新型コロナウイルスが世界的に流行し、3月26日のG20首脳会議はテレビ会議方式で行われた。右はロシアのプーチン大統領(写真:ロイター/アフロ)

東京など7都府県に対し、ついに緊急事態宣言が出された。新型コロナウイルスの感染拡大を前に、世界が前例のない恐怖と緊張に直面している。

短期間での収束は見通せないが、いずれ勢いは止まり、やがて平穏がよみがえるだろう。そして、崩壊寸前まで傷ついた経済や医療、金融、教育などあらゆる分野が、修復に向かって一気に走り出すことになる。

しかし、必ずしもすべてが元の姿に戻るとは限らない。コロナウイルスが世界にもたらした衝撃はあまりに大きく、変貌を強いられる分野も多い。その1つが国際関係の世界だろう。

グローバリズムの皮肉な帰結

二度の大戦を経て、人類は平和を維持・発展させるための国際協調の重要性に気づき、自国中心主義の誘惑を振り払いながら相互扶助のシステムを作り上げてきた。同時にヒトやモノ、カネなどが国境を越えて自由に移動できるグローバリズムの拡大が頂点に達しつつあった。

皮肉なことに、この移動の自由がコロナウイルスを一瞬にして世界中に拡散させ、世界を再び分断に追い込みつつある。

各国の感染者数は劇的に増加し、万人単位の死者が出る状況下で、為政者が国境を閉じ、自国民を守るために奔走するのは当然のことだ。すでに大半の国が外国人の入国を拒否し、空路や陸路を封鎖している。その一方で欧米など先進国は、自国の医療崩壊を回避するため、マスクや人工呼吸器などの医療資源の国外流出を止めるとともに、医療関係者の確保に力を入れている。

しかし、ウイルスは国を選んで拡散しているわけではなく、途上国や貧困国も同時に襲っている。戦後秩序の建前から言えば、こういうときこそ国連やWHO(世界保健機関)などの国際機関、あるいは主要国が音頭をとって、国際社会の連帯と協力で危機を乗り越えるはずだった。実際、G20首脳会議やG7首脳会議がオンラインで開かれ、国際協力を呼び掛けているが、現実はまったく逆の方向を向いている。

世界的な危機を前にしたとき、外交はあまりにも無力である。そして、アメリカのトランプ大統領が振りかざし、非難を浴びてきた「自国中心主義」が勢いを増しているのだ。

今、世界の外交はほぼ完全に停止状態となっている。首脳はもちろん、外交官らの往来も完全にストップし、さまざまなレベルの協議もほとんど行われていない。各国の外務当局は、国外に取り残された自国民の帰国手段の確保などに追われ、同時に感染拡大を防ぐための国境管理強化や医療資源などの輸出規制を進めている。

感染防止のため、他者との距離を確保する「ソーシャル・ディスタンス」が叫ばれているが、同じタイミングで残念なことに、国家同士の乖離が広がっているのである。

明らかになったテレビ会議の限界

それでも3月にはG20首脳会議やG7外相会議をはじめ、いくつかの国際会議がテレビ会談という形で行われた。3月26日のG20首脳会議は各首脳が順番に発言したあと、「共同戦線を張ろう」という趣旨の用意されていた首脳声明が発表され、130分間で終了した。

関係者によると、「参加した首脳の現地時間は時差があってバラバラ。早朝の国もあれば深夜の国もある。そのため会議は予定外の発言もなく淡々と進められた。その中で、トランプ大統領が最初から最後まで着席していたことが目立っていた」という。

そのことに大した意味はなかったようで、トランプ大統領はその後、マスクなどの輸出を禁止する命令書に署名している。

また、この会議ではトルコのエルドアン首相が、何の脈絡もなく「難民問題は大変だ」と発言し、ヨーロッパ各国の首脳を驚かせたという。中東からの数百万人もの難民を抱えているトルコは、難民受け入れを拒むヨーロッパ各国と対立している。ヨーロッパがコロナウイルスの対応に追われているこのタイミングで、トルコが難民をヨーロッパに向けて解き放てば、混乱に歯止めがかからなくなることは必至である。エルドアン首相の発言は、ヨーロッパに対する明確な脅しだったのだ。

また、3月25日のG7外相会議もテレビ会談だったが、アメリカのポンペオ国務長官が「チャイナ・コロナウイルス」という表現にこだわり、共同声明を出すことができなかった。アメリカの自国中心主義はコロナ危機を前にしてますます勢いを増している。

通信技術の進歩の結果、首脳間のテレビ会談が実現できるようになったことは歓迎すべきことだ。ただ、同じ場所に集まって行う会談と異なり、画面を見ながらの会談では、丁々発止の踏み込んだ議論をすることはなかなか難しいようだ。

ヨーロッパで広がる「南北対立」

ヨーロッパの風景も様変わりした。ドイツのメルケル首相による「第2次世界大戦以来、最大の挑戦だ」という国民向けの格調高いスピーチが礼賛されている。しかし、これはあくまでも国内向けであって、ヨーロッパの連帯を呼びかけたものではなかった。

ヨーロッパは今、感染拡大が著しいイタリアやスペインと、感染者数の増加を抑え込むことに成功しているドイツなどの間で、援助などをめぐる「南北対立」が起きているのだ。

EUは3月15日、マスクやゴーグル、防護服といった医療用品の備蓄確保のため、域外輸出制限を決めた。感染者が激増したイタリアなどは域内国にマスクなどの支援を求めたが、EU内に積極的に応じる国はなかった。

財政的に厳しいイタリアやスペインはEUに対し、資金確保のため欧州安定メカニズム(ESM)の活用や「コロナ債」の発行を求めたが、自国負担が増えることを嫌がったドイツやオランダの反対で実現しなかった。イタリアのコンテ首相が「この危機にともに立ち向かえないなら、ヨーロッパは存在理由を失う」と怒るのも無理からぬことだ。

ヒトやモノの移動が自由なはずのEU内で、医療協力や物資の支援などは思うように進んでいない。感染拡大期には各国とも自国内の対応に追われ、地域全体を考慮する余裕などあるはずもない。自ずと自国を最優先する対応をとらざるをえない。

その結果、財政が逼迫しているうえに医療体制などが弱い南欧や東欧諸国からは、「ヨーロッパの連帯など存在しない、おとぎ話だった」(ブチッチ・セルビア大統領)という声が出てくる。このことはコロナウイルスが収束した後も、為政者のみならず国民の間に強烈な記憶として残るだろう。

「マスク外交」で存在感をアピール

そして、この間隙を縫って存在感をアピールしているのが中国だ。いち早く感染拡大を抑え込んだ中国は、世界各国にマスクを提供する「マスク外交」を展開。イタリアなどには医師も派遣している。習近平国家主席はこれを「健康のシルクロード」と呼んで自画自賛している。善意からの行為に見えるが、アメリカにとって代わり、世界各国への影響力を強化しようという、形を変えた自国中心主義であることは言うまでもない。

コロナウイルス問題が起きなければ主要国が真剣に取り組んでいたであろう北朝鮮の核・ミサイル問題やイランの核合意問題、シリアの内戦問題などはまったく話題にならなくなった。どの国も他国の問題に関わっている余裕はまったくない状況なのである。

有限の資源をめぐる争いとナショナリズムが世界大戦を引き起こしたのだが、今またコロナウイルスを契機に医療資源の確保などが、国家関係を引き裂き始めている。それを調整するはずの外交は影も形も見えない状況となっている。

今回の世界的危機が収まったあと、外交の世界は果たして元の姿に戻ることができるのであろうか。目に見えないウイルスが作ってしまった新たな自国中心主義と、その結果生まれた国家間の不信感が、短期間でどこまで修復できるのか。世界が再び協調や連帯の重要性を確認し、実践できなければ、コロナウイルスの残す傷は想像以上に人類に重くのしかかってくるだろう。