06年のプロ入りから今年で15年目。36歳となった今も高い技術や戦術眼は衰えていない。(C)J.LEAGUE PHOTOS

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 結果は分かっているのに、索引の「ふ」の欄を指でなぞってみる。やっぱり、ない。2020年シーズンの選手名鑑に、「藤本淳吾」の名前は載っていない。

 ガンバ大阪で4年目を迎えた昨季は、夏にJ2の京都サンガF.C.にレンタル移籍。年が明けてから8日後、いずれのクラブとの契約満了が発表される。次なる新天地はどこになるのか。その知らせが一向に届かない。現役引退のリリースもない。

 そうこうしているうちに、選手名鑑は校了。だから、分かっている。分厚いその本に「藤本淳吾」の顔写真も、キャリア表も、詳細なデータも見つけられないことを。

 リーグ戦が開幕する頃にはさすがに決まっているだろう。だが、なんの音沙汰もない。オフィシャルブログの更新も昨夏から途絶えている。いったい、どうなっているのか。現状を知るだけならいくらでも手段はあるが、ここまでの経緯と、これからについて、本人に直接話を訊きたいと思った。

 オンラインでの取材許可を得て、画面に映る藤本を眺めると、昨季の短髪からそれなりに髪が伸びて、36歳という年齢のわりには若々しい印象を受けた。

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――まずは昨シーズンについて聞かせてほしい。前半戦はG大阪で出場2試合、後半戦は京都で8試合という成績。数字的にも納得できないと思うけど、振り返ると?
「去年というより、その前のシーズンに監督がレヴィー(・クルピ)からツネさん(宮本恒靖)に代わって、(小野瀬)康介が移籍してきて、そこから……。まあ、同じポジションだし、自分としては結果を出しながら出場機会をうかがおう、とは思っていた。半年間はそういう風に過ごして、去年はこのまま出番が少なくなるのか、そこは自分次第だと考えていたけど、キャンプ中や開幕前ぐらいから、チームの構想にあんまり入ってなさそうだな、と」

――実感があった?
「そうそう。開幕戦(横浜戦/●2-3)もメンバーから外れたし。若手に切り替えようとしていたのかな。それでもルヴァンカップではチャンスを掴んで、リーグ戦は2節の清水戦で途中から出たりしたけど、自分としては、“絶対的な人”でも中心選手でもない、メンバーに入るか入れないかぐらいの位置付けだと思っていた。だから、ツネさんに話を聞きに行ったりもした」
 
――自分が置かれている状況について?
「監督はどういうイメージなんだろうって。練習でも点を取ったり、スタメン組とサブ組に分かれたゲーム形式のメニューでも、やれていた感覚があったから。でも、もしかしたら自分の中の“やれている”と、監督の求めているプレーがズレているのかもしれない。それを確認するためにも聞きにいった」

――宮本監督はどんな話を?
「もちろん、戦力として考えてくれている、と。ただ、対戦相手に合わせてメンバーを決めているみたいで、それは4バックしかり、3バックしかり、スタメンしかり、サブしかりで。たとえば、走力が必要な相手なら自分は外れるかもしれないし、こっちがボールを握れてポゼッションできる相手なら、そういう時間帯に出るとか」

――それでも、リーグ戦では思うように出場機会を得られず、7月に京都にレンタル移籍。決断の理由は?
「単純に試合に出たかった、それが一番かな。試合をして、サッカーを楽しみたかった」
 
――移籍を決断するまでは悩んだ?
「そりゃ、悩みましたよ。去年、ガンバに残ったのも、やれる自信はあったし。もう一度、奮起してやってやろうと思っていた。ただ、半年経っても状況は変わらなくて、ツネさんがJ3(U-23チーム)で指導されていた若手選手たちも力をつけてきている。それなら、もうしょうがないかなって。それで京都から話をいただいて、強化部には(名古屋時代にチームメイトだった)巻佑樹がいたし、チームにも名古屋で一緒にプレーしていた選手が多くいたから、スムーズに入っていけるんじゃないかなって」