オフトジャパンの面々。このチームがワールドカップを戦う姿を観たかった。写真:サッカーダイジェスト

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 個人的にもっとも思い入れが強い日本代表が、オフトジャパン。今から30年前、どこか人間臭く、情熱的だったそのチームの戦いぶりは実に魅力的で、ドラマチックだった。

 当時オフトジャパンで中核を担った福田正博に「あのチームから感じられたパッション(情熱)の正体は?」と訊いて返ってきた答が、「(ハンス・)オフトが就任した92年は翌年にJリーグが開幕することもあって、盛り上がっていたよね。だから、選手たちは使命感に燃えていた。日本を盛り上げないといけない、できればワールドカップに出場したい」というものだった。

 使命感──。そこから発せられたパワーに魅了されたのだろう。オフトジャパンの試合からは決まって“魂”みたいなものが感じられた。例えば92年に開催されたアジアカップのグループリーグ最終戦(11月3日)、勝たなければ準決勝に進めないイラン戦で日本は苦戦を強いられていた。そこで救世主的な活躍をしたのが、三浦知良ことカズだった。0−0で迎えた87分、井原正巳のスルーパスに反応すると、至近距離から豪快に右足で蹴り込み歓喜を呼び込んだのだ。試合後の「魂込めました、足に」というコメントは後世の語り草になっている。

 その後、準決勝で中国を3−2、決勝ではサウジアラビアを1−0で下したオフトジャパンはアジアカップを制覇。同年のダイナスティカップに続く国際タイトルを獲得した。92年8月に行なわれたダイナスティカップでもそうだが、追い込まれながらも最後は勝つ、まるで“勧善懲悪のドラマ”のような爽快感を提供してくれたところも、このチームに惹かれた要因のひとつだ。
 
 確かに、最後はドーハ(アメリカ・ワールドカップ・アジア最終予選の舞台)で悲劇的な結末を迎える。それでも、その最終予選の韓国戦(結果は1−0)、同アジア1次予選のUAE戦やタイ戦(ともにホーム/UAE戦は2−0、タイ戦は1−0)で見せた勝負強さは決して色褪せない。

 勝負強さの象徴がカズだった。前述したイラン戦の他にも、ワールドカップ・アジア1次予選のタイ戦、同最終予選の北朝鮮戦や韓国戦などで、決めてほしい局面で期待通りのゴールを奪う決定力が彼にはあった。これぞエースという活躍をカズはしてくれた。オフトジャパン以降、日本代表でカズほど決定的な仕事をしているストライカーは見当たらない。

 もちろんカズ頼みだったわけではない。選手層の薄さは致命的な弱点に映ったものの、チームとして非常に組織的で、トップ下気味の福田、司令塔のラモス瑠偉を軸に展開される攻撃には華があった。当時は画期的だった「アイコンタクト」「コンパクトフィールド」といったものにこだわったオフト監督の下では、選手個々の役割が整理されており、無駄な動きが少なかったように記憶している。意図的なパスやフリーランが目立ち、そういうファクターが融合して“華のあるアタック”になっていた。
 
 オフトが当時スタメンとして重用していたのが以下の11人だ。2トップはカズと郄木琢也、トップ下が福田で、左右のMFが吉田光範とラモス、ボランチは森保一。4バックは堀池巧、柱谷哲二、井原正巳、都並敏史で、GKが松永成立の11人だった。上手い選手を並べたわけではなく、前線で身体を張れる郄木をポストプレーヤー、危機察知力に優れた森保をボランチとして使うなどチームのバランスを最優先に考えていた印象だ。

 ポストプレーヤー、ボランチといった呼び名が日本でも広まったのはオフトジャパン以降ではなかったか。いずれにしても、一人ひとりに明確な役割を与え、それを実践させたオフト監督の功績は計り知れない。
 
 「たら・れば」の話をしても仕方ないのだが、このチームがアメリカ・ワールドカップを戦うところを観たかった。ワールドカップ最終予選は“ドーハの悲劇”だけがクローズアップされているが、大局的に見ればチームとしての総合力が足りなかった。最終予選で負傷中の左サイドバック・都並の穴を埋めきれず、絶不調だった福田の代役も正直見当たらなかった。そんな日本代表がたとえワールドカップに出ても大敗するだけだと、そんな非難を受けるのを覚悟で改めて言いたい。

 オフトジャパンをアメリカ・ワールドカップで観たかった。

文●白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)

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