連載9回目はこの西川潤が登場。C大阪期待の高卒ルーキーだ。(C)CEREZO OSAKA

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 新型コロナウイルスの影響で開催を危ぶむ声もあるとはいえ、予定通りならあと4か月後に開幕することになる東京五輪。本連載では、本大会での活躍が期待される注目株のこれまでキャリアや間近に迫った夢舞台への想いに迫る。
 
 9回目に登場するのは、スピードに乗ったドルブルと卓越したシュートセンスで違いを作る、セレッソ大阪の高卒ルーキー西川潤だ。
 
 中学2年で全国制覇を成し遂げ、桐光学園高でも3年次にインターハイ優勝を経験。世代別代表でも活躍し、同世代のトップランナーのひとりとして走り続けてきたレフティは、これまでどんなサッカー人生を歩んできたのか。
 
 前編では、サッカーを始めたきっかけや、横浜F・マリノスのジュニアユースから桐光学園高に進んだ経緯、そして高校2年生までの秘話をお届けする。
 
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――サッカーを始めたのは何歳から?

「幼稚園の年中、5歳ぐらいですね。きっかけは(3歳上の)兄の影響でした」

――サッカーにのめり込んだ理由は?

「あまり覚えてないんですけど、小学生になってクラブチームに入って、だんだんとハマっていった感じです」

――最初は青葉FCですね。このクラブに入ったのはいつ?

「小学1年生の時です。兄が入っていたチームだったので。僕が入った時には、兄はもう横浜F・マリノスのチームのほうに移っていましたけど。僕は3年生までは川崎フロンターレのスクールに通っていて、それからマリノスのスクールに変更しました」

――青葉FCと掛け持っていたんですね。小学校時代はどんな選手だった?

「低学年の時は、サイドバックだったり、ボランチだったり、いろいろなポジションをやりました。高学年になってフォワードで固定されるようになり、それからずっとアタッカーですね」

――当時好きだったチームは?

「マリノスのスクールにいたんで、やはりマリノス。それとフロンターレですね。地元なんで」

――憧れていた選手は?

「フロンターレのジュニーニョ選手ですね。ドリブルでガンガン仕掛けて、点も取れて、アシストもできて。そのプレースタイルに惹かれてました」

――小学校時代の最高成績は?

「6年生までは神奈川県大会に行くという仕組み自体がなかったんです。6年の時に初めて県大会に出て、ベスト16まで進みました」
 
――横浜のジュニアユースに入った経緯は?

「(スクールの選抜チームである)プライマリーの選抜テストには落ちたんです。なので、その下の『スペシャルクラス』というカテゴリーでプレーしていたんですが、そこからも何人かジュニアユースに上がることができたんです」 

――中学時代はどんな生活を送っていた?

「オフは週1回のみで、それ以外は放課後に練習がありました。練習場がみなとみらいにあったので、毎日1時間ぐらいかけて通ってました」

――中学時代のポジションは?

「主にサイドハーフでした」

――中学時代の最高成績は?

「中学2年の時に(日本クラブユースサッカー選手権U−15で)全国優勝しました」

――中3の時にU-15代表に選出せれています。それほどの実力があれば、横浜のユースに、上がろうと思えば上がれたのでは?

「そうですね」

――それでも、桐光学園高を選んだのはなぜ?

「兄がプレーしていたというのもありますし、選手権への憧れもありました」

――他の高校は考えなかった?

「いろいろ考えました。ただ、身近にいる兄が逞しく成長していく姿を見て、自分も桐光でプレーしたいと思い、決めました」

――ちょうどお兄さんとは入れ替わりになったわけですね。

「そうですね。3つ違うんで。兄は卒業して神奈川大学でプレーしています」