新型コロナウイルスの感染拡大で、生活が大きく変わった。この状況にどう向き合えばいいのか。IMD北東アジア代表の高津尚志氏は「たとえば『前を向いていこう』という言葉は、悲しみを乗り越えるプロセスを阻むことがある。悲しみを無視してはいけない」という――。
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カウントダウンを一時中止し、現在時刻を表示する東京五輪のカウントダウン時計=2020年3月25日午前、JR東京駅前 - 写真=時事通信フォト

■二つの「悲しみを伴う喪失」

今回の変化は、すくなくとも大きな二つの意味で、私たちのほとんどにとって、「悲しみを伴う喪失」を生み出している。

第一に、「これまでの日常」の喪失だ。

在宅勤務の奨励、学校の閉鎖などにより、生活のルーティンが大きく変わってしまった人が多いだろう。通勤・通学する、人に会いに行く、運動する、どこかに出かける、同僚や友人と食事に出かける、といった、「普通の」行動が難しくなった。

職場や学校などで同僚や仲間と交流する、雑談する、触れ合う、そこに誰かがいてくれるという安心感の中で長い時間を過ごす。それも難しくなった。

『セキュアベース・リーダーシップ』(ジョージ・コーリーザー他著)
「社会的感情としての『悲しみ』」についてどのように対処するかについて書かれた本書の第4章を現在無料で公開しています。

また、お店を営む人や宿泊業・飲食業に携わっている人は、「お客さんが来てくれる」「目の前ににぎわいがある」という状態の喪失に苦しんでいる。

世界でロックダウンが広がっている。外出者は罰金の対象になるなど、国によってはほとんど犯罪者扱いである。「仕方がない」措置ではあるが、「自由に外を歩く」「会いたい人と会う」「言いたいことを言う」という日常の喪失、それがもたらすストレス、孤立や孤独へのケアは、「非常時である」という名目でほとんどされていないように思う。そして、その喪失感は、社会に存在するより劇的な喪失の前に相対化され、行き場を失っているように思う。

第二に、「楽しみにしていたこと」の喪失だ。

イベントが中止、延期や縮小を余儀なくされている。ビジネスや社会課題に関するイベントも、音楽や演劇などの娯楽のイベントも。参加者や観客として楽しみにしていた人の喪失感はもちろんのこと、主催者や登壇者、演者として準備してきた人、さまざまな形で運営に携わってきた人にとっての喪失感も大きいはずだ。

たとえば3月11日にセンバツ高校野球が史上初の中止を決めた際、ある監督は選手達に「仕方がない、前を向いていこう」と声をかけ、それに対し球児が泣きじゃくる姿がテレビに映った。

3月24日には、東京五輪も延期となった。今夏の開催に向けて鍛錬を重ねてきたアスリートをはじめ、その実現に取り組んできた多くの人々、さまざまな準備や期待、投資をしてきた人々の喪失感と、新たな日程での開催に向けた準備の負担は、計りしれない。「仕方がない」「前を向いていこう」という社会的規範、ことの重大性や緊急性の中で、彼らの喪失感は表現されることなく心の中にしまい込まれるかも知れない。

■もっと大変な思いをしている人はいると言い聞かせる

私自身も「楽しみにしていたこと」の喪失を少なからず経験している。3月初旬に予定していた東京での「スイス日本経済フォーラム」は、直前に延期せざるを得なかった。主催者の一員として1年前から準備してきて、テーマや内容、パネルディスカッションの登壇者の選定、依頼から打ち合わせまで進めてきていただけに残念だった。

さらに、世界の状況が悪化し、特に欧州がパンデミックの中心地となった3月中旬には、6月にスイスで予定していた、ある日本企業の若手リーダー育成プログラムの延期が決まった。同社が、この非常時にあって当面、そのクライアントやビジネスパートナーを支える使命を全員総力で果たさなければならないからだ。

また、世界中からの参加者を集めたスイスでの2週間のエグゼクティブ研修も、同じ日にあと数日を残して中断となった。翌々日の朝、日本からの参加者の無事の帰国を確認できてほっとした。

すべて、「不可抗力(force majeure)」であり、個人としてどうしようもないことであり、「仕方がない」ことである。その上で主催者や企画者としての私は、延期や中止、帰国のプロセスが滞りなく進められるよう、関係者との連絡、調整、折衝といった作業を重ねていった。仕方がない、こんな思いをしているのは私だけではないのだ、もっと大変な思いをしている人に比べれば贅沢な悩みに過ぎない、と自分に言い聞かせながら。

■経済的支援だけで埋め合わせられないもの

現時点で、日本を含む世界各国の政府の対応は、収入が減る、仕事がなくなる、場合によっては事業そのものが成り立たなくなる、といった事象に対する経済的な支援をどうするか、という部分に議論が集中しているようだ。それはそれで極めて大切なことで、今回の件で実際に生活が成り立たなくなる人たちの「喪失」の大きさは考えるだけで強く心が痛むし、最大限の支援がなされることを願っている。

また、何より、感染の拡大で愛する人の命が危険にさらされたり、家族や友人を失ったりという大きな喪失を経験されている人たちが多くいる。こういう人たちを増やさないようにしていくことが最も大事であることは言うまでもない。

ただ、一方、はるかに多くのひとたち(程度の差こそあれ、世界のほとんどのひとたち、といっていいだろう)が今直面している、「これまでの日常」や「楽しみにしていたこと」の喪失の精神的な影響については、十分に語られていないと思う。今後、こういった精神面での相互支援が、社会としてきわめて大切になっていくと思う。

では、どうしたらいいのだろうか。あいにく、私は精神科医でも心理学者でもない。ただ、「喪失」に関しては、私自身も当事者だ。

リアルで人と会って話をする機会が減った。楽しみにしていたプロジェクトが目の前から消えた。仕事の中身は、前向きなプロジェクトの推進や提案から、延期やキャンセルなどに伴う事務処理、契約変更手続き、諸連絡などに変わった。子どもの学校が閉鎖になり、一緒に家にいる時間が増えた。明るく朗らかな子ではあるが、学校という日常を失い、ストレスと無縁ではない。親としてそれにも対応していく必要がある。

そのうち、自分自身の変調に気づいた。メールやメッセンジャーはできるだけ見たくない、出したくない。できれば交流を避けたい。SNSからも離れたい。機械のように目の前のやるべきことをこなしながら、私は言いようのない疲労感に襲われていた。

■社会的感情としての「悲しみ」について

そんなときふと目にとまったのが、自宅の本棚にあったIMDの同僚の著書『セキュアベース・リーダーシップ』(プレジデント社)だ。もともと私自身が、この本の考え方にかつて救われ、日本でも出版したいと思い、働きかけて実現した本だ。これを久しぶりに紐解いた。

最初に目に飛び込んできたのは、「社会的感情としての『悲しみ』」という言葉だった。このテーマにまる1章、費やされている。「セキュアベース・リーダーシップ」とは、人が困難な目標に挑戦するときに、安全基地となるようなリーダーの在り方だ。いまわたしたちに必要なことは、お互いが安全基地として機能するような関係の再構築ではないのか。そのような観点からこの本をじっくり読みなおすと、自分自身に対して、また、広く社会に対して示唆となる言葉にいくつも出合った。

まずは、「これまでの日常」の喪失について。

人は「所属している」感覚によって動機づけられるということも、神経科学が示している。人は皆、精神的・肉体的に健全に成長するために、社会的な関係が「必要」だ。人が社会から疎外された場合、(中略…)体に痛みがあるときと同じ脳の部分が作動するという。取り残されたり、拒絶されたり、疎外されると、リアルな痛みの感覚が生じる。人が「傷ついた」と言うとき、本当に痛みを感じているのである。

(『セキュアベース・リーダーシップ』P139)

■「仕方がない」ですべて片づけてしまっていないか

社会的な関係が分断されて痛みを感じるのは自然な反応なのだ。だから、まずその痛みを自ら認めたうえで、(そして痛みを感じる自分を責めることなく)どうしたら「所属している」感覚を取り戻せるかを考えたい。私がSNSを見たくない、人に会いたくないと引きこもりがちになっていたのは、「仕方がない」「自分だけではない」「もっと苦しんでいる人がいる」と自分に言い聞かせつつ自分の喪失感情を無視して、事態に対処することだけに専念してきた反動ではないかと気づいた。

物理的に一緒にいられないなら、メールする、チャットする。でもおそらくそれでは乗り越えられない感覚を、電話で話す、Zoomなどのビデオ会議機能を使って話をする、といった、よりリアルに近いコミュニケーションの手段で満たしていく。もし、あなたが組織やチームのマネジャーで、今回のことでリモートワークを強いられているのなら、リアルに近いコミュニケーションを定期的に交えながら、メンバーの「所属している感覚」を絶やさないようにしてほしい。もしかするとマネジャーであるあなたにとってもそれが必要かもしれない。

この時期、あなただけでなく、あなたの同僚や仕事仲間、クライアントも同様に痛みを感じている可能性が高い。そして、時間に思わぬ余裕ができてしまっている人も少なくない。こういう時期だからこそ、かつてお世話になった人や、しばらく疎遠になっている人との対話を再開するチャンスかもしれない。

この「リアルな痛み」の下りは次の一節で締めくくられている。

この発見は、変革を実施するときに意味を持つ。変革によって喪失を経験する人たちには、共感と思いやりをもって接しなければならない。

(『セキュアベース・リーダーシップ』P139)

■リーダーから発せられる「思いやり」の言葉の力

フランス全土での15日間の外出禁止という規制を発表したときの、マクロン大統領のテレビスピーチを見た(3月16日)。レストランもバーも閉鎖、公園でたむろするのも禁止、キスもハグも握手もお勧めしない……フランス人にとっては相当厳しい内容である。

大統領は、「親しい人たちに会うことをあきらめるのは悲痛であり、日々の活動や習慣をあきらめることは難しい」と認めた上で、だからこそこの時期、つながりを維持し、親しい人に電話をし、近況を交わし合い、読書をし、本当に大切なものを再確認する機会にしてほしい、と語り掛けている。

また、ドイツのメルケル首相は、この2日後のテレビスピーチで「慰めの言葉や未来への希望が必要な人をひとりにはさせたくありません。私たちは家族として、あるいは社会の一員として、お互いに支えあう他の方法を見つけましょう(ギュンターりつこさんによる訳)」と語り、具体的ないくつかの方法を示している。

マクロン大統領やメルケル首相の言葉に実際どれだけの人が励まされたかは、両国民に聞かないとわからない。ただ、たとえばこれが職場や学校におけるリーダーから発せられたとしたらどうだろうか。少なくとも、リーダーが自分たちの痛みをわかってくれている、と感じるのではないだろうか。危機においてリーダーがこうした言葉を発することはきわめて重要なことだと改めて思う。

■悲しみのプロセスをサポートする

今回の新型コロナウイルスの世界的感染拡大がもたらした未曽有の状況においては、リーダーだけに「社会的『悲しみ』」への対応を期待することはできない。私たちはお互いができる範囲において、お互いの悲しみを受け止め合う必要が出てくるだろう。博愛主義や利他的精神の表現としてではなく、社会のインフラとして。

言い換えれば、互いが互いの「セキュアベース」になるということだ。『セキュアベース・リーダーシップ』の第4章にある、「悲しみのプロセスのサポート」がそのヒントになるので、ここに紹介したい。

悲しみのプロセスをサポートするには、まず自分が本当にその人にとってのセキュアベースであり、その人と絆で結ばれているかどうかを確かめよう。そうでなければ、せっかく力を貸しても、おせっかいだと受け取られかねない。そして、精神面で、また実際面で、自分が対話に適した状況であることを確認し、二人きりになれる場所と時間を確保しよう。

(『セキュアベース・リーダーシップ』P142)

その上で、対話においては、次の点に注意するとよいと言う。

・相手の悲しみを尊重し、その人が感情を表現するよう促す
・涙を気まずく感じない。涙は、体内の毒素を消す自然なプロセスだ。悲しいときに泣くことは健全だ
・一生懸命に聞く。誰かに聞いてもらうことだけが必要な場合もある
・悲しみの感情を持ってよいと強調する
・解決策を提供しようとしたり、悲しみのプロセスを急がせたりしない。質問することを忘れない

私たちは、無意識に「仕方がない、前を向いていこう」というコミュニケーションをしがちだ。もちろん、善意に根差して、だ。しかし、そういうアプローチが、実は相手が自らの喪失の悲しみを受け止め、消化し、本当の意味でまた前を向けるようになっていくプロセスを歩むことを阻む可能性があることを、私たちはいま改めて知っておいたほうがいい。

■喪失に対峙し、乗り越えていく能力を高めた先にある世界

大きな喪失を悲しむには時間がかかる。一回の対話だけで悲しみのプロセスが最後まで進むことはないだろう。話しやすく、連絡がつきやすい状態でいよう。また、あなたが熟達したカウンセラーであることを、誰も求めていない。あなたが提供できる以上のサポートが必要だと感じたら、適切なプロのコーチやカウンセラーを見つける手助けをしよう。

(『セキュアベース・リーダーシップ』P143)

喪失に対峙し、乗り越えていく能力を高めた先には、きっと、もっと強くて、優しくて、しなやかな社会があるのだろう。日本にとっても、世界にとっても。どちらかといえば悲観的にものごとを捉えがちな私にとっては、それは一筋の光である。

ただ、そこにたどり着くプロセスにおいては、私たちはそのプロセスを歩むために必要な考え方、ツール、対話や行動の仕方を学んだ上で、それを実践し、お互いを支え合っていく必要があるのだと思う。

私も人の力になれればと思うし、人の力になれていると思うことが自分の支えになる。私にとっても人の力が必要だ。実践を通じて、支え合っていく力を育む時間にできたら、と思う。

■何と絆を結んでいるかを理解する

悲しみを理解せずに、絆を理解することはできない。別離を理解せずに、愛着を理解することはできない。そして、人間関係の複雑さを理解するには、一人ひとりが、人や目標、目的、価値、ペット、理想など、様々なものと絆を結んでいることを理解する必要がある。

(『セキュアベース・リーダーシップ』P101)

マクロン大統領の言う「本当に大切なものを再確認する」とは、「何と絆を結んでいるかを理解する」ということかもしれない。私は、あなたは、何と絆を結んでいるのか。私の、そしてあなたの大切な人は、何と絆を結んでいるのか。その絆はいま、傷ついていないか、失われてはいないか。だとしたら何ができるか。「喪失」とどう対峙し、乗り越えていくか、その能力を高めるにはどうしたらいいか。本稿が、その議論と実践のささやかなきっかけになるなら、うれしい。

※本稿で紹介している『セキュアベース・リーダーシップ』の第4章を現在無料で公開しています。

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高津 尚志(たかつ・なおし)
IMD北東アジア代表
早稲田大学政治経済学部卒業後、1989年日本興業銀行に入行。フランスの経営大学院INSEADとESCP、桑沢デザイン研究所に学ぶ。ボストン コンサルティング グループ、リクルートを経て2010年11月より現職。IMDは企業の幹部育成や変革支援に特化をした、スイスに本拠を持つ世界的なビジネススクールとして知られている。主な共著書に『なぜ、日本企業は『グローバル化』でつまずくのか』『ふたたび世界で勝つために』(ともに日本経済新聞出版社)、訳書に『企業内学習入門』(シュロモ・ベンハー著)がある。
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(IMD北東アジア代表 高津 尚志)