最も印象に残っている
Jリーグ助っ人外国人選手(3)
ジュニーニョ(川崎フロンターレ、鹿島アントラーズ/FW)

 川崎フロンターレがタイトルを掲げる、だいぶ前のことである。ブラジルから来たストライカーは、サポーターから愛情を込めて「太陽」と呼ばれていた。

 編集部から「私が最も印象に残っている助っ人」というテーマで原稿執筆の依頼があった時、真っ先に思い浮かんだのが彼だった。


ジュニーニョと中村憲剛が奏でる攻撃はリーグ屈指だった

 ジュニーニョである。

 2003年から2011年まで川崎に在籍。2012年から鹿島アントラーズに新天地を求めると、2年ほどプレーしたのち、現役を引退した。

 ジュニーニョがJ1でマークしたゴールは通算で116得点。J1における外国籍選手の通算最多得点は、横浜F・マリノスや鹿島などで活躍したマルキーニョスが152得点で歴代トップとなる。それに名古屋グランパスやサンフレッチェ広島などでプレーしたウェズレイが124得点で続く。

 ジュニーニョはふたりに次ぐ歴代3位となるが、J1・J2を合わせれば通算181得点。文句なしの最多得点となる。


 Jリーグで活躍したブラジル人FWの中でも、ことさら実績十分なジュニーニョだが、特筆したいのは川崎に加入してからストライカーとしての研鑽を積んだということだ。

 ブラジル時代はスピードを活かしたサイドアタッカーであり、生粋の点取り屋ではなかった。ところが、川崎では得点源としての活躍を期待されたこともあり、彼は日本でストライカーとしての牙を磨いていった。

 今やリーグ連覇を成し遂げ、昨季もルヴァンカップで優勝するなど、すっかり「J1の強豪」というイメージが定着した川崎だが、ジュニーニョが加入した2003年は、まだJ2を戦っていた。

 パルメイラスから加入したジュニーニョはその年、いきなり28得点を挙げると、翌2004年には37得点を記録。自身はJ2得点王に輝くとともに、川崎をJ1昇格へと導いた。

 最大の特徴は、言うまでもなくスピードだった。

 後方からのロングボールに素早く反応すると、スピードに乗って一気にゴール前まで駆け上がった。カウンターでも驚異的なスピードを誇り、ドリブルで相手DFを置き去りにすると、軽やかにゴールを奪ってみせた。あまりのスピードに何度、スタジアムで「速い」と声を上げてしまったことだろう。


 それだけではない。クロスに合わせてゴール前に入っていくコース取りとタイミングも秀逸で、横からのボールを面で合わせる技術が抜群に高かった。

 そうした繊細なプレーを裏打ちしていたのが、足もとの技術だった。見ているこちらが思わず「うまい」とうなるほど、とにかくトラップが正確だった。自分が思い描いたところにボールを置くことができるから、カウンターでも最適な道筋を選ぶことができたし、174cmという背丈ながら前を向いて仕掛けることもできていた。

 シーズンを重ねるたびにその得点パターンは増し、あの中村憲剛をして「サッカーIQが高い」と言わしめたほどである。

 その中村とはホットラインを形成。中村からのラストパスをジュニーニョが決める--。この黄金パターンで川崎の一時代を築いた。

 かつて中村に、ジュニーニョについて聞いたことがある。

「ジュニにはいろいろと教わりました。教わったというよりも、要求されたと言ったほうが正しいかもしれない。要求されることで、自分も引き上げてもらいましたから」


 中央大学を経て、ジュニーニョと同じく2003年に川崎へと加入した中村は、まさにジュニーニョによって育てられたところもある。

 中村がボランチにコンバートされたばかりの2004年当初は、前を向けるのに前を向かずにバックパスをしてしまったり、横パスを選択してしまったりすることもあったという。すると、前線でパスを待っていたジュニーニョが飛んできて、中村にこう言った。

「なぜ、前を見ないんだ!」
「真ん中から前線にボールをつけろ!」

 ジュニーニョのそうした要求に応えようと、中村は努力したことで、持ち前のパスセンスに磨きがかかり、ホットラインはさらに魅力的かつ必殺的なものへと昇華していった。

「とにかくジュニは『オレを見ろ!』って言っていた。隙があれば前を向こうとする意識の高さは一番だと思う。自分が前を向けば怖い選手だということをわかっていたんでしょうね。その姿勢は自分も学びました」

 2007年、ジュニーニョはJ1で22得点を挙げて得点王に輝いたが、そうした記録を残せたのも中村という最良のパートナーを育てたことが大きかったのだろう。ジュニーニョも後日、「自分が決めるゴールの半分だと思っていた」と、中村について回想してくれたことを思い出す。


また、エースとして君臨してきたジュニーニョの背中を見ていたのが、2010年に川崎へと加入した小林悠である。小林もまたジュニーニョから、「いつもオレを見ておけって言われていた」と話してくれたことがある。

 前述したように、ジュニーニョはストライカーとして体格に恵まれていたとは言いがたい。小林も同様である。そうしたなか、身体の使い方などを工夫し、前を向ける状況を作り出していたジュニーニョのプレーを見て、小林は技術を盗んでいたという。

 何より、ジュニーニョからもらった「チームが苦しい時にゴールを決められるストライカーになれ」という言葉は、小林の心に強く刻まれた。

 ジュニーニョのゴールを思い起こせば、チームが苦しい時に活路を開き、ゴールという結果で歓喜をもたらした。小林もジュニーニョの背中を追いかけ、その精神を見習ったからこそ、今日までの頼もしさへとつながったのだろう。

 ジュニーニョが川崎のホームである等々力陸上競技場で最後にプレーした2011年11月26日の横浜FM戦(J1第33節)。77分にジュニーニョが決めたゴールは、今振り返ると、まさに川崎の過去と未来を結んでいるかのようでもあった。


 左サイドでボールを持った中村がゴール前に斜めのパスを入れる。それを受けたのが小林だった。小林がさらに中へと折り返したボールに走り込んだのがジュニーニョだった。

 だから、思う。攻撃的なサッカーを築いた川崎の象徴でもある中村のプレーと、何度悔しい思いをしながらもゴールへと向かう小林の姿勢には、ジュニーニョという源泉があったのではないだろうか。彼のプレーが、言葉が、姿勢が、その後のタイトルへとつながっているのではないだろうかと--。

 通算得点、得点王、そうした実績以上にジュニーニョが印象に残っているのは、その魂が受け継がれているからである。攻撃的なサッカーを、さらにもっと指向する川崎の選手たちのプレーを見ていると、等々力には今なお「太陽」の光が降りそそいでいるように感じられる。