ベスト11に見るJリーグの歴史(1)
1990年代編

 Jリーグの歴代ベスト11に関して、まずはクイズから始めたい。

 クイズの答えは、本文の中に出てくるので、頭の中で記憶の糸をたどりつつ、順に読み進めてもらうことをオススメしたい。

Q1:1シーズンで最も多くの選手がベスト11に選ばれたのは、何年のどこのクラブか?

Q2:複数のポジションでベスト11に選出されたことのある選手をすべて挙げよ。

Q3:1994年のベスト11で最も多くの選手が選ばれたのは、優勝したヴェルディ川崎。では、2番目に多かったクラブは?

Q4:過去、得点王を獲得しながら、ベスト11に選ばれなかった選手がいる。○か、×か。

Q5:外国人選手の中で、ベスト11に選ばれた回数が一番多い選手は?

Q6:Jリーグ史上初の1シーズン制で行なわれた1996年に、最も多くの選手がベスト11に選ばれたクラブは?

Q7:高卒ルーキーでベスト11に選ばれた選手をすべて挙げよ。

 Jリーグが誕生した最初のシーズン、すなわち1993年のベスト11は、27年後の現在見ても、しっくりくるというか、何とも腑に落ちる顔ぶれがそろっている。

◆1993年のベスト11(※その年のチーム名で表記。以下同)
【GK】松永成立(横浜マリノス)
【DF】ペレイラ、柱谷哲二(以上、ヴェルディ川崎)、大野俊三(鹿島アントラーズ)、井原正己(横浜M)、堀池巧(清水エスパルス)
【MF】ラモス瑠偉(V川崎)、本田泰人、サントス(以上、鹿島)
【FW】三浦知良(V川崎)、ラモン・ディアス(横浜M)



ヴェルディ川崎が王者となったJリーグ初年度。ベスト11の顔触れはバランスがよかった

 セカンドステージ王者にして、チャンピオンシップも制し、初代Jリーグ王者となったV川崎から最多の4人。チャンピオンシップでは敗れたものの、ファーストステージ王者となった鹿島から3人。両ステージとも3位の横浜Mからも同じく3人。ファーストステージで4位、セカンドステージで2位の清水から1人。

 順位に応じたクラブ別の人数配分は収まりがよく、日本人選手のほとんどが同年の”ドーハの悲劇”に立ち会った日本代表選手。全体のバランスといい、顔ぶれの納得感といい、初代ベスト11にふさわしい。

 ところが、翌1994年になると、セカンドステージ優勝からJリーグ連覇を果たしたV川崎――他を圧倒するスター軍団の独壇場となった。

◆1994年のベスト11
【GK】菊池新吉(V川崎)
【DF】ペレイラ(V川崎)、井原正己(横浜M)、名塚善寛(ベルマーレ平塚)
【MF】ラモス瑠偉、ビスマルク、柱谷哲二、北澤豪(以上、V川崎)、ベッチーニョ(ベルマーレ平塚)
【FW】武田修宏(V川崎)、高木琢也(サンフレッチェ広島)

 ベスト11のうち、V川崎勢が実に7人。これは、2002年のジュビロ磐田、2018年の川崎フロンターレと並ぶ、1シーズン最多タイの記録である(Q1の答え=1994年のヴェルディ川崎、2002年のジュビロ磐田、2018年の川崎フロンターレ)。

 ただし、最多7人が選ばれた3例のうち、GK、DF、MF、FWと4つのポジションすべてで選ばれたのは、V川崎だけの”快挙”だ。

 ちなみに、最多7人には及ばないものの、”4ポジション完全制覇”を成し遂げた例は、2011年の名古屋グランパス(GK楢崎正剛、DF田中マルクス闘莉王、MF藤本淳吾、FWジョシュア・ケネディ)と、2012年の広島(GK西川周作、DF水本裕貴、MF高萩洋次郎、MF青山敏弘、FW佐藤寿人)がある。

 また、この年はV川崎の闘将、柱谷哲二がMFで選ばれているが、柱谷は前年の1993年にはDFとして選出されている。異なるポジションでのベスト11選出は他に、森島寛晃(セレッソ大阪)が1995年にFWで、2000年にMFで選ばれているだけだ。これもまた、史上2人しかいない快挙である(Q2の答え=柱谷哲二、森島寛晃)。

 V川崎が人気、実力とも絶頂期にあった1994年だが、このシーズン、意外な躍進を見せたのが、”湘南の暴れん坊”だった。

 Jリーグ昇格1年目の平塚は、ファーストステージこそブービーの11位に終わったが、セカンドステージでは一気に2位へ躍進。大胆な攻撃姿勢で旋風を巻き起こし、いきなり2人をベスト11へ送り込んだ(Q3の答え=ベルマーレ平塚)。

 逆に、そのあおりを喰らったのが、得点王を獲得したオッツェこと、フランク・オルデネビッツ(ジェフユナイテッド市原)である。30得点を記録しながら、チーム成績(ファーストステージ=6位、セカンドステージ=9位)も影響してか、ベスト11から漏れている。

 歴代得点王のなかで、そのシーズンのベスト11で選外となったのは、他に2016年のピーター・ウタカ(広島)がいるだけだ(Q4の答え=○)。

 続く1995年も、V川崎が依然として実力を発揮。チャンピオンシップで横浜Mに敗れ、3連覇を逃しはしたが、ファーストステージで2位、セカンドステージで優勝と、コンスタントに強さを見せつけた。

 しかし、ヴェルディ時代は、徐々に終焉へと向かい始める。

 初めて1シーズン制で行なわれた1996年、V川崎は7位に転落。カズが初の得点王となり、ベスト11でもひとりで牙城を守ったが、時代の流れを止めるまでには至らなかった。

 その後、V川崎からベスト11に選ばれたのは、1999年の中澤佑二ただ1人。東京ヴェルディとなって以降は、ベスト11どころか、長くJ2生活が続いている。

 V川崎の3連覇が潰えた1995年は、外国人選手の当たり年でもあった。それを象徴するのが、ギド・ブッフバルト(浦和レッドダイヤモンズ)と、ドラガン・ストイコビッチ(名古屋)である。

 1990年ワールドカップの優勝(西ドイツ)メンバーであるブッフバルトは、それまで最下位が指定席だった浦和をファーストステージで3位に導き、得点王を獲得した福田正博とともに、浦和から初のベスト11に選出。

 また、ブッフバルトよりも4歳下のストイコビッチは、30歳だったこの年、名古屋をファーストで4位、セカンドステージで2位へ引き上げると、ベスト11とともにMVPにも選ばれている。

 1995年は2人の他、ビスマルクがベスト11に選ばれているが、レオナルド(鹿島)、サルバトーレ・スキラッチ(磐田)らが選外となっているのだから、どれだけハイレベルな争いだったかがうかがえる。

 翌1996年にも名古屋は2位となり、ピクシーは2年連続でベスト11に選出。その後、1999年にも3回目のベスト11に選ばれている。通算3度のベスト11選出は、ビスマルク、エメルソン(浦和)と並び、外国人選手としては最多記録である(Q5の答え=ビスマルク、ストイコビッチ、エメルソン)。

 初めての1シーズン制で行なわれた1996年は、鹿島の初優勝で幕を閉じたが、優勝争いは熾烈を極めた。優勝した鹿島の勝ち点66に対し、2位の名古屋、3位の横浜フリューゲルスは勝ち点63。上位3クラブとも勝敗数では21勝9敗で完全に並んでいたが、PK負けが3つあった鹿島が僅差で名古屋以下を振り切った(当時のルールは引き分けがなく、勝利=勝ち点3の他に、PK負け=勝ち点1が与えられた)。

 それぞれの戦力がいかに拮抗していたかは、ベスト11の顔ぶれにも表れている。

 このシーズンは、MVPこそ優勝した鹿島からジョルジーニョが選ばれたが、ベスト11は横浜Fから最多の3人(GK楢崎正剛、MF前園真聖、MF山口素弘)が選出され、鹿島の2人(DF相馬直樹、MFジョルジーニョ)を上回った。横浜マリノスとの合併消滅が決まる、わずか2年前の出来事である(Q6の答え=横浜フリューゲルス)。

 日本がワールドカップ初出場を果たした一方、横浜Fが消滅するという激動の年となった1998年、すい星のごとく現れたのが、小野伸二(浦和)である。

 清水市商高時代から「天才」と称された小野は、1年目からレギュラーに定着。小野の活躍に引っ張られるように、浦和はセカンドステージでクラブ史上最高タイ(当時)の3位にランクアップ。小野は新人王ばかりか、高卒ルーキーにしてベスト11にも選出された。

 新人王は現在、ベストヤングプレーヤー賞へと名称を変えただけでなく、途中、資格条件も段階的に変更されてきた。そのため、過去の受賞者を単純に比較することはできない(現在の資格条件は「21歳以下=昨季の場合、1998年4月2日以降生まれ」、「J1出場17試合以上」、「過去に同賞を受賞していないこと」)。

 とはいえ、新人王(ベストヤングプレーヤー賞)とベスト11を同時受賞した選手は、他に1999年の中澤佑二(V川崎/受賞当時21歳。プロ1年目)、2008年の小川佳純(名古屋/同24歳。プロ2年目)、2011年の酒井宏樹(柏レイソル/同21歳。プロ3年目)と3人いるが、高卒ルーキーだったのは、小野ひとり。19歳でのベスト11も史上最年少記録である(Q7の答え=小野伸二)。

 そもそも10代での新人王(ベストヤングプレーヤー賞)受賞にしても、小野の他には、2000年の森崎和幸(広島/受賞当時19歳。プロ1年目)、2004年の森本貴幸(東京V/同16歳。プロ1年目)、2010年の宇佐美貴史(ガンバ大阪/同18歳。プロ2年目)、2013年の南野拓実(セレッソ大阪/同18歳。プロ1年目)の4人しかいない。10代でのベスト11選出が、いかにスゴいことかがわかるだろう。

 余談ではあるが、昨季の久保建英がシーズン終了までFC東京でプレーしていたら、小野に続いた可能性は高いのではないか。それどころか、もし優勝していれば、後半戦の活躍次第で史上初の10代MVPすらあったかもしれない。

 今となっては、”たられば”の想像でしかないのだが。