人類がこの災厄を招いてしまった根本的な原因を考える必要がある(写真:Design Cells/iStock)

新型コロナウイルスは、コウモリからさらに別の動物を経て人に感染したのではないか、と言われている。中国・武漢で人への感染が確認され、さらに人から人への感染が世界に広がった。アメリカ・トランプ政権が疑いの目を向ける中国科学院武漢ウイルス研究所は近年、自然界のコウモリに宿るコロナウイルスの研究を重ねていた。続発する新興感染症、とりわけ人獣共通感染症が人間社会に突きつけるものは何か。

コウモリはSARSウイルスなどの「自然宿主」

新型コロナウイルスは、野生のコウモリから別の動物を経て人に感染したという見方が有力視されている。科学的な証拠がそろったわけではない。世界保健機関(WHO)は2月11日、新型コロナウイルスによる疾病を「COVID-19」と名付けたと発表した際に、その可能性を示唆した。

1970年代半ば以降に次々に現れた感染症を新興感染症と呼ぶ。研究が進むにつれ、AIDS(後天性免疫不全症候群)やエボラ出血熱などが野生生物由来であるとわかってきた。もともと自然界で野生生物の体内にいたウイルスが何らかのきっかけで人間に移り、感染する。自然界でウイルスが宿っていた野生生物を自然宿主という。人間と野生生物がともに感染することから、人獣共通感染症という用語もある。

SARS(重症急性呼吸器症候群)は2003年にアジアを中心に感染が広がり、同年7月にWHOが事実上の終息を宣言した。2002年11月から2003年7月末までの発症者は8096人、死者774人。現在の新型コロナウイルスの感染者数、死者数に比べれば、桁違いに少ない。しかし、北米にも広がり、パニックを引き起こした。

2年後の2005年になって、SARSを引き起こしたコロナウイルスの自然宿主はコウモリであるとの研究結果が発表された。日本獣医学会の人獣共通感染症に関する講座シリーズで、山内一也東京大学名誉教授が詳細をまとめている。オーストラリア動物衛生研究所と香港大学の研究者がほぼ同時期に「キクガシラコウモリが自然宿主である」と発表したという。

エボラ出血熱は1976年にアフリカ・スーダンで確認され、現在まで断続的にアフリカを中心に集団感染が起きている。2005年12月、科学誌『ネイチャー』にオオコウモリ科のウマヅラコウモリなど3種のコウモリが自然宿主である可能性が高いという論文が掲載された。山内一也東大名誉教授によると、エボラ出血熱の自然宿主である可能性に加え、コウモリは狂犬病ウイルス、オーストラリアのコウモリリッサウイルス、マレーシアで集団感染を起こしたニパウイルスの自然宿主であるとされる。

ウイルスを宿す恐ろしい生きものに見えるコウモリ。ドラキュラ城の周りを飛んでいる絵や写真、ハロウィンのコスチュームにもおどろおどろしいイメージがある。しかし、実は身近な生きものだ。夕暮れ時になると、都心でもその姿はみられる。世界の哺乳類全体の種の数のうち、コウモリは20〜25%を占める。花粉を媒介する仲間もいて、アボカド、マンゴー、ドリアンなど果物の送受粉に貢献している。

なぜコウモリは自然宿主として、多くのウイルスと共存していられるのか。ニューヨークタイムスの1月28日付の記事は、その種明かしを試みている。記事の概要はこうだ。

「コウモリは遠距離を飛ぶ。そのとき、かなりのエネルギーを消費する。その際に細胞が壊れ、DNAの断片が体内に飛び散ることがあり、体がそれを侵入物とみて追い出そうとして免疫機能が働く。その1つの炎症反応は体にかなりの負担になる。反応を抑えるため、コウモリの体からは炎症反応に係る遺伝子が一部なくなっている。こうしたことから、コウモリの体内には、ほかの動物より多くのウイルスが存在するのではないか」

<主な新興感染症>
SARS、高病原性鳥インフルエンザ、ウエストナイル熱、エボラ出血熱、ニパウイルス感染症、マールブルグ病、ラッサ熱(厚生労働白書、国立感染症研究所HPより)

武漢の研究施設をめぐる疑惑

新型コロナウイルスをめぐっては、今年1月ごろから、生物兵器論が流布されたり、研究施設からの流出を疑う指摘が出たりした。疑いの目を向けられたのは、中国科学院の武漢ウイルス研究所。新型コロナウイルスによる感染が発生した武漢の海鮮市場から約13キロメートル離れた場所にある。研究分野の第一に掲げるのは、新興感染症の研究。コウモリに関連するウイルス研究を続け、多くの論文を発表し、研究所のホームページで公開している。

中国の独立系メディア「財新」は、東洋経済オンラインに掲載された2月12日付の記事(新型コロナウイルス「生物兵器論」は本当なのか)で、詳細な検証を行い、「人工的に製造することは不可能」という専門家らの見解を紹介した。世界の科学者や健康当局の間でも、それは共通認識となり、疑惑は一時、影を潜めた。しかし最近、アメリカ国内で武漢ウイルス研究所をめぐる疑惑が再燃した。

ワシントン・ポスト(電子版)は4月14日、新型コロナウイルスによるパンデミックからさかのぼること2年、2018年にアメリカの外交官が武漢ウイルス研究所を訪れた結果、研究所の管理運営体制に安全面で問題があるという内容の公電を本国に送っていた、と報じた。

報道によると、3回にわたって研究所を訪れたのは、武漢の総領事と、在北京アメリカ大使館の環境・科学・技術・健康担当参事官。ワシントン・ポスト紙が入手した2018年1月19日付の公電は「研究所の科学者らとやりとりしたところ、新たな実験施設は深刻な人材不足にあることに言及した。高いレベルの封じ込めを行う実験施設を安全に運営するために必要な適切に訓練された技術者や研究者が足りないということだ」としていた。

もっとも、大使館員らが研究所を訪れたのは、アメリカ・テキサス大学医学部の研究所をはじめアメリカの機関が研究所に対する財政的支援を行っており、さらなる支援を研究所が求めていたからだ。公電は、「コウモリのコロナウイルスについての研究は重要だが同時に危険でもある」ため、さらなる支援が必要だと結論づけていた。


武漢ウイルス研究所(中国科学院武漢病毒研究所、写真:Wuhan Institute of Virology ホームページより)

トランプ政権の発信により増幅された疑惑

ワシントン・ポスト紙の報道があった14日、アメリカ国防総省の定例会見で、マーク・ミリー統合参謀本部議長は「(中国・武漢での新型コロナウイルスの感染発生は)自然発生的なもののようだが、確かなことはわからない」と述べた。

翌15日、FOXニュースは情報筋の話として、武漢ウイルス研究所のスタッフが研究用のコウモリから新型ウイルスに感染したことが感染拡大の始まりだったとする見方を伝えた。

中国側は「科学的根拠がない」と疑惑や指摘を一蹴。武漢ウイルス研究所研究員は中国国営の中国中央テレビ系の取材に対し、「厳格な管理により運営されている」「所員に感染者はいない」と話した。一方、トランプ大統領は18日の記者会見で、武漢ウイルス研究所に向けられた疑惑に触れて、「故意があれば、相応の報いを受けるべきだ」と述べ、調査や責任追及に意欲を示した。

トランプ政権が最近、武漢ウイルス研究所をめぐる疑惑についてさかんに発信していることについては、新型コロナウイルスの感染拡大への対応に遅れたことへの批判をそらすためである、という見方はアメリカ国内外に広がっている。

世界各国、各地が感染拡大の食い止めに必死に取り組む最中に、「感染の発生源」をめぐり、アメリカと中国の対立が浮上している。中国武漢での新型肝炎発生の経過や中国政府の対応については調査検証が必要で、国際社会の協力で実施されることが望ましい。


トランプ政権が武漢ウイルス研究所への疑惑をことさら強調するのは批判そらしなのか(写真:ロイター/Tom Brenner)

しかし、数歩引いてみたときに、新型コロナウイルスによる感染拡大が示すものは何かについて、環境生態学者や研究者の見方はほぼ一致している。

著名な人類生態学者、ジャレド・ダイアモンド氏は、中国では今回の感染拡大で野生動物市場が閉鎖されたが、生薬の原料としてまだ野生動物の取引が横行しているとして、中国の野生動物市場を問題視する(読売新聞4月10日朝刊インタビュー)。

世界的に知られる霊長類学者のジェーン・グドール博士は、新型コロナウイルスのパンデミックは、「人類が自然を無視し、動物を軽視した結果」として、森林破壊やアフリカのブッシュミート(食用の野生動物の肉)やアジア、中国の野生動物市場、世界各地の集約的な養鶏、養豚などを批判した(4月12日付、AFP通信によるインタビュー)。

「根本原因は人間による環境破壊」

国立環境研究所生態リスク評価・対策研究室室長の五箇公一博士は月刊『中央公論』5月号のインタビューで、「根本原因は、人間による環境破壊と言っていいでしょう」「野生動物たちの棲みかを人間が破壊することにより、野生動物が減少し、棲みかを奪われたウイルスたちが新たなる宿主を求めて侵略者である人間にとりつき、新天地である人間社会で感染を拡大しているのです」と語っている。


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天然痘は1980年に根絶された。天然痘ウイルスは人間のみに感染する。であるからこそ、WHO主導の「世界天然痘根絶計画」により、地上から一掃された。人獣共通感染症のウイルスの場合、人間社会からどうにか追い出しても、野生生物の中で維持され、生き続け、再び何かのきっかけで人に感染する。

根本的には、人間は自然生態系、野生生物との関係を考え直す必要がある。ウイルス研究における動物の取り扱いや安全管理の方法も、そうした「見直し」の中に含まれてくる。新型コロナウイルスの発生、感染拡大についての検証なくしては、今後の対策強化はできない。その際に、こうした基本的な視点を忘れてしまうと、いつまでたっても人間はパンデミックの恐怖から逃れられないだろう。