08年6月15日のみちのくダービーで仙台を下した山形。キャプテンの宮沢は18分に先制点をヘッドで決めた。写真:Jリーグフォト

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 モンテディオ山形にとって時代の転換点をひとつ挙げるなら、J2からJ1へ昇格した08年になる。そのシーズンの昇格後、3年間J1に在籍しながらクラブの知名度を高めて環境を改善させた時代につながるが、それも昇格したからこそのものだ。

 08年の昇格に向かう原動力となったのは、5月から6月にかけてのリーグ6連勝。ダービーの手痛すぎる敗戦からリベンジを経て、当時の若手選手と新体制のチームが逞しく成長した1か月間だろう。
 
 今や「昇格請負人」と呼ばれる小林伸二監督が山形の指揮を執って1年目のシーズン。山形はまずまずの滑り出しを見せたが、エースの豊田陽平や主力ボランチの渡辺匠が怪我で離脱して戦力が手薄になると、当時21歳の長谷川悠や大卒2年目の佐藤健太郎、大卒ルーキー石井秀典など、経験の少ない若手が出場機会を増やしていった。

 そして迎えた5月18日の第14節、ユアテックスタジアム仙台で行なわれたベガルタ仙台とのみちのくダービー。その年の降格組である広島と甲府を撃破し勢いに乗っていた仙台に対し、山形は堅いブロックを構築しながらもラインを高く設定してボールを奪いながら攻め、前半のうちに2点を先制した。

 しかし後半になると流れが一転。後半立ち上がりに1点を返されると、2枚目の警告で退場者(宮本卓也)を出して数的不利に。リードはまだ1点あったものの、敵地の雰囲気に飲み込まれてしまった山形は、終盤一気に崩れて2点を奪われてしまう。若手の経験不足やチームとしての未成熟さも露呈しながら大逆転負けを喫した。
 
 この敗戦に誰よりも憤り奮起したのは小林監督だ。この年のJ2は15チームが3クール制で対戦するシーズンで、次の仙台戦まで5試合と近かったこともあり「次のダービーまで全部勝利する」と明言してリベンジを誓った。
 
 指揮官の激を受けて山形の選手達にも火がついた。開幕から仙台戦までの14試合で挙げた得点数と同じ16得点を、ダービーまでのわずか5試合で叩き出して、有言実行の5連勝。怒涛の勢いのまま2度目のみちのくダービーとなる、ホームでの仙台戦(6月15日)を迎えた。
 
 1万5000人を越える観衆の中で行なわれた試合は、18分にキャプテン宮沢のヘディングシュートで先制すると、後半に入り66分にコーナーキックから石井の追加点が入り2点差に広がる。

 前回対戦と同じ2−0でリードするスコアになったが、その後も一切気を緩めなかった山形は、89分に長谷川悠がダメ押しゴールを決めて3−0。見事な完封勝利でリベンジマッチを制した。

 山形は3巡目の対戦となった8月のみちのくダービー(アウェーで開催)でも、怪我から復帰後に北京五輪に出場して帰国したばかりの豊田が決勝ゴールを決め1−0で勝利。その年のダービー勝ち越しを決めた勢いそのまま、ほぼ2位をキープしてJ1昇格への扉を開いた。
 
 この年に台頭してきた長谷川、佐藤、石井の3人は、ダービーの敗戦以降、主力としてJ1昇格争いを経験。その後J1の舞台でも3年間主力として貢献し続けることになる。未熟だったチームもあの敗戦を機にひとつにまとまり、昇格戦線を戦い抜くことができた。
 
 選手の成長と6連勝という結果を出した1か月間。「敗戦を糧に」とはよく使われる言葉だが、これほど完璧な形で糧にしてリベンジを果たした例はそう多くないだろう。
 
 結果論になるが、あのダービーの敗戦を乗り越えて成長できたからこそ、この年のJ1昇格とその後のJ1での奮闘があったのかもしれない。

文●嶋 守生(フリーライター)

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