日本サッカー協会は選手から登録料を徴収している。たとえば小学生、中学生は1人年間700円。高校生は1000円だ。協会主催の大会には、これを支払わなければ選手として試合に出場することができない。女子、シニア、フットサルの選手、審判、監督等もこれに含まれる。

 この制度。最初に始まったのは40年以上前だと思う。高校の時にサッカー部だった筆者は3年の時に初めて、確か500円を支払って、サッカー協会の八咫烏マークがデザインされた選手証を手にした記憶がある。全部活中、サッカー部に限った話だったと記憶するので、この制度を最初に構築したのは日本サッカー協会と考えていいだろう。

 旧岸記念体育会館の小さな事務室に、常駐スタッフが数人しかいなかった当時のサッカー協会にとって、この登録料は貴重な財源になっていたはずだ。Jリーグの誕生やそれに伴うサッカーブームの到来で、協会の予算は潤沢になり、登録料の占める割合も年々、低下していくことになるが、日本サッカーの発展を語る時、この制度を構築したことは外せない要素になる。

 今年度の登録料が、コロナ禍の影響で免除される方向だとのニュースを耳にして、その経緯について想起させられた次第だが、これは言ってみれば、選手に課せられた税金だ。とすれば、支払っている側には、意見を口にする権利がある。

 そこで、その代弁者として述べさせてもらえば、少なくとも選手は、代表選手になることを夢見ている。どうしたらなれるか。その道を知りたがっている。

 一方でサッカーは、様々なスタイル、考え方がある。指導者によって変化する可能性がある。日本代表監督しかり。歴代監督の顔ぶれを見れば一目瞭然だ。現森保一監督や、かつての岡田武史監督のように、自分の中で変えてしまう監督もいる。

 日本には、監督とは別に技術委員長という役職がある。仕事の中身は、その時々で異なるが、代表チームをはじめとする日本サッカー界の強化を統括する役割を担っている、と言っていい。

 代表監督、技術委員長を選考する責任者は会長だ。先頃、田嶋幸三会長が3選されたが、対立候補不在の無投票当選だった。会長選は、日本サッカー界をどのように導きたいかを選択する場である。それを立候補者が主張することが“納税者”の大部分を占める選手たちへの責務になる。

 しかし、会長選挙は協会内部で決められる。投票権が与えられているのは評議員たちだ。立候補者の政策はどうしても彼らに向きがちだ。今回のみならず前回(田嶋会長の2期目)も対抗馬不在の無投票当選だったので、内向き具合は増すばかりだ。

「狭いサッカー界で選挙をやるプラスの面もマイナスの面もある。どういう形になっても一枚岩でやっていきたい」とは、単独の出馬が確定した際の田嶋会長のコメントだが、サッカー界は狭くないのだ。協会内部は狭いが、日本は広い。

 もちろん、サッカーを語るだけでは会長職は成り立たない。事業者としての視点等、論点が多方面にわたることは承知している。しかし一番大切に扱われるべきは、全国津々浦々に存在する“納税者”だ。

 こう言ってはなんだが、田嶋会長は、これまでの発言を聞く限り、サッカーそのものの話をするのが得意ではない様子だ。たとえば、解説者、評論家には不向きな、現場的というより政治色の濃い会長に見える。第1期目に選挙で争った原博実現Jリーグ副理事長の方が、サッカーそのものには詳しい。とするならば、サッカーの話ができる参謀を傍らに付けるべきだろう。

 だが、それをしないままに、森保監督を代表監督に選んでしまった。そんな気がして仕方がない。実際、技術委員長に関塚隆氏を選んだのは、森保監督就任後の話だ。しかし、関塚技術委員長の話を聞く限り、こちらも残念ながらサッカーに詳しそうな人物には見えてこない。会長のサッカー的な参謀役になり得ていない様子だ。