同い年ながら、小野に対して最大限のリスペクトを示した小笠原(写真はインタビュー当時)。(C)Miki SANO

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 当サイトで好評を博した連載『黄金は色褪せない』。1999年のナイジェリア・ワールドユースで銀メダルに輝いた“黄金世代”のなかから、小野伸二、遠藤保仁、小笠原満男、稲本潤一、本山雅志の5人に登場してもらい、その華麗なるキャリアの全容に迫ったインタビューシリーズだ。

 今回はGW企画「黄金の記憶」として、数多ある興味深いエピソードから厳選した秘話をお届けしよう。

 舞台は2005年の秋。ドイツ・ワールドカップのアジア最終予選が佳境を迎えていた頃、ジーコジャパンは重要なバーレーン戦に臨もうとしていた。決戦の地マナーマで、小笠原は盟友・小野の“人間力”に心を揺さぶられるのだ。

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 恩師ジーコが監督に就任してから、小笠原満男は日本代表の中盤に欠かせない存在となっていく。ドイツ・ワールドカップまでの4年間、すべての試合や遠征に招集された。
 
 だがそれは、自問自答を続ける葛藤の日々でもあった。
 
「トルシエさんの頃に比べたら割と使ってもらえるようにはなった。でも、海外でやってる選手が帰ってくると出れない、いなければ出れるっていう構図。なんとか覆して自分のポジションを確立したいと思ってたけど、ヒデ(中田英寿)さん、(中村)俊輔さん、シンジ(小野伸二)、イナ(稲本潤一)の4人がいると、まあ出れなかったね。悔しさはあったよ」

 
 そんななかでも、ひとたびピッチに立てば、小笠原は印象深い働きを披露した。その最たるゲームが、2005年6月3日のドイツ・ワールドカップ最終予選、敵地でのバーレーン戦だ。圧巻のパフォーマンスを示し、鮮やかなミドルシュートを蹴り込んで1−0の快勝に貢献。3大会連続出場をグッと引き寄せる、貴重な3ポイント奪取だった。

 このバーレーン戦の前日、小笠原は生涯忘れることのない出来事に遭遇する。
 
「あの試合は、シンジが直前の練習で骨折して、俺に出番が回ってきただけ。急きょ出ることになったわけだけど、あの時のシンジの姿勢がいまでも忘れられない」
 日本でのキリンカップで散々なパフォーマンスに終始し、ジーコジャパンへの風当たりは日増しに強くなっていた。
 
 チーム内にも不穏な空気が立ち込め、中東入りしてからもムードが高まってこない。そこで危機を察した主将の宮本恒靖が呼びかけ、選手だけで話し合いの場を設ける。上も下も関係なく大いに意見をぶつけ合った。大事な2連戦(バーレーン戦と北朝鮮戦)を前に、チームはなんとか一枚岩となれた。いわゆる「アブダビの夜」だ。
 
 その翌日だった。バーレーンに移動した直後の練習で、小野が右足の甲を骨折してしまう。2日後のバーレーン戦はおろか、長期離脱を懸念されるほどの怪我だった。
 
 ミツオは、よく覚えているという。
 
「シンジ自身、出れなくなってそうとう悔しかったと思う。それだけ大事な試合だったからね。でもさ、怪我した後なのに心配させまいと、食事の時とかでも、みんなの前でニコニコしてて……。その直後、俺が代わりに出るような雰囲気になって、声をかけてくれた。『頑張れよミツ、応援してるからな』って。このひと、本当にすげぇなと思った。ずっとシンジが出てて俺が出れなくて、多少なりとも悔しいとか思ってた自分が恥ずかしくなった。バーレーン戦は、シンジに頑張ってくれって言われたから、頑張っただけだよ。シンジの代わりを果たしただけ。自分の感情を抑えて笑顔で振る舞って、代わりに出るヤツに頑張れって……。感じるものはすごくあったし、いまでも忘れられない」

 
 鬼気迫るプレーで中盤を牽引し、決勝点も挙げる奮迅の働き。ゴールを決めた後には、めずらしく雄叫びを上げた。
 
 友に捧げる、会心の一撃だった。
 
文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

※2017年6月掲載分より抜粋、再編集。

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