江戸時代の遊女は「生理の日」どう対処していたの?遊女が行っていた驚きの生理対策

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遊女たちに「生理休暇」はあったの?

吉原をはじめとする妓楼で働いていた遊女たちの主な仕事は、言うまでもなく「性的サービス」です。しかし彼女たちも10〜20代の女性ですから、当然「生理の日」が毎月訪れました。

現代のソープ嬢などは、勤務するお店によっては数日間の「生理休暇」が認められることもありますが、中には海綿を詰めて強行出勤したり、ピルを飲んで生理を早く終わらせたりするなど、かなり身体に負担のかかる対処法を行っている女性もいるといいます。

遊女の場合は、生理休暇を取ることができたのでしょうか?それとも何か他の「生理対処法」が存在したのでしょうか?

夫婦でも性行為を控えた「生理中」…でも遊女はそうはいかなかった

江戸時代は、夫婦間であっても女性の生理中は性行為を控えるのが一般的でした。
かつて日本にあった「生理中の女性は穢れている」という考え方は、性に対してかなりオープンだった江戸時代の人々にとっても「常識」だったようです。

しかし遊女の場合、花魁などのトップクラスともなれば妓楼によっては2日程度の生理休暇が取れることもあったものの、原則的には生理だからといって仕事を休むことは難しかったようです。

もちろん、地方に存在した「月経小屋」のような隔離施設に入れられていた…なんてこともありません。

なぜなら彼女たちには、莫大な借金があったからです。

遊女たちの借金は妓楼へ売られてきたときの身代金だけでなく、豪華な着物や装身具、布団などの備品をはじめとする諸経費が加算されていったため、トップクラスの遊女でも年季明けまでに完済することは不可能と言われていました。

妓楼の方も遊女に休まれては儲からなくなるため、簡単に生理休暇を認めていたとは考えられません。

遊女が行っていた驚きの「生理対策」とは?

では、生理の日の遊女はどうやって仕事をしていたのでしょうか?

実は妓楼には「身上がり」といい、遊女が自分で自分の揚げ代を支払って休むシステムがありました。
これは遊女がお金のない恋人と会うために行うことが多かったのですが、生理で休みたいときにも使われていました。

また人気の遊女の場合には、上客や馴染みの客に店へ来てもらって休むこともあったといいます。

どうしても休めないときは、「素股」でごまかすという必殺技を使う遊女もいました。

ちなみに、近年の性風俗店の中には「生理中の娘だからこそイイんだよ」という「生理フェチ」向けの専門店が登場し、生理休暇中の風俗嬢が掛け持ちで勤務しています。おそらく当時も、そのような変わった性癖を持つ客が生理中の遊女を指名することがあったかもしれません。

また生理の真っ最中の遊女でも、敢えて買いたいという客がいました。当時の江戸では、生理中の女性を「赤馬」と呼び「乗れば性病が治る」という「デマ」としか言いようのない俗説が流れていたのです。

生理中に性病の客の相手をさせられるなんて、遊女にしてみたらたまったものではありませんね。

参照

吉原遊廓の“お江戸性事情”座談会きらびやかな吉原遊郭の裏側で。性に関する切実な問題鶯谷高級待合せデリヘル生理フェチ専門店 「月経仮面」店舗公式サイト花魁は生理中でもお客さんをとっていたんですか?