドアで行われることが多い氷上の競技より、アウトドアで行われる雪上の競技になる。

 これまで体験した中で、最も寒かった場所はスウェーデンのファールン。1993年ノルディックスキー世界選手権の現場だった。クロスカントリーのゴール地点に設置された気温計は、マイナス28度。重装備で出かけても5分もすると、いたたまれなくなる極寒だった。

 選手は男子も女子もゴールするや、その場で着替える。汗で濡れたウェアが即、凍ってしまうからだ。日本人で最先着した選手に話を聞いていると、気がつけば、周囲を取り囲んでいた報道陣は、誰もいなくなっていた。

 翌1994年、その隣国ノルウェーでのリレハンメルで開催された冬季五輪も寒かった。これまで開催された五輪の中では最北端に位置する町で、なにより昼間の時間が短かった。

 開会式が行われたのも日が暮れた後だった。首から提げたカメラに付いた雪がなかなか溶けないので、よくよく目を凝らせば、それは雪の結晶で、五輪の開会式の現場で生まれて初めて見るラッキーに自己陶酔した記憶がある。

 夜が深まればオーロラが現れた。幻想的で壮観な眺めを堪能することになった。オーロラ観光ツアーで訪れたわけではない。五輪観戦のために訪れたにもかかわらず、図らずも目撃するという、お得感の高い偶然性を堪能することができた。

 こう言ってはなんだが、ウィンタースポーツの現場には浪漫チックなことが多いのだ。非日常的な、まさに旅情を楽しむことができる。厳冬の大自然に身を置いていることと、それは大きな関係がある。大都市で行われる夏季五輪の現場に、大きく勝る魅力だ。

 グルノーブル五輪(1968年)の記録映画「白い恋人たち」のテーマ曲(フランシス・レイ作曲)を彷彿とさせる世界が広がっているのだ。このシャンソン風な名曲を聴く度に、冬季五輪の現場を思い出すと言ってもいい過ぎではない。まさにノスタルジックで神秘的な、そして少しばかり洒落た気分に浸ることができる。

 日本で開催された長野五輪(1998年)も例外ではない。普段、東京で暮らしている日本人にも新鮮に感じられる、非日常性に溢れていた。

 極めつきは、ジャンプ団体。白馬のジャンプ台は試合当日、激しい積雪に見舞われた。日本は1本目で、3番手原田雅彦が79.5mに終わり4位に止まった。原田が飛ぶ段で、雪はさらに酷くなり、風も揚力を妨げる追い風に変わっていた。アプローチにさしかかった段階で、飛びそうもないことが分かっていた。

 風向きが分かりやすいジャンプ台の飛び出し口付近で観戦していた筆者には、そのことが肌感覚として分かっていた。これは飛ばないぞ、と。その79.5mは、失敗ジャンプというより、仕方ないジャンプだった。そのことは原田以外の3選手も把握していた。現場には特段バタついたムードはなかった。

 それより問題は天候だった。このまま悪天候が続けば、競技は打ち切り。1本目の結果が最終結果となる。日本チームはメダルを逃すことになる。

 スタンドを満員に埋めた観衆は動こうとしなかった。雪が吹雪く中、ひたすら静かに再開の時を待った。飛び出し口付近から霞むように見えるその下界の風景は幻想的でシュール、かつ壮観な、まさしく冬季五輪の現場だった。

 その間、ジャンプ台ではフォージャンパーと呼ばれるテストジャンパーが次々と滑り降りていた。もちろん日本人選手で、その中には、日本代表に漏れた選手たちも多くいた。悪天候の中でも普通に飛べますよ。2本目を再開しても大丈夫ですよと、主幹である国際スキー連盟に無言でアピールした。美談として語り継がれている話だ。