ひきこもりの長期化と雇用環境の悪化が、なぜ密接に関係しているのかを解説していきます(写真:baona/iStock)

ひきこもりを個人の問題で済ませていいのか? 「日本でひきこもりに苦しむ人々が減らない本質的な理由」を、新書『中高年がひきこもる理由―臨床から生まれた回復へのプロセス―』などを代表作に持つ臨床心理士の桝田智彦氏が解説します。

中高年ひきこもりのなかには、ひきこもり状態からなかなか脱出できず、気がつくと5年、10年、20年……とひきこもり続けてしまっている方が、多くいらっしゃいます。

実際、2018年の内閣府による中高年ひきこもりの実態調査によると、7年以上ひきこもっている人たちの合計は、全体の46.7%にも上ります。しかも、「20〜25年」が10.6%もいて、「30年以上」の方々も少ないとはいえ、6.4%いたのです。

いったいなぜ多くの人々がこのような長い期間、ひきこもってしまうのでしょう。ひきこもりの方々と接してきた者として、はっきりと言えることは、ひきこもってしまう方たちの大半は決して性格的に弱いわけでも、甘えているわけでも、怠け者なわけでもないということです。

ひきこもりという現象をそのような個人の資質のレベルにのみ帰すとしたら、その実態を正しく捉えることも理解することもできず、したがって、ひきこもり問題を解決することも不可能だと思います。

ひきこもりは「今の社会が生んだ問題」

では、なぜ多くの人たちがそもそもひきこもってしまうのか、そして、長い間、その状態から抜け出せないでいるのか……。その背景には、実は雇用、貧困、社会福祉といった政治・経済問題や、歴史・文化的な要素、そして、現代という時代に特有のものの見方や感じ方、心理学的な側面などが関係しているように思います。

このようなさまざまな要素が複雑に絡んで、「ひきこもりは長期化している」と考えられるのです。中高年ひきこもりは社会が抱える諸問題を反映した一大テーマと言っていいでしょう。

ひきこもりがなぜ長期化するのか、回復がなぜ遅れてしまうのかについて、さまざまな視点から考察していくことにします。

まずは、雇用や貧困などの政治・経済問題が、中高年ひきこもりに与える影響について考えていきましょう。この視座に立ったとき、「中高年ひきこもり」が増加し、さらに、ひきこもりが長期化するようになったいちばんの要因は「雇用環境の悪化にある」と思っています。

つまり、雇用環境の悪化によって、一生懸命に働けば、普通の暮らしができる、そのような「まともな働き口」がなかなか見つからないのです。とくに中高年ではその傾向が強くて、あるのは低賃金で、不安定な非正規や、パートやアルバイトがほとんどで、運よく正社員として採用されても、そこがブラック企業だったりするわけです。

そのため、いったん解雇されたり、退職したりすれば、再チャレンジの道が閉ざされてしまいがちで、このことがひきこもる人を増やし、また、ひきこもりからの脱出を阻むことになっているように感じます。

雇用環境がこのような厳しいものになってしまったのは、終身雇用制の崩壊にあると考えています。では、そもそもなぜ終身雇用が崩壊し、そして、その結果、なぜ雇用環境が悪化してしまったのでしょうか──。

なぜ「終身雇用制」は崩壊したのか?

敗戦後の日本社会を支えてきたものの1つが、終身雇用制だと言えます。終身雇用制のもと、人々はいったん就職したら、会社が潰れない限り、定年まで勤め続けられました。そして、多くの場合、終身雇用制は年功序列とセットになっていたので、勤務年数に応じて給料も上がっていきました。

働く多くの人が、突然解雇される不安もなく、安心して働けて、給料も年々上がるという、今からすると夢のような待遇のもと、日本は「一億総中流」といわれる、格差の少ない豊かな社会を実現させたのでした。

ところが、バブル経済が破綻した後、終身雇用制は立ちゆかなくなります。バブルが崩壊したのが1991年。1997年には長期不況に突入します。長引く不況のなか、グローバル化の激しい国際競争にさらされることにもなった日本の企業は、しだいに終身雇用制を維持するための体力を失っていきます。

そして、21世紀に入ると、多くの企業が生き残りをかけて、次々に解雇や早期退社などリストラを断行し、日本の終身雇用制は終焉へと向かい始めたのです。

「失われた20年」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。日本は、バブル崩壊から20年以上経った今日もいまだ不況から抜け出せずにいます。令和元年には、かのトヨタ自動車の社長までが「終身雇用を守るのは難しい局面に入ってきた」と、終身雇用の限界について言及しています。

終身雇用制で守られる時代は終わりを告げ、長く勤めた人でも、表現はよくありませんが、簡単に「切り捨てられる」世の中になってきたのです。

終身雇用制の終焉によって、定年まで働きつづけられるという雇用環境が失われただけではなく、同時に、非正規社員の激増という、新たな雇用形態がもたらされました。

契約社員や派遣社員など期間を定めた契約形態で働く人たちと、パートやアルバイトなどの短い期間で働く人たちを、正社員に対して非正規社員と言います。非正規社員なら、企業側の都合で辞めさせることも容易ですし、なによりも、賃金を正社員よりも低く抑えられることが企業としてのメリットでしょう。

では、非正規という雇用形態がどのような過程で生まれたのか、また、暮らし向きにおいて正規社員の人たちとはどの程度の差があるのかなど、その実態を見ておきましょう。

同じように働いても収入は半分

日本が長期不況に突入したのと同じ年、1996年に政府は「労働者派遣法」を改正するなどして、企業が契約社員や派遣社員などの非正規社員の雇用を可能とする道筋をつけました。さらに、第二次安倍政権が誕生後のアベノミクスでは雇用の拡大を推し進めましたが、ここで増えたのが非正規社員です。アベノミクスで雇用は増えたものの、その内実は、非正規社員の増加であり、それに対して、正社員の割合は減っているのです。

1996年以降、アベノミクスも含めて今日に至るまで、非正規社員の占める割合は年々拡大していきました。2018年、総務省の「労働力調査」によると、正規職員・従業員が3485万人に対して、非正規職員・従業員が2120万人でした。非正規で働く人が全体(6664万人)の約3割を占めます。

しかも、収入の格差は歴然としています。内閣府の「正社員・非正社員の賃金差の現状」によると2016年時点で、正規社員の平均時給は非正規社員の1.5倍、年収ベースでは1.8倍です。

同じように働いても非正規というだけで、正社員の約半分ほどの収入しか手にできないわけです。しかも、正社員では多くの場合、年齢とともに賃金が上がっていくのに対して、非正規ではほとんどが上がりません。

このような不公平がまかりとおっている格差社会の日本で広がっているのは、正真正銘の貧困問題です。ある調査では、この国に暮らす全体の57.7%の人が「生活が苦しい」と答えていますし、さらに、子どもの7人に1人が貧困、単身女性の3人に1人が貧困に陥っています。

また、東京都のインターネットカフェ・漫画喫茶等のオールナイト利用者(946人)を対象とした調査では、オールナイト利用者の男性割合が85.9%。そのうちで住居を喪失しているのが97.5%、さらにその割合のうち、住居喪失不安定就労者97.8%(女性割合は14.1%、住居喪失者2.5%、住居喪失不安定就労者2.2%)であり、年齢は30〜39歳が29.3%、ついで20〜29歳が27.8%、40〜49歳が18.7%、50〜59歳が17.3%、60歳以上が4.9%という衝撃的な結果もあります。

住む場所がなく、漫画喫茶に寝泊まりしている人が全世代にいるのです。もはや、日本が「総中流社会」だというのにはあまりにも無理があることが、おわかりいただけると思います。

生活が苦しく病院にもいけない若者たち

さらに、次のようなデータもあります──。貧困や格差をなくそうと活動している「エキタス」という市民団体が、若者にインターネットで「最低賃金、時給1500円が実現したら、何をしたいですか?」と問いかけたところ、「病院に行きたい」と答えた人が最多で、約3割にも及んだそうです。

これが日本の現実です。多くの若者が、生活が苦しいために病院にも行けずに、健康を犠牲にしてまで働いているという、胸が痛くなるような実態が見えてきます。

非正規社員の激増は、日本をかつての「一億総中流社会」から格差社会へと変え、多くの貧しい人たちを生み出しました。この格差社会と貧困層の増大もまた、人々がひきこもることの非常に大きな要因だと考えています。

つまり、お金がなくて生活が苦しくなると、多くの場合、仲がよかった友人とも距離を置くようになり、孤立していきます。孤独になるなかで、自己肯定感は摩滅していき、自信を失い、ポジティブなことは1つもないように感じて、人生に希望を見いだせなくなっていくのです。

このような状態に陥ると、他人との情緒的な接触が大きな負担に感じられて、人間関係を避けているうちにひきこもっていくわけです。また、いったんひきこもってしまうと、孤独のなかで孤立していき、支えてくれる人もいないまま、多くの人たちが20年、30年と長期間ひきこもり続けることにもなるのです。

これまで私どもは約21年間、ひきこもり支援の現場に立ち、さまざまなご家庭の方々とお会いしてきました。多くの方とお話しすればするほど、雇用の問題とひきこもりの問題が密接に関係していることを強く感じるようになっています。

終身雇用制の終焉によってもたらされたのは、雇用形態の変化や雇用環境の悪化だけではありませんでした。それは、企業による社会福祉の崩壊も意味すると、私は考えます。

企業による社会福祉の崩壊とはどういうことでしょう。日本では終身雇用制のもとで、企業が国の代わりに社会福祉政策を担っていたという側面があります。景気が後退して業績が落ちていても、会社は社員をクビにしないで、頑張って雇い続けました。企業みずから社員のためにセーフティーネットを提供していたわけです。

ところが、終身雇用制が崩壊し、企業がリストラを積極的に進めるようになったのです。当然のこととして失業者が増えましたが、国は増大した失業者に対応できるだけの充実した社会福祉制度、すなわち社会資源を持っていません。実際、日本の福利厚生などのセーフティーネットは欧米諸国に比べると、極めて脆弱だと言えるでしょう。

社会保障が不十分な社会では、ひとたび失業などの不運に見舞われると、多くの場合、どこにも誰にも助けを求められません。そのため、再チャレンジや回復への道は閉ざされてしまいがちです。

失業などで働くチャンスを失い、再就職しようと頑張っても、誰からも助けてもらえない。さらに、現代社会でよく聞く「自己責任論」が、そんな人たちを追いつめます。「生活が苦しいのは努力が足りないため、才覚がないため……だから、仕事がないのは仕方がないことなんだ」。そうやって経済的にも精神的にも追いつめられた人たちの一部がひきこもっているように感じるのです。

ひきこもりは決して他人事ではない

日本でひきこもりが増えつづけ、長引いているのもこのような弱体化した社会保障と蔓延する過剰な自己責任論が大きな要因と考えて間違いないでしょう。そして、繰り返しになりますが、これは他人事ではありません。


私たちも、会社が倒産したり、解雇されたり、病気になったりといったことで、いつなんどき職を失い、無収入の状態に陥るかわかりません。誰にでもそうなる可能性はあるのです。

そのとき、再起を期すにしても、必要になるのは最低限のお金でしょう。それを保障するのが社会福祉であり、セーフティーネットなのです。それが貧弱であれば、いくら頑張りたくても、再起のためのスタートラインにさえ立つのが困難なのは明白でしょう。

終身雇用の終焉に伴い、国による社会保障の不十分さが露呈され、それを覆い隠すかのように「自己責任論」が声高に叫ばれたこの20年間、社会保障は充実するどころか、その予算は削減されていくばかりです。

現在のような状況が続けば、ひきこもりの方々が増えることはあっても減ることはほとんどない。そう考えざるをえないと、私は思っています。