いやあ、困った。サッカーもラグビーも、野球もバスケットも延期や中止で、取材できるものが何もない。

 テレビ電話などでの取材機会を設けているクラブがある。

 我々からすれば、とてもありがたい配慮だ。ひとつ気がかりがあるとすれば、必ずしも自分が質問できるわけでなく、自分以外の記者の質問に対する答えは使いにくい。使うとしても、他の記事との差別化が難しくなる。

 だからといって、答えを拡大解釈したり、自分の都合のいいように切り取ったりすることはできない。解答者の本意から逸れてしまう。何でもいいからとにかく書けばいい、というわけにもいかない。こんな時期だからと昔話を掘り起こしたりもするが、それにしても限界がある。

 そもそも会社勤めではないから、書く作業は自宅でやってきた。そういう意味では普段と変わらない。仕事が立て込めば、何日も自宅から出ないこともあった。

 だからといって、外出自粛の日々を悠々と乗り切っているわけではない。取材に基づいて原稿を書く作業が減っているから、恐ろしく時間を持て余している。

 日常から抜け落ちてしまったもっとも大きなものは、取材に伴う高揚感だ。

 いい話が聞けた。
 いい試合が観られた。
 意外な事実を知った。
 それまでバラバラだった事柄が、今日の取材で結びついた──。

 取材によって得られる様々な事実は、原稿を書く際のエネルギーになる。思わず膝を打つような「そうだったのか」といった発見や「ええ!」と唸るような真相は、そのままストレートに伝えれば読み応えのある原稿に仕上がる。力のある言葉に、余計は装飾はいらない。名勝負も同様である。

 残念な思いを味わうこともある。期待を膨らませてスタジアムへ行ったものの、ひどく退屈な内容に終わってしまうこともある。

 実はそれも、発見の一部分である。試合が行われて、取材へ行かなければ分からないことは確実にあるからだ。映像だけでは伝わらないものは間違いなくあり、だからこそスポーツを書く際は取材が大前提で、それがこの仕事の醍醐味だと思っている。

 1カ月後か2か月後か、あるいはもっと先に外出自粛の要請が解けて、少しずつ日常を取り戻すことができても、スポーツの再開はさらに先になるだろう。

 中断前のJリーグの取材を思い返せば、JRで東京から茨城まで電車で移動したり、満員のバスに30分以上乗ったりしていた。たくさんの人が公共交通機関を利用し、人と人の距離が近い観客席や記者席に座るスタジアムは、屋外でも感染のリスクが居残る。クラスターを発生させたりしたら大変だ。社会生活が支障なく営まれたその先で、スポーツの再開が検討されるというのが想定される順番だ。

 選手と観客、運営やボランティアなどの安全を確保するためには、これまでと異なるオペレーションが必要になってくる。そのためにはシミュレーションが不可欠だ。試合を開催するための準備にも時間がかかることを考えると、1か月後や2か月後に試合が行われているとは想像しにくい。

 もう少しでも、あと少しでもなく、まだ当分の間は自粛が続く。

 いまできることは、ひとつしかない。

 新型コロナウイルスに感染しないために、誰かにうつさないために、不要不急の外出を控えている。