出版から70年(『ペスト』アルベール・カミュ[著])

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〈一匹の死んだ鼠につまずいた〉

 こんな言葉から物語が始まるアルベール・カミュ著『ペスト』が爆発的な売れ行きを見せている。

 1940年代のアルジェリア・オラン市で伝染病ペストが発生。人々の見えない敵との闘いを描く本書は、新型コロナウイルスの流行後、15万部以上を増刷、累計で100万部を超えたという。通常の売上は年間5千部ほどなので、わずか2カ月で30年分に匹敵するほどの売れ行きということになる。

 その反響について、東京の紀伊國屋書店新宿本店の担当者は、

「入荷しては売り切れを繰り返していて、男女を問わず、40代から50代を中心に手に取られています。ウイルスが流行しなければ読まれることもなかったのですから、ただただ困惑するばかりです」

出版から70年(『ペスト』アルベール・カミュ[著])

 とはいえ、こうした現象は今回が初めてのことではない、と翻訳家の鴻巣友季子氏が解説する。

「実は1923年の関東大震災が起こった時にはイギリスの作家、エドワード・ブルワー・リットンの『ポンペイ最後の日』がヒットしました。ヴェスヴィオ山の噴火で埋もれたローマ帝国のポンペイを舞台にした小説です。人の心理として、天災に見舞われた時は似たような境遇を描いた小説を読みたくなるのでしょう。悲惨な物語を読むことで“ここまで酷くない”という相対的な安心感を得られるのかもしれません」

 実際、鴻巣氏が『ペスト』を読み直すと、現在との共通点が多く見つかったという。

今と同じ状況

「物資を買い占める人が出てきたり、“これを飲めば治る”とインチキ商売をする人が出てきたり、差別やヘイトが広がるなど、驚くほど新型コロナウイルスに揺れる今と同じ状況が描かれています。こうして読んでみると、自分たちの現状を客観視できて、心を落ち着かせることができます」(同)

 そう言って、カミュが本書で描きたかったことを続けてこう解説する。

「物語の序盤には、役人が“ペスト”という病気の名を口に出すのを避け、恐ろしい現状を認めたくない心理が描かれます。カミュがこの小説で描きたかったのは、病気そのものよりも人々に無作為に降りかかり、また人間の技術をもってしても克服することのできない不条理さでした。必ずしも、救いのある物語ではありませんが、死と隣り合わせの現実を受け入れながら、ペストと闘う人々の姿には希望を見出すことすらできます」

 巣ごもり生活の糧となりそうである。自宅に籠ってゲームやワイドショーに没頭するだけでなく、この機会に文学の力を堪能してはいかがか。

「週刊新潮」2020年4月16日号 掲載