元スペイン代表GKとしても活躍したリカルド・ロペス【写真:Getty Images】

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【幸野健一が挑む日本のスポーツ文化改革|第3回】2017年にリカルド・ロペス氏を招聘、再確認できた“世界基準”

 3年前、幸野健一は自ら創設したFC市川GUNNERS(当時アーセナルサッカースクール市川)に、元スペイン代表GKのリカルド・ロペスをテクニカルディレクターとして招聘した。1年間の滞在で、ロペスは日本の事情に直面し様々な疑問を発し続けた。幸野には想定内のことばかりだったが、周りの関係者たちには新鮮な発見でもあった。

「何よりリカルドがここで伝えてくれたのはパッションです。本人も日本代表コーチ(2014〜16年)を務めて、日本を凄く気に入り、残って貢献したい希望を持っていました。実際彼がいてくれたことで世界基準を確認できたし、彼が残してくれたものをベースにクラブの育成メソッドやプレーモデルを作っているところです」

 幸野はよくロペスと食事をともにしたが、珍しく立て続けに誘いを断ったことがある。

「ごめん、今日はクラブユースの会議がある」
「クラブユース? 昨日やったじゃないか」
「昨日はU-15で、今日はU-18だ」
「ええ? スペインではU-9からU-18まで一緒だぞ」

 幸野が日本の「6-3-3」制の学校の仕組みを説明すると、ロペスは目を丸くした。

「じゃあ、日本の子供たちは、18歳までに3回もチームが変わるのか?」
「標準的にはそういうことになる」
「そんなにコロコロ指導方針が変わっていて、よく選手たちはやっていられるな」

 高体連のチームがFC市川GUNNERSへ試合に訪れると、球拾いの下級生も帯同してきた。「なぜ全員試合に出さないのか?」という問いに、監督が「3年後に結果を出すから」と答えると、ロペスは怒り出してしまった。

「あの指導者の責任の範囲は3年間しかないのか! 選手生活は、その前もその後もあってつながっている。1、2年生も平等に成長させていれば、もっと世界レベルの選手がたくさん出てくるはずだ。君たち(日本人指導者)はそれに気づいていない」

 ロペスは高校サッカー選手権のスタンドの光景を見て、怪訝そうに幸野に尋ねてきた。ピッチ上の選手と同じユニフォームを着た大勢の選手たちが応援していたからだ。

「あれは応援団なのか?」
「選手だよ」
「どうしてスタンドにいるんだ? なぜ日本はチームに人数制限をしないんだ? 欧州のクラブはみんな20人程度に制限しているぞ」
「たぶん、そんなことをしたら学校は潰れる」

高校野球を見てロペス氏が絶句 「この時代に、そんな怖いことが…」

 日本の妙な習慣も、ロペスは不思議で仕方がない様子だった。

「ドリブル専門のスクール、朝練習、自主トレ……、これほど情報化が進んだ時代だ。もし効果があるなら、欧州でも取り入れているはずだろう」

 もちろん、幸野も同感だ。

「サッカーは、認知、判断、実行の繰り返しです。今、何をするべきか、選手たちは一瞬で判断して実行に移さなければならない。ところがドリブルという実行の部分だけ上達しても、肝心の前段階が備わっていなければ、足もとに来たボールはすべてドリブルで運ぶ選手ばかりが生まれてきてしまいます」

 そしてロペスが最も驚愕したのは、テレビ画面に全国高校野球選手権の中継が流れてきた時だった。

「どうして、みんな選手たちは髪の毛がないんだ?」
「たぶん強制だと思うよ」
「この時代に、そんな怖いことが起こっているのか! しかもこれほど酷い光景がずっとテレビで放送されているのに、誰も何も言わないのか? 欧州ならすぐに訴訟が起こって大変なことになっているぞ」

 履き違えた過剰な勝利至上主義が鏤められているのに、それを日本人は当然のことだと捉えてしまっている。

 ロペスは言っていたそうである。

「勝利を求めて反省するのは大切だ。しかしどうしても相手が強いことはあるし、いつまでも引きずっていても仕方がない。現実を認めて、明日また頑張ろうと切り替える。それで何がいけないんだ」

 遊びのはずだったスポーツがテレビ中継され過度に注目が集まり、負けた選手たちはこの世の終わりかのように泣き崩れる。

「だから日本にはグッドルーザーが生まれない」

 幸野はそれが残念でならない。(文中敬称略)

[プロフィール]
幸野健一(こうの・けんいち)

1961年9月25日生まれ。7歳よりサッカーを始め、17歳の時にイングランドへ渡りプレーした。現在は育成を中心にサッカーに関わる課題解決をはかる「サッカー・コンサルタント」として活動。2014年に「アーセナルサッカースクール市川」を開校させ、代表に就任。19年に「FC市川GUNNERS」にチーム名変更、20年3月から業務提携した市川SCのGMに就任した。息子の志有人はJFAアカデミー福島1期生のプロサッカー選手で、09年U-17W杯に出場した。(加部 究 / Kiwamu Kabe)

加部 究
1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記〜青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。