『青い珊瑚礁』や『赤いスイートピー』などの代表曲で知られ、57歳を迎えた今も現役のアイドルとして活動を続ける松田聖子。“伝説のアイドル”と言われた山口百恵が引退した1980年に入れ替わるようにデビューし、“聖子ちゃんカット”が女性の間で大流行するなど、まさに時代のアイコンとなった一人である。

 そんな彼女が“魔性の女”として世間に認知されたのは、歌手・郷ひろみとの破局、そして、それから間もなく人気俳優・神田正輝との婚約が明らかになってからのことだ。

 デビュー2年目の81年あたりから、郷との交際は知られていた。しかし、一部で「結婚間近」と報道されていた85年の1月、突如として会見を開いた聖子は郷との破局を告白。さらに次の名言を残したのである。

「もし、今度生まれ変わった時には絶対一緒になろうねって」

 そして、舌の根も乾かぬ1カ月後に、神田との交際が報道されることとなったのだ。さらに、その2カ月後となる4月には、神田との正式な婚約を発表。この件に関して、郷は会見することさえ知らなかったと語り、「僕が生まれ変わって虫だったらどうする気だろう?」とコメントしている。

★郷ひろみとの離別は“格差”が原因?

 では、なぜ聖子は郷から神田に乗り換えたのだろうか。それは、今でもファンの間で議論の種となる謎である。公式の説明として、郷は結婚後、聖子が家庭に入ることを望んだのに対して、彼女はアイドルをやめない意向であったため、両者の間に溝ができたというものである。しかし、この件については疑問が残る。結果として復帰するものの、聖子は神田との結婚の際には、芸能界を引退する意向を表明していたのである。それが、郷との結婚ではそうでなかったというのも妙な話だろう。そうした謎めいた経緯から、神田はあくまで“表面上”の夫であり、聖子は石原軍団のボス・石原裕次郎の愛人であったとする説もファンの間で囁かれたほどだ。とはいえ、この説は当時、裕次郎が肝臓がんを患っていたことや、解離性大動脈瘤の手術によって体力がなくなっていたという状況を考えると、考えにくいのだが…。

 そんな中、より信憑性があると言われているのは、両者の間に“格差”が生じたのが原因ではないかとする説だ。70年代には西城秀樹、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれトップアイドルであった郷だが、80年代になると人気が陰り始め、落ち目と見られることも少なくなかった。それに対し、当時の聖子はまさに“絶頂期”で、大ヒットを連発しては、まさにトップアイドルへの階段を上っている途中と言えた。元来、郷のファンであり、同じレコード会社に所属(CBSソニー)していたという接点を活かして交際にこぎつけた聖子ではあったが、自身の立場を鑑みて、以前から抱いていた“思い”に変節が起こったとしてもおかしくはない。そんな状況の中で、映画『カリブ・愛のシンフォニー』(85年公開)で共演し、メキシコでロケを共にした上、聖子が体調を崩した際には献身的に看病をしたという神田に心が移るというのも、納得のいく話ではあるだろう。

 そんな神田とも97年に離婚した聖子は、その後、98年に6歳年下の歯科医と結婚するも2000年に離婚。さらに12年にはやはり歯科医である別の男性と3度目となる結婚を果たしている。その最中にニューヨークでジェフ・ニコルスなる男に交際を暴露されるなど、男を翻弄する“魔性の女”としての一面を持ちつつも、現在までアイドルとして活動し続ける心臓の強さは、さすが一時代を築いただけのことはあると恐縮するばかりだ。