東西線は、いかにして最も混雑する路線になってしまったのか?<東京地下鉄100年史>

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 1964年、東京オリンピックの閉幕から約2カ月後の12月23日、東京に5番目の地下鉄「東西線」が開業した。東京の地下鉄ネットワークは、1925年に策定された5路線からなる地下鉄建設計画を原点に形作られてきた。東西線はオリジナルの5路線の最後を飾る路線であり、また、それまでの路線とは異なる様々な新機軸を取り入れた路線でもある。

◆国鉄と直通運転をするため、1両20mで最大10両編成

 東西線の最大の特徴は、初めて国鉄(現JR)と相互直通運転を行った地下鉄ということだ。そのために、中央・総武線と共通の規格を取り入れ、それまでより車両を大型化した。

 銀座線は1両あたり16mで6両編成(全長96m)、丸ノ内線は1両あたり18mで6両編成(全長108m)、日比谷線は1両あたり18mで8両編成(全長144m)だったが、東西線は1両あたり20mで最大10両編成(全長200m)の列車を運行可能な設計とし、これまでの路線より輸送力を大幅に増強した(1977年から1991年にかけて10両編成化)。以降の路線は、南北線を除き、全て20m車両10両編成が基本となった。

◆中央線快速と総武線の混雑緩和を目指して

 なぜ地下鉄がこれほどの輸送力を備え、国鉄との直通運転に踏み切ったのか。国鉄は当時、中央線(快速)の混雑に頭を悩ませており、利用者の一部を中央・総武線(各駅停車)に誘導したいと考えていた。

 だが、東京駅を経由しない中央・総武線は利用者が少なかった。そこで国鉄は、御茶ノ水〜東京駅間に線路を増設し、中央線各駅停車を東京駅に乗り入れさせることで利用者を増やそうと考えたが、建物が密集した都心に新たな線路を建設することは困難だったため、東西線の整備計画と手を組み、東西線経由で都心に乗り入れることにしたのである。

 中央線との直通運転が決定した東西線には、もうひとつの「バイパス」としての使命が与えられることになった。国鉄総武線の混雑緩和だ。千葉から都心に向かう総武線も当時、激しい混雑が問題となっていたため、東西線を千葉まで延伸し、総武線と直通運転を行うことで、新たな都心直通ルートを整備しようと考えたのだ。この結果、東西線は営団地下鉄の路線としては初めて千葉県まで延伸した路線となった。

◆未開発地帯を走る高架線として建設

 東西線は元々、東京東部の主要な繁華街であった洲崎(東陽町)までの計画だったが、総武線のバイパス機能が追加された結果、東陽町から西船橋までの区間が追加で建設されることになった。

 1960年代当時、東陽町から荒川を越えた先にある葛西や、さらに江戸川を越えた先にある浦安、行徳は、湿地が広がる未開発地帯であったため、わざわざ地下を走る必要もなく、「地下鉄」でありながら高架線として建設されることになった。

 1969年、東陽町〜西船橋間の延伸開業に伴い、東西線は地下鉄としては初めて本格的な快速運転を開始する。高架区間の最高速度はこれまでの地下鉄の最高速度を大きく超える時速100キロ。西船橋〜日本橋間が最速20分で結ばれた。

 快速運転の目的は、千葉から都心までの所要時間を短縮し、より多くの利用者を総武線から東西線に流し込むことである。そのため、当時の快速運転は朝のラッシュ時間帯でさえも、西船橋から東陽町まで一駅も停車せずに運転をしていた。

◆新たな住宅地の誕生

 ところが、日本橋、大手町まで地下鉄1本で出られるようになった、葛西や浦安、行徳の町並みは一変する。東西線沿線は住宅地として注目され、一大住宅地として変貌したのである。例えば、1960年にはわずか7.6万人だった江戸川区の人口は、1980年には16.6万人、2000年には25.9万人に増加。その結果、東西線では1979年に西葛西駅、1981年に南行徳駅、2000年に妙典駅と新駅が3駅も設置され、利用者は右肩上がりで増えていった。その結果、東西線は東京の地下鉄の中で一番混雑する路線になったのである。

 東西線の役割は、中央線、総武線のバイパスから、沿線住宅地の利用者を都心へと運ぶことへと変化していった。当初、西船橋から東陽町まで全ての駅を通過していた快速列車も、浦安に停車するようになり、葛西、西葛西、南砂町に停車するようになり、今では一部の「通勤快速」が西船橋〜浦安間を通過するのみとなっている。

 これまでの地下鉄は既存の市街地に建設されることが多かったが、東西線の整備は、未開発の地域に都心直通の地下鉄を建設すると、その地域が近郊住宅地として変貌することを示すこととなった。

<文/枝久保達也>

【枝久保達也】
鉄道ライター・都市交通史研究家。1982年、埼玉県生まれ。大手鉄道会社で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当した後、2017年に退職。鉄道記事の執筆と都市交通史の研究を中心に活動中。