故郷・沖縄で単独取材に応じた(撮影・前城均)

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 芸能界から姿を消して何年経つのだろう。“誠意大将軍”から一転、咎人(とがびと)として牢に繋がれた男が、娑婆に出てから初めて取材に応じた。裁判の結果が出るまで、固く閉ざしていたという彼の口から洩れてきたのは、辛酸を嘗めた獄中生活と、“別れた妻”の異変だった。

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【写真】羽賀研二と梅宮アンナの「ペアヌード写真集」

 愚かで、無知で、八方美人で、美味しい話にすぐ飛びつく。それが過(あやま)ちを招き、多くの人に迷惑をかけてきました。判決内容にかかわらず、まずは反省して言い訳をせず、世間の皆さんに謝らなくてはいけない。今の僕は、人生で一番しおれている時ですから……。

〈そう語るのは羽賀研二、58歳。もうすぐ還暦とは思えない姿は、タレント時代の面影を色濃く残すが、顔に刻まれた皺(しわ)は深く、時に虚ろな表情を浮かべる。

故郷・沖縄で単独取材に応じた(撮影・前城均)

 なにせ5年8カ月、塀の中で過ごした身である。今月18日に那覇地裁で開かれた刑事裁判の判決は、懲役1年6カ月の実刑だった(本インタビューが行われたのは判決前)。ここに至るまでの経緯は複雑で、多少の説明が必要だろう。

 そもそも、羽賀が最初に逮捕されたのは2007年6月にまで遡(さかのぼ)る。

 知人男性に医療関連会社の未公開株の購入話を持ちかけ、3億7千万円を騙し取ったなどとして、元プロボクシング世界王者の渡辺二郎と共に、詐欺と恐喝未遂の罪に問われたのだ。

 交際していた梅宮アンナと破局、その後も“誠意大将軍”を名乗り、バラエティなどで注目され続けた彼の転落劇は、世間に波紋を広げた。

感極まって涙する場面も(撮影・前城均)

 大阪地裁の一審判決は無罪で、続く大阪高裁がそれを破棄し、懲役6年の実刑判決を下した。羽賀は上告するものの、13年3月28日には最高裁で棄却され、判決が確定。昨年1月まで、沖縄本島にある沖縄刑務所に服役した。

 片や被害者の知人男性は、刑が確定後に損害賠償を求めて民事で羽賀を提訴。裁判所は約3億9千万円の支払いを命じたのだ。

 しかし、服役中の彼は17年1月に所有する沖縄の不動産を、協議離婚した元妻へ譲渡していた。これが差し押さえを防ぐための「虚偽離婚」だとして、昨年1月18日、沖縄県警は強制執行妨害などの容疑で獄中の羽賀を再逮捕したのである。

 折しも刑期満了で出所目前というタイミング。起訴後は保釈されたが、昨年11月から那覇地裁で裁判が始まり、この度の判決と相成ったわけだ。

 検察から懲役2年を求刑された羽賀は、一貫して無罪を主張しつつも、マスコミには沈黙を守ってきた。そんな彼が、出所してから初めて取材に応じ、逮捕から獄中までの日々を告白する。〉

 13年前、自分はジュエリーブランドを手掛け、展示会のため年200日以上は全国を飛び回っていました。

 初めて逮捕されたのは、四国の松山空港に降り立った直後でした。手荷物を受け取った瞬間、大阪府警の捜査員に囲まれ、空港の派出所に連れて行かれた。

「恐喝で逮捕状が出てんのや。まぁ、署に行ってから、細かい話は聞くわ。とりあえず手錠を持ってきたから。あと逮捕状、これやから」

 と、刑事に言われて手錠をかけられた。テレビのドッキリかと思ったくらい、本当に何が起こったのか分かりませんでした。

 最初の2、3カ月は府警本部の留置所に入れられました。取り調べで、刑事はテーブルをガンガン叩き、耳元で、鼓膜が破れるくらいの大声を上げてきます。

「おらあ、貴様、なんぼのもんじゃあい。オノレがやったんじゃろおお!」

 そう怒鳴ったかと思えば、テーブルをドーンって蹴飛ばすから、カラダに当たる。それを承知でわざとやってくるのです。

 とにかく認めろと徹底的に口説かれました。違うことは違うと説明しましたが、

「お前な、恐喝を認めたら執行猶予がつくゾ」

「恐喝を認めたら、株の方では逮捕せんゾ」

 などと刑事に唆(そそのか)された。

 それでも否認を続けたので、詐欺で再逮捕されました。最終的に恐喝は未遂の容疑となり、二つの罪で起訴。執行猶予はつかず、6年の実刑で服役しました。

〈華やかな世界から一転、塀の中での暮らしが始まった羽賀が収容されたのは、奇しくも生まれ故郷にある沖縄刑務所だった。〉

 刑務所では、芸能人だったこともあってずっと4畳半一間の独房生活でしたけど、作業や食事の時間は他の受刑者と関わることも多かった。なによりオヤジさん、刑務官のことをそう呼ぶ慣わしでしたが、彼らと波長を合わせることが最も大事なことでした。あからさまに嫌がらせをしてくる人もいましたからね。

 自分は、溶接工場といって、バーベキューセットやベンチを作る仕事を担当していましたが、ドブさらいやトイレ掃除ばかりを命じられていました。

 手袋もなしにスコップで下水溝の掃除をするんですが、工場から流れてきた鉄片やら木片、なんだか分からない突起物が紛れていて、うっかり触れば手を切ってしまう。

 とても不衛生で危険な作業だから、他の受刑者がやることはなかったのですが、オヤジに言わせれば、

「オマエにはケガをされたら困るから、溶接の作業はやらせられない。代わりにゴミ処理や分別をやれ」

 その一環としてドブさらいを命じられたわけです。

 ひとつの重さが30〜40キロはある土嚢を作らされて、たった一人で50袋ほど運ばされたこともありました。

 それを見た受刑者から、

「あのオヤジ、やたらとアンタに対してキツイよな」

「よく我慢しているね」

 って、声を掛けられたこともありましたね。

 不条理なことをされるとやっぱり人間ですからね、オヤジとは何度か衝突した。刑務官へは、基本的に「はい」としか言ってはいけないので、疑問を投げかけるだけでもアウトなんです。

「オヤジ、オレのどこが気に入らないんですか」

 なんて自分がオヤジに尋ねたら、もう終わりです。

「はい、懲罰!」

 と言われ懲罰房に送られます。収容期間は5日間から1週間ほど。起きてから寝る時間まで一日中、ずっと部屋で着座です。胡坐(あぐら)をかいてもよいのですが体に堪える。それでも異議を唱え続けたので、十数回は懲罰を受けたと思います。

「臭い飯」を食べたら

〈ペナルティが終われば、また独房と工場を往復する日々だ。刑務所の朝は早く、6時45分に起床、作業のない土日は休日で1時間ほど遅くまで眠っていられる。

 起床後はすぐに部屋掃除と朝食を済ませて、平日は8時から工場で作業。正午から食堂で昼食、13時少し前に作業が再開され、夕方16時半頃に終わったそうだ。〉

 週2回、風呂に入れる日は作業が15時に終わることもありました。入浴後は17時に独房へ戻り、点呼されて夕食。消灯の21時まで自由時間なので、独房でテレビを観たり、家族に手紙を書いたりできます。

 欠かさずやったのは筋トレ。腕立て伏せを1セット100回、1日10セットで計千回くらい。運動は決められた時間以外してはいけない規則で、早朝だと荒い息遣いでバレることもあった。それで懲罰を受けたこともあります。

 おかげで身長182センチの自分は、61キロくらいの体重を保っていた。今は10キロほど増えましたが、当時はガリガリでしたね。

 服役前から摂生していたので不満はありませんでしたが、食事の量が少なかった影響はあると思います。

 朝は白飯と味噌汁、それにタクアンとか柴漬けが少しだけ。1週間から10日に1度、漬物の代わりに納豆が配られるんですが、これが嬉しかった。ご飯にワーッてかけると、普段とはボリューム感がまるで違う。もともと、沖縄人って納豆は臭くて嫌い。僕もそうだったんですが、刑務所で初めて「臭い飯」を食べたら、こんなに美味いのかと。納豆が大好物になりました。

 刑務所では、約300人いる受刑者全員の飯を、仲間同士が分担して作ります。食材を揃えて切ったりする野菜場の係、大きな釜で調理する係などに分かれますが、自分はそこでも懲罰を受けてしまった。

 献立にはないおかず、いわば「裏メニュー」作りが見つかってしまったのです。

 受刑者たちの密かな楽しみなんですが、まず野菜場を担当する受刑者が、食材をこっそり集める。それを調理担当の仲間に渡せば、生姜焼きやチンジャオロースーなど、普段は食べられないおかずを作ってくれる。

 完成したら、オヤジたちに見つからないよう食材倉庫の上に隠して、皆が交代で入って食べます。

 ところがある時、自分が長靴の中に隠し持っていたカマボコが、オヤジに見つかってしまった。何でバレてしまったのか。どうやら刑務官にチクった受刑者がいたそうです。芸能人なので気にくわないと思う人がいたのかもしれない。

〈度重なる懲罰が影響してか、模範囚なら仮出所が認められるところ、羽賀はほぼ満期まで塀の中。昨年1月、出所を目前にして、前述した再逮捕と相成るのである。〉

 取り調べのため、宜野湾警察署の留置所を経て、那覇拘置所に移送されました。

 保釈が認められ、塀の外に出たのは5月16日の昼頃。弁護士の先生と、用意された車に乗り込みました。

 向かった先は、沖縄市にある1泊1700円の民宿でした。風呂もトイレも共同で、日雇いの労働者とかと顔を合わせると、“なんで、こんなところにいるんだ”という顔をされてしまう。

 そんな仮住まいの部屋で、塀の外で過ごす初めての夜を迎えました。好物になった納豆とバナナを、独り食べながら頭に浮かんだのは、絶望の2文字です。

 もちろん、刑務所から解放された喜びはありますが、裁判は続く。何よりお金がないことの不安が大きい。

 当面の生活費として、弁護士から月10万円を借りて過ごすことになりましたが、やはり借金ですから。

忍び寄る“男の影”

 実は、刑務所を出て一番初めに買ったのは、コンビニの缶コーヒーを1本だけ。出所したら、三枚肉がたくさんのった沖縄そばを食べてやる。マクドナルドに行ってビッグマックにてりやきチキンバーガー、チーズバーガーも一気に食ってやろう。そんな夢を見ていた。

 けれど、いざ娑婆に出たらガッツが湧かない。出所して10カ月経っても、コーヒー1杯でスタバで2時間粘るような生活。芸能人を40年近くやってきたのに、惨めな気持ちです。

 係争中ではまともな仕事に就けず、時給850円の豚丼屋でバイトをしました。週休1日、ホールから厨房仕事、皿洗いまでやって月給12万〜13万の生活で、ようやく弁護士から借金するのを止めることができた。

 ちなみに、刑務所から出てきた時の全財産は、現金6万円ちょっとと宝石販売時代のスーツ2着、シャツ数枚と靴に型落ちのビッグスクーターくらいでした。逮捕後も銀行ローンの支払いが残っていたので、恵比寿の億ションも車も貴金属も、全て売り払ってしまっていた。

 裁判で問われた沖縄の不動産は、家賃収入が見込めるので、売らずに残していた。なぜ名義を変えたのかと言えば、残した妻子の生活をどうするか考えた際、複数の弁護士たちに相談したら「協議離婚」した方がよいと助言されまして。

 当時、コレって犯罪になりませんかと聞いて、大丈夫だと。それで手続きをした。結果として世間に迷惑をかけたことは、私の責任です。

〈この事件では、羽賀と「協議離婚」した元妻も共犯とされ逮捕された。夫婦の絆に亀裂は入っていないのに、財産を差し押さえられないよう「虚偽離婚」した疑いである。裁判が終わるまで元妻とは接見禁止ゆえ、羽賀を悩ませているのは、彼女に忍び寄る“男の影”なんだとか。〉

 元妻は、今回の裁判の中でこう言いました。

「本当に離婚するつもりで籍を抜きました」

「他の男性と恋愛していて、その人と結婚を考えた。けれど別れました」

 他の異性との恋愛は初耳でした……。彼女とは接見禁止で発言の真意は確認できていません。法廷戦術だったのかも分からない。

 人づてに聞いた話では、男性とは彼女が保釈された後に付き合い、交際はまだ続いているかもしれない。

 どこまで彼女が本気なのか心配なんです。裁判が終わったら、元妻はすぐ会ってくれるかどうか。出所してから9歳になる長女と7歳の次女にも会えていません。只々、昔と同じように家族一緒に暮らしたい。

 オレは家族のためなら死ねる。死ねますよ。なのに、もしかしたら本当にオレは捨てられるかもしれない。本当に放り出されるのかもしれない……。そうなったら、オレは何もかも失ってしまうんです。

〈漣々(れんれん)と涙を流す羽賀に、果たして元妻は振り向くのか。あるいは別の男に寝取られたまま……。原告の訴えにも齟齬(そご)があると思え、今後も話し合いを続けたいと羽賀は話す。今まさに彼の“誠意”が試されている。〉

「週刊新潮」2020年3月26日号 掲載