3月28日、イタリア・トリノにあるスーパー。入店制限をかけている(筆者撮影)

160年前にイタリアが統一され、1つの国になったときの最初の首都トリノ。サヴォイア王家が築いた美しいバロック建築の街に24年前から暮らし、フードライターと料理家という二足のわらじを履く私は、イタリアのあちこちへ取材旅行へ行ったり、食べ歩いたりすることが多い。家にいるときはいるときで、19歳のハーフの娘と犬1、猫2のお母さんとしても忙しい。

そんな私の生活に、コロナウイルスの最初の影がさしたのは、2月23日。カーニバルのバカンスでスキーに行っていた私たち家族に、学校が1週間休校になるという連絡が入ったのだ。コロナウイルスの感染拡大を防ぐためだという。感染者がイタリアでも出たとは聞いていたが、それは遠いアジアの国の大火がちょっと飛び火してくすぶっているだけ、そんなひとごとのようにしか思っていなかったので、驚きだった。

「窮地に陥っているレストランを助けよう」

1週間と言ったのが数日後には10日になり、そしてすぐに2週間になった。その頃にはできるだけ外出は自粛、夜6時以降営業のバールやお酒を飲む店は営業停止となった。それでもレストランは営業可だったから「何を大げさな、経済が落ち込んだら大変だ」というのが大抵の人の意見で、むしろ普段よりも外食して、自粛ムードで窮地に陥っているレストランを助けよう、そんな風潮もあった。

イタリア人は何しろ、家族や友達と一緒に過ごすのが好きで、困っている人を見捨てておけない人が多い。試しに道で転んでみれば、そんなイタリア人気質がよくわかるだろう。大勢で寄ってたかって手を差し伸べて、恥ずかしいからほっといて!と言いたくなる、概してそんな国民性なのだ。その頃のイタリア全体の感染者数は1835人、死亡者数52人(3月2日)、ちょうど今の日本ぐらいの状態だろうか。

ところが学校が休校になって2週間が経とうとしていた3月8日、北イタリアの14の県がレッド・ゾーンに指定され、移動が禁止になるという措置が取られる。そしてその2日後には全イタリアで外出規制措置が取られ、必要最低限の外出しかできなくなる。さらに翌日の3月11日には食料品店、薬局、新聞スタンドを除くすべての店舗、レストラン、バールが営業停止に。外出をする場合は自己申告書を持ち歩き、不要の外出とみなされた場合は罰金、逮捕もあり。坂道を転げ落ちるようにイタリアの日常が激変して行った。


パスタを打ったりケーキを作って時間を潰すのか、小麦粉類が品薄に(筆者撮影)

明日から外出規制になるというスクープが報道された日の夜、イタリアでは数少ない深夜営業のスーパーマーケットは焦って買い物に走る人であふれかえった。ミラノのスーパーの棚はガラ空きになっているというニュースも聞こえてきた。でもスーパーの食料品の品ぞろえはすぐに回復した。米もパスタもたっぷりある。

ただ、私が買い物に行ったとき、消毒液の類い、使い捨て手袋はすべて売り切れだった。ただでさえ手湿疹がひどいので料理のときには使い捨て手袋を使うことが多いのだが、今は手洗い手洗いの連続で、ますます手荒れがひどい。手袋がないのはとても困る。

買い物に行くときは「1人」がルール

買い物に行くのは1人で行かないといけない。どうせ家で一緒にいるのになぜ?と思うのだが、1人より2人、2人より4人のほうが、それだけ感染の可能性が大きくなるからだそうだ。そして、出かけるときにはいちいち自己申告書を書き、マスクと手袋を持ち、入店制限の行列覚悟で出かけなければならない。

入店制限するのは買い占め防止ではなく、店内に一定の人数だけが入れるようにして、人と人の距離を保つようにしているからだ。レジで並ぶときも、床にテープが貼られている。イギリスやアメリカが「ソーシャルディスタンス」なんて言って始めたように日本では報道されているけれど、その前からイタリアではやっていたのだ。

それにしても1人で行かないといけないから、買いだめは重くて大変だ。私の家は街中から離れているので、最寄りのスーパーまでは車で行く。だから重いといっても車までだし、カートを使えばいいのだが、カートに触るのも、ちょっと躊躇する。カートにウイルスはついてないの? そもそも棚に並んだ商品は? 考え出したらキリがない。お年寄りや徒歩で買い物に行く人は大変だと思う。感染防止のためにはなるべく行く回数を減らしたほうがいい。


薬局でも床には距離を保つよう、テープが貼られている(筆者撮影)

街は人けがなくなり、毎日夕方に発表される感染者数、死亡者数は、うなぎ上りに増えて、家でテレビを見ているしかない私たちを、つらく暗い気持ちにさせた。3月19日には、ついに中国の死者数を超えてしまうという最悪の事態に。感染者数、重症者数が爆発的に増えたために、病院の集中治療室のベッドが足りない、医療スタッフや医療器具が足りないという悲鳴がイタリア各地から聞こえてきた。

ミラノの北東40キロのところにある、感染のいちばんひどい街の1つ、ベルガモからは、毎日の死亡者が多すぎて埋葬できる場所も棺も足りなくなり、軍隊のトラックで別の土地へ運ばれて行ったというショッキングな映像が届いた。高齢の両親をいっぺんにコロナウイルスに奪われた青年は、救急車で運ばれていったそのときから、どこにいるのかも、どんな容態なのか、生きているのか、死んでいるならどこに埋葬されたのか、それすらもわからないという。

感染症であるがために病院へ見舞いに行くことはもちろん、お葬式すらしてあげられない家族の苦しみは想像すらできない。医療スタッフは不眠不休で働き通し、疲れ果て、院内感染によって亡くなる人が増えた。3月27日の時点で医師の死亡者は44人。

同時に、どうにかしてこんな状態を食い止めたいと、「家にいよう」(イタリア語ではResta a casa)という言葉がSNSであふれかえるようになった。医療の現場からも「私たちはここで頑張る。みんなは家にいて」と写真付きメッセージが発信された。フラッシュモブ(ゲリライべント)で、最前線で頑張ってくれる医療スタッフ、救急隊員に拍手を送ろうという呼びかけ、少しでも気持ちを明るくしようとバルコニーで思い思いのパフォーマンスをする人たちの様子もSNSにたくさん投稿された。有名アーティストやシェフたちも、家にいるしかできない人々が楽しめるよう、音楽やレシピ動画を公開してくれている。

「家の大掃除をしよう」と思うものの…

私は、強制的ではあるにせよ、せっかく時間がたっぷりできたのだから、本を読んだり映画を見たり、自分をブラッシュアップしよう、いつもはできない家の大掃除をしよう、などと思うものの、SNSやテレビでずっとコロナウイルスのニュースばかり追ってしまう。いつもは睡眠の質が落ちるからスマホは消して寝るようにしているのに、今は気になって夜中に起きてもすぐに手にとって最新ニュースをチェックしてしまう。楽しく過ごそうと思って明るい音楽をかけても、ふとした拍子に涙が流れたりする。毎日毎日SNSやテレビにあふれかえる悲惨なニュースで、心がヘトヘトになっている。

感染しても8割ぐらいの人は無症状で、重症化するのは高齢者がほとんどと言われているが、既往症がある場合は別というので、私は少し心配してる。娘がぜんそく持ちだからだ。それで、勉強しろという決まり文句に加えて、野菜をもっと食べろ、暖かくしろとガミガミ言ってしまう。万が一感染しても、免疫力が高ければ発症しない、発症しても軽症だということだからだ。


高校生の娘、オンライン授業中。ちょっとお行儀が悪くてお恥ずかしい(筆者撮影)

いつ再開されるかわからない学校では、オンラインの授業やメールでの宿題のやりとりが開始された。でもそれはパソコンが家庭に少なくとも1台はある、というのが前提だ。総スマホ時代の今、所得の低い家庭や移民の家庭など、自宅にパソコンがあるとは限らない。そんな子どもたちは一体どうしているのだろう? そしてずっと家にいて友達と遊ぶこともできない子どもたち、若者たちは、有り余るエネルギーを持て余している。

今の時点では、休校措置は4月3日まで。だが、もはやそんなに早く収束するとは誰も思っていない。ウイルスが完全になくなっていない状態で学校が始まってしまえば、再び感染が増大する危険があるからだ。

だから日本の皆さんも、イタリアが払った、この恐ろしいまでの高い授業料を、決して無駄にしないでほしいと思う。学校が休みになるのはなぜなのか、外で遊んじゃいけないのはなぜなのか、レストランが営業を止め、経済を滞らせても守りたいものは何なのか、よく考えてほしいのだ。


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コロナウイルスの怖さは、自分が感染することはもちろんだが、感染に気づかずに誰かにうつしてしまい、どんどん感染者が増えてしまうこと。その誰かの中に、自分たちの大切な人がいるかもしれないのだ。若くて健康でも、何かの理由で重症化してしまう人もいるかもしれない。

「明日、抱きしめ合えるように今日は離れていよう。明日、もっと走れるように、今日は立ち止まっていよう」。国民の命を守るために経済の大損失と批判を覚悟でこう言い、ヨーロッパで最初にブロックアウトの英断を下したイタリアのジュゼッペ・コンテ首相の言葉は、党派を超えてイタリア国民の胸に響いた。だからほとんどの人が家にこもり、苦境を乗り越えようと我慢の日々を送っている。