日本代表を追い続け50年、伝説のカメラマンが語る「日本代表仰天秘話」

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2月10日、代官山 蔦屋書店でレジェンドカメラマン 今井恭司さんのトークショーが行われた。

釜本邦茂の時代から奥寺康彦、三浦知良、中田英寿から久保建英まで歴代の日本代表チームを撮り続けた生きる伝説だ。氏が柔らかい口調で語った日本代表にまつわる秘話を写真と共に少しだけ紹介しよう。

裸で練習していた

今より半世紀前、練習着などというものはなかった。そこでそれぞれ思い思いの洋服を着て練習着としていたそう。

ところがそれでは紅白戦にならない。ビブスではなく、片方のチームが裸、片方のチームがユニフォームというもので戦っていたこともあるそうだ。

ちなみにそんな状況を見かねてか統一したトレーニングウェアが採用されることとなったとか?

審判が撮影のために忖度!?

まだJリーグなんて考えられなかった時代、リーグ戦のカメラマンは今井さん一人ということも度々あったそう。そんな時は相手側ゴールサイドでチャンスがあればカメラを担いで反対側へ。

PKの時などはカメラマンが到着するまで審判がPKの笛を吹くのを待ってくれた??んじゃないかと思うこともあったという。

ホテルを探せ

イスラエルで試合があった時のこと。当時、日本代表の滞在ホテル情報はJFAすら知らなかったという。頼りになるのは先についているはずの日本代表チームの1つの電話番号、ところがつながらない…。

タクシー運転手と1つ1つのホテルをしらみつぶしに。今井さんの言葉が通じない中、気が付いたらタクシーの運転手がホテルにかけあってくれるように。見つけたときはタクシー運転手が大喜びだったとか。

(写真の北澤選手を撮影した試合とは関係がありませんがあまりにも素敵な笑顔だったので笑顔つながりで掲載)

X線を出し抜け

デジタルカメラなんてない時代、雑誌媒体の入稿に間に合わせるには郵便局ではなく空港までわざわざ直接フィルムを送りにいっていたという。

フィルムにはX線ガードを入れて送るのだが、ガードがあるとわかるとその分X線を強力に浴びせてくる場合が多く、フィルムがダメになってしまうことも多かったという。そこで、あえてX線ガードをつけずに送ることでX線を弱めてなんとか送っていたのだとか。

それでも感光できない写真は感光できなかったというが、難を逃れた写真こそよく撮れたものだったと信じているそうだ。

取材NGエリアはない

当時は選手とカメラマンの距離が近かったもの。カメラマンも選手と同じバスで帰ったりしていたそう。

もちろん、ここまでが取材OK、こっからがNGというものもない。

カメラマンは普通に更衣室の様子を撮影していたし、試合によってはドレッシングルームなんてない時もあるから、ハーフタイムはピッチサイドで過ごしていたそう。

敵を応援するお偉方

日本代表のユニフォームは1988年から1991年まで赤色を採用していた。日本の国旗から採用されたと思われる赤色ユニフォームだが、韓国代表ほか敵の国と間違えられてしまうことも。

青色のチームと戦った時にお偉方は、青色チームが「全日本(今の日本代表のこと)」だと試合を観戦していて勘違いしたそうだ。

今回は少しだけをお届けしたがそれでも今の日本代表がいかに成熟した環境かを思い知るエピソードだろう。取材歴半世紀ということもあり、オフレコな話はたくさんあったのだが、それは来た人だけのお楽しみ…ということで。

最後はカズの歴史的な写真で締めくくりたいと思う。

また、こうしたサッカーカルチャーのイベントがあったらQolyからお知らせしていきたい。

※写真はイベントでスクリーンに映し出されものをイベント主宰側の許可を得て撮影しています。