Jリーグもヨーロッパのサッカーも動きを止めているなかで、ネットニュースに過去を振り返る記事が目立つ。

 外出自粛で取材活動がストップしているだけに、手元にある情報を活用するしかないことは僕自身も痛感している。そのうえで言えば、過去のトピックスを振り返る記事には、気持ちの浮揚効果がある気がする。「あのチームはすごかった」とか「あの試合は面白かった」という記事を目にすると、その当時の興奮が自分のなかによみがえってくる。ほんの少しでも、気持ちが上向いていく。新型コロナウイルスの感染拡大防止と格闘するいまだからこそ、「楽しかったひと時」を思い出す時間が求められていると思うのだ。

 そうやってネット上のニュースを眺めていると、サッカーなら日本代表やJリーグに紐づいたものが多い。「ベストイレブンもの」は定番と言っていいが、選ぶ人によってこだわりが見えてくる。自分にはない視点に触れることができたりするので、ついチェックしたくなる。

 ゴールデンウィーク前の記事で1999年のワールドユースに触れたが、のちに黄金世代と呼ばれる小野伸二たちのチームが準優勝に輝いてから6日後、完全アウェイのなかでアジアの頂点に立つチームが現れた。

 ジュビロ磐田である。アジアクラブ選手権で初優勝を飾ったのだ。

 Jリーグのクラブがアジアクラブ選手権を制するのは、87年の読売クラブ以来12年ぶりだった。93年のJリーグ開幕後は初めてである。

 リーグ戦の合間にイランの首都テヘランへ遠征し、準決勝と決勝は中1日で行われた。しかも決勝では、地元のエステグラルと激突している。10万人とも言われる大観衆が集結した完全アウェイで、ジュビロは2対1の勝利をつかんだ。

 さらに言えば、外国人の力を借りていない。ドゥンガは前シーズン限りでチームを去り、ブラジル人CBのアジウソンはケガでイランへの遠征に参加していなかった。

 アジアクラブ選手権からアジアチャンピオンズリーグへ発展した大会では、07年に浦和レッズが、08年にガンバ大阪が優勝を飾った。17年には浦和レッズが2度目の戴冠式を迎え、翌18年には鹿島アントラーズが念願のアジア王者に輝いた。

 ただ、99年当時は「アジアで勝つこと」の意義や価値が、いまほど浸透していなかった。のちの優勝チームのように、スケジュールのバックアップも受けていない。アウェイゲームに関わる資金の援助もなかった。ジュビロは限りなく孤独な戦いに挑み、そしてカップを掲げたのだ。
情報を整理するほどに、99年のジュビロの足跡は力強い。もっともっと掘り起こされるべきトピックなのだが、かなり控えめな扱いとなっている。完全アウェイと化したアザディスタジアムの雰囲気を、ジュビロとともに体感したメディアが少なかったのはその理由だろう。

 他でもない僕自身も、テヘランには行っていない。アジアで勝つことの意義を、理解していなかった。

 過去を振り返る作業は、意外なほど楽しい。自粛で折りたたまれている気持ちが、きれいに伸びていくようだ。

 そして、少し残念な気持ちにもなったりする。インターネット上で話題になっている大会や試合が、取材ノートに書きこまれていないことを悔やむ。

 緊急事態宣言は延長され、自宅に籠る毎日はもう少し続く。「取材に行けるときには、無理をしてでも行っておかなければ」という思いが、僕のなかで強くなっていく。